第十一話:海の向こうからの反響
「おい蓮、ちょっとこれを見てくれ! 大変なことになってるぞ!」
放課後。源さんの秘密基地に入った途端、部屋の主人は髪をいつも以上にボサボサに逆立てて、ブラウン管の画面を指差した。
「源さん、落ち着いてよ。アメリカから返信があったの?」
「返信なんてレベルじゃない! 掲示板のサーバーが、お前の投稿のせいで一時的にパンクしかけたんだぞ!」
俺はカバンを床に置き、源さんの隣に立って画面を覗き込んだ。
画面に映し出されていたのは、テキスト主体の海外の開発者コミュニティだ。英語の文字が激しい勢いでスクロールしていく。
「ほら、ここを読んでみろ。俺の拙い英語じゃ追いつかないくらいの勢いで、世界中のエンジニアが書き込んでるんだ」
源さんがマウスを握る手を震わせる。
俺は画面に表示された英文のログを、頭の中で即座に日本語へと翻訳していった。
『なんだこの新型の通信ソフトは! 我が社の太い回線でも手こずっていた大容量データの転送が、嘘みたいに一瞬で終わったぞ!』
『驚くのはまだ早い。このソフトを起動したときに出てくる、あの青い髪の少女のイラストを見たか?』
『ああ、見た! あの信じられないほど繊細な線と透明感のある色彩……どこの国の天才が描いたんだ?』
『アメリカの最先端のアートスクールでも、あんなアプローチのデザインは見られない。このキャラクターのおかげで、無機質なシステムを動かすのが最高に楽しくなった!』
「すごい、反響だね」
俺は静かに呟いた。
世界中の優秀な技術者たちが、俺の構築した効率的なプログラムだけでなく、華の描いたマスコットキャラクターに完全に心を奪われている。
「すごいなんて言葉で済むかよ!」
源さんがデスクを叩いて立ち上がった。
「機能が優れているのはお前のロジックだから当然としてだ、海外の連中はあの『キャラクターの魅力』に完全に狂熱してる。デザインがソフトウェアの価値を何倍にも跳ね上げるなんて、俺は目の前で見るまで信じられなかったぞ!」
「文字だけの無機質なシステムより、綺麗な絵が最初に出てきた方が、使う人も絶対に心地いいはずだからね。白雪さんの絵には、それだけの力があるんだ」
「白雪ちゃん、本当に天才だったんだな……。学校じゃあ、あの生意気な社長令嬢に変な趣味だなんて笑われてたんだろ? あいつらの目は節穴かよ」
源さんは呆れたようにため息をついた。
その時、平屋の玄関の呼び鈴が、ピンポーンとおずおずとした音を響かせた。
「あ、白雪さんが来たみたいだ。俺、開けてくるよ」
俺がドアを開けると、そこには制服の大きなカバンを胸の前にぎゅっと抱えた華が立っていた。
まだ少しおどおどとした様子で、長い前髪の隙間からこちらを見上げている。
「あ……さ、佐藤くん……っ。お邪魔、します……。あの、私の描いた絵……どうなった、かな……?」
「ちょうど今、源さんとその話をしていたところだよ。白雪さん、中に入って画面を見てごらん」
「う、うん……っ」
華は緊張で小さな身体をさらに縮めながら、異空間のような部屋の奥へと進み、椅子に腰掛けた。
画面には、先ほどまで俺たちが読んでいた英文のスレッドがそのまま表示されている。
「佐藤くん……これ、全部英語だから、わたし、読めない、けれど……なんだか、すごくたくさん文字が並んでる、ね……?」
「これはね、アメリカやヨーロッパの、世界中で一番パソコンに詳しい人たちの掲示板なんだ。白雪さんの絵を見た人たちが、たくさん感想を書き込んでくれているんだよ」
「え……っ!? わたしの絵の、感想……? やっぱり、変な絵だって……怒られちゃって、いるの……?」
華の大きな瞳に、一瞬で不安の影が走った。肉厚な小さな手が、制服のスカートをきゅっと握りしめる。
「違うよ、白雪さん。真逆さ。俺が今から、この人たちがなんて言っているか、日本語で読んであげるね」
俺は彼女の真隣に椅子を寄せ、画面の一行を指差した。
「『この青い髪の少女のイラストは、時代を十年先取りしている。信じられないほど美しくて、心が洗われるようだ』って書いてあるよ」
「え……あ、あお……美しい……?」
「こっちの人はね、『このキャラクターのグッズがあるなら、いくらお金を払ってでも今すぐ欲しい。我が社のパソコンの壁紙は、今日からすべてこの少女になった』って」
「か、かべがみ……? お金を、払う……っ?」
華は驚愕のあまり、両手で口元を押さえて画面を見つめた。
「それだけじゃないよ。シリコンバレーっていう、アメリカで一番すごいITの街があるんだけど、そこの大企業の社長さんたちが『この魅力的なキャラクターのライセンスを、我が社に数百万ドルで売ってほしい』って、源さんのメールアドレスに直接連絡をいれてきてるんだ」
「す、数百万、どる……? それって、おいくら、なの……?」
「日本のお金に直すと、数億円っていう大金だよ。白雪さん」
俺が穏やかに、しかしはっきりとした事実を告げると、華の頭の上が完全に真っ白になったのが分かった。
おどおどと視線を彷徨わせ、自分の小さな手のひらを見つめ、それからまた画面に視線を戻す。
「うそ……うそ、だよ……っ。だって、わたしの絵は、学校では……みんなに、暗い趣味だって、笑われて……高橋さんにも、ゴミ箱に捨てるレベルだって、言われたのに……」
華の瞳から、ぽろぽろと大きな涙がこぼれ落ちた。
それは悲しい涙ではなく、今まで否定され続けてきた自分の存在と才能が、世界の頂点にいるプロたちによって、完全に全肯定されたことに対する、震えるような感動の涙だった。
「白雪さん。言っただろう。あの狭い教室の連中の目は、節穴なんだ。君の価値は、もう世界が証明してくれたんだよ。だから、もう自分の絵を隠す必要なんて、どこにもないんだ」
俺はポケットから綺麗なハンカチを取り出し、彼女の目元を優しく拭ってやった。
「あ……さ、佐藤くん……っ……」
華の白い頬が、涙に濡れながらも、夕焼けのように真っ赤に染まっていく。
彼女は俺のハンカチを自分の小さな手でそっと押さえながら、消え入りそうな、だけど今度は心の底から安心したような声で、一生懸命に言葉を紡いだ。
「わたし、の絵……世界の人に、届いたんだね……。佐藤くんが、魔法をかけてくれたから……っ。ありがとう、佐藤くん……本当に、ありがとう……っ」
「魔法じゃないよ。君の実力だ。……さあ、世界が君の次の作品を待ってる。これからも、俺と一緒にたくさんの『作品』を作っていこう」
「うん……っ! わたし、もっとたくさん、描く、ね……っ!」
涙を拭った華の口元に、これまでで一番輝かしい、穏やかで美しい笑みが咲いた。
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