須々木の頬にも……おずおずと
御手洗さんから解呪について太鼓判をもらった以上確認するまでもない気がしたが、ひとまず俺は約束通りに綾瀬と落ち合っていた。
十一時、昨日の夜も話をしたベンチにて。
そこは日中も日陰ができていて、じりじりと焦がされるような炎天下のなかでは比較的過ごしやすい空間が生まれていた。
早めについてしまった俺が背もたれに両肘をかけてうだうだしていると、てててと軽い足音が聞こえてきた。
そちらを見やると。
「須々木さーん」
いつものぽけぽけした声で、綾瀬が迫ってくる。
もう、目立つことを気にしなくてもいいと伝えたからだろう。昨日までとは異なり、普段の服装になっている。
いつかも見た、ギンガムチェックのワンピース。ウエストラインにベルトを締めることでおっぱいを強調しており、その仕立ての良い生地の上を金に似た色を照り返す綾瀬の髪が流れる。そして一歩ごとに、毛先と乳が揺れる。いい景色だ。
ちいさな顔いっぱいに喜色を湛えて、大きな瞳をはさむまぶたが弧を描いた。ぎゅっと拳を胸元で握り締めて、両肩をくるくると回す。おお、動きにつられてこれもまた乳が乱れる。
「なんか肩が、軽くなりました! ということは……」
「呪いが解けたってことだ。そもそもお前は呪いに気づいちゃいなかったかもだが……、よかったな」
「はい! よかったですっ!」
よろこびの表現か、早速課金する音が綾瀬の手のうちのスマホからじゃらじゃらと聞こえてくる。俺は苦笑して、綾瀬に横に座るよう勧めた。
「あぅぅ。恐れ多いですが、昨日は腰が抜けたせいで先に席をいただいてしまいましたし……失礼いたします」
「あいよどうぞ」
「それでお父様とは、お話できたのですよね?」
「……お前マジ間髪入れねえな、間とか空気とかホント気にしねぇな」
普通こういうのって座ってしばらくもじもじして、なんやら言いづらそうな空気を御互いに醸し出してから至るもんじゃねえのか。自由すぎるぜ。
俺のしらーっとした目にあわあわして、綾瀬は首をぶんぶん振った。
「い、いえっそのっ。なんとなくですけど、須々木さんが軽く? なったように見えたので……いろいろ気が晴れることがあったのかなっ、て。すすすいませんナマイキなこと言いました……!」
「んにゃ。べつに、いいよ」
尋の言うこと半信半疑だったけど。
やっぱウソついてたら、バレたんだろうなこれは。まさか顔合わせて一分も経たないうちに見破られるとはな。
でもこいつはウソに気づいたら、どう動くんだろう。気づかないふりをするのか、直球で訊ねてくるのか。後者の可能性が高いようには思うが、前者でもおかしくないような気はする。
だってこいつは俺のことを心配して、親父に引き合わせようとしてくれたんだから。
「お前さ」
「は、はいっ」
「こうなるって、わかってたのか?」
問いかけに、さすがに押し黙った。綾瀬は地面を見つめて長考し、俺を見て、へにゃりと頬を緩める。たははと笑う。
「なんにも、わかってなかったですね」
「いまの長考なんだったんだよ」
「あたしがそのとき、なにを考えてたのかを思い出してました。あたし、須々木さんに気楽でいてほしいって、ただそれだけを考えていて……で、お母様との問答があったあとで、思ったんです」
俺が両親と話すように勧めよう、と。
ただそれだけのことを思いついた、らしい。
「それだけって言うけど、そうそう実行できねぇようなことだと思うぞ」
「そうですか?」
「そうだよ。『家のことに踏み込むなー』とか。言われるって考えるだろフツー」
「でも須々木さん、あたしとお母さんのことにがんがん踏み込んできましたし」
「いやアレは巻き込まれての不可抗力が七割だろ……」
「御手洗さんに連れ去られたときも、駆けつけてくださったじゃないですか」
「それは、」
どうなんだろう、な。
俺も自分で、言葉が止まる。
あのとき俺は、なにを思っていたのか。
もちろん、こんな理不尽が許されてたまるかという義憤みたいなものが原動力だったが。
とはいえいちばん奥の底の底。
俺という人間の動機になっていたのは、引き金を絞り上げたのは、そういうことが理由ではなかった。
「それは……お前を通じて、俺は自分の問題を、解決したかったんだろう」
「ご自分の?」
「俺と同じように家の中が複雑なお前に、手助けすることで。自分を救いたかった、んだと思う」
いまさらながらそう自覚した。
なんということはない。
似た境遇の人間への、同情だ。
自分が救われなかったからだれかの手助けをすることでそのもやもやを解消しようとする、代償行為というやつ。
そんな俺の吐露に、綾瀬はあっけらかんと返してきた。
「だったらあたし、須々木さんと似ていてよかったです」
うーんとのびをして身を反らしおっぱい目立たせながら、えへへと笑う。
「それがご縁で、須々木さんと繋がりを保てて。それがいまになって、須々木さんがラクになれるための布石になったのなら。これ以上ないことですよ」
めぐり合わせを、綾瀬は呪わない。
いまの自分の立ち位置を、たぶん、こいつは『しあわせ』から逆算する。
それは、『より不幸にならないように』立ち回りつづけた俺とは似て非なるもので。
ああそうか、と俺はようやく納得した。
「……なにに対しても自信なさげなクセに」
こいつは誰より、自信があることがたったひとつだけある。
それはまぁ、他の人からしたら自信があってもしょうがないこと。
それは俺にとって、ある意味でもう笑っちゃうくらいに、ああ。……ああー。とにかく、あー。
あー……。
はぁ。
「綾瀬」
「はい?」
「こんな遠方まで出張してつかれたわ。さっさと帰ろうぜ」
「ええっ!? なんかいま言いかけてませんでした?!」
「べっつにー。とにかく帰るぞ。俺はお前とちがってそんなに頭のデキ良くないんでな、期末に備えなきゃいけねぇんだよ。そらそら、尋と倉刈さんと佐野呼んで帰りの切符とるぞ」
「ちょちょ、ちょっとー! 待ってください、須々木さーん!」
俺はベンチから立ち上がって歩き出す。
四方を山に囲まれたこの土地で、閉じ切ったこの土地で空を見上げる。
さんさんと照り付ける太陽に、頬を伝う汗を感じながら、俺はフーっと顔色を悟られないように息を吐いた。
暑いな、まったく。
いやー、まったく。
綾瀬さんは貢ぎたい!3(完結篇)
終章
『須々木の頬にも……おずおずと』
期末の結果は、わりと散々だった。
綾瀬にノート借りたし地元トップの国公立最難関学部A判定の倉刈さんに教えてもらってなおこれなので、うん。
俺のメンタル状態、推して知るべし。
「メンタルの問題なの?」
家のリビングで現実逃避気味にひさしぶりのソシャゲをやってたら、ふすまの隙間から俺をのぞく尋に心配された。
「そうなんだよ。メンタルの問題だろこれは」
「うわカワイソー。大丈夫お兄ちゃん? おっぱい揉む?」
「実妹の揉んだらむしろメンタルゲージ減るわ」
「ひどい! 生乳揉んでみなきゃわかんないじゃん一回揉んでみてよホラいまなら揉めるからわりといい感触だからホラちょっと触ってみてよ!」
「オイお前なんで服脱いでんだ。お前たしか呪いの祭壇の儀式ンときに全裸だって話だったよな」
「あっしまった」
「総点検入りまーす」
「待ってまってまってぇぇ!!」
ふすま越しに愚妹と攻防を繰り広げて。
日常に戻った俺は、夏休みも目前となったのでいい加減に授業を受け、だらだら過ごしていた。
期末の個票を送ったら父親からは「もう少しがんばりなさい」と来て、母親からは「私の現役時代は上位20番を切らなかった」と煽りが来た。
ちょっとへこんだものの、母も綾瀬ほどは成績よくなかったのかもなと思うと凹み率を若干、軽減できた。若干な。
「ところで、お兄ちゃん」
「ハァ、ハァ……なんだよ」
押さえ込むのに息を荒げていた俺の下で、グレーの色気ねぇパンツとキャミだけの尋がうつ伏せでつーんとした顔を見せながら言う。
「今日は綾瀬さん来る日じゃないの?」
「ん? ああ。そうだな」
「ごはんの準備いいの? あの人、いっつも魚持ってくるでしょ。米炊いとかなくていーの」
「今日は鯛持ってくるらしいからな。炊き込んで鯛めしにするんだよ、だから水は張ってるが炊く必要はねぇ」
「へぇー……」
「んだよそのしらけた目は」
「ずいぶんしっかり連絡取り合ってるなぁーっと思っただけ。いいんじゃない? 好きにすれば」
「めちゃくちゃつっけんどんじゃねぇか」
「なんでかわかる」
「知るか」
なんで怒ってるかわかる? 系の問いかけ全般が嫌いな俺はつっけんどんで返した。
すると尋はうがーと俺の下で暴れ、畳をばんばん叩いた。
「嫉妬だよ! わたしともちゃんと連絡取り合ってよ!」
「矢文でも撃ち込んでやろうか」
「どうせ矢なら恋の矢で射抜いて!」
「それ射手は結ばれる奴じゃなくて仲人的なポジションだろ……」
ぎゃーぎゃーうるさい妹と言い合いしながら、俺はふと時計を気にした。綾瀬の終業時間まではまだだいぶ間があるが、その前にやらねばならないことの予定を入れていた。
そろそろ予定の刻限なので、家を出なくては。
「おい尋。俺ちょっと、出てくるからな」
「話終わってないんですケドー!」
「始まってもねえよ」
企画倒れだ企画倒れ。
ひらひらと手を振って出ていく俺を、尋の文句が追いかけてきたが扉で遮断した。
エレベーターでエントランスまで降りて、のろのろと歩いて出る。すっかり日が長くなったので、十八時半を回っても外は明るく点灯した街灯もまばらだった。
「さていくか」
口に出して勢いをつけないと足が止まりそうだったので、あえて鼓舞のため言葉にする。
向かう先はこの春から何度も足を運んでいる場所。
通学路沿いを少し進んだあと、堤防に沿って歩き。何度か低いほうへと階段をくだって。住宅の築年数がだんだん嵩んでくる通りを行く。
やがて古めかしい細長い一軒家の並びまで来て、歩速を緩める。
「…………はぁ」
ため息をついた。
といっても気分が悪いとかそういうんではなく──いや広義の意味ではそうかもだが──とにかく。
やらざるを得ないことを、果たしに来ただけだった。
緊張する。
本当に、気が重い。気が進まない。
相手にどう思われても構わないくらいの、そういう覚悟がいる。
けれどそれが俺の選んだ道である以上どうしようもない──意を決して、インターホンを鳴らす。
分譲マンションでは聞いたことのない、素朴なベルが鳴った。
ややあってハーイと返事がして、すりガラスを張った引き戸に人影が重なる。
細身のシルエットで、ぼやけた像が映る。
それは、佐野。
シャツにウエストコートを合わせたいつものルックスで、俺を迎えてくれた。
「よう」
「ああ、須々木」
気持ちが秒ごとに期待と不安をシーソーしてるような顔で。
俺を迎え入れた朋友は、それでも最後にはにっこり笑う。
「あがってく?」
「いや、ここがいい」
「そっか」
引き戸の境界線を挟んで向き合った俺は、なんと切り出したものか逡巡して、わずかに視線を巡らせる。
三ヶ月ほど前、ここでばたばたしたっけな。佐野の背後に見える居間への入り口や、二階への階段。奥の風呂場への通路。
そこを見ると、あのときのことがまざまざとよみがえる。
「いろいろ、あったよね」
ほんの一瞬の視線の巡らしを目ざとく察して、佐野が言う。
俺はこくりとうなずいた。
「あったな。ホントいろいろと」
「最初は須々木、部活入って繋がりつくろうと必死だったね」
「未然に入部を防がれちまったけどな。結局校内での俺の立ち位置もへんな感じになっちまった」
「これだけ目立つ人たちに囲まれてたら仕方ないよ。目立つといえば、八雲さんの会社もだいぶ落ち着いたんだって?」
あー、このところはテストで、綾瀬や倉刈さんらとみんなで集まることがなかったからその辺の話はしてなかったな。
「みたいだな。いろいろ会社の評価が下がって苦労したみてぇだけど、やっと帰って来る目処が立ったとよ」
八雲さんと電話しながら綾瀬の課金がじゃんじゃらと増していたので、やっぱり親が帰って来るのがうれしいのだろうということが察せられたのは先日のことである。
「夏休みは家族二人、水入らずで過ごすってことなのかな」
「海行くとか言ってたぜ。まだ完治してねぇのに御手洗さんも連れてだそうだ」
「あのひと真夏でもあの暑そうなカッコだと思うかい?」
「あのカッコで汗ひとつかいてないのが想像つくだろ」
「たしかに」
「対照的に、我が家はインドアまっしぐらな夏休みだな。尋も相変わらずだし」
「……それで、ご両親は?」
「夏の間に正式に手続き進めるってよ。あ、俺は苗字変わらずだから名前の呼び方変更とかは必要ねぇよ? 安心しろ」
そっか、と佐野はただ、受け止めるだけの顔をした。
俺は頬を撫でる。
暑さのためか汗は流れている。自分がどんな顔をしてるかは、やっぱりとんとわからないが。
「やっと受け入れることが、出来ちまったよ。俺は家ん中をどうにかしたくて、でもどうにもならんかった。だから自分のことをいろいろ諦めてたんだな」
「ご両親の話をするときの顔は、そういうことだったんだね」
「ああ。やっと、吹っ切れた」
自分が無力だったと認めて向き合ってしまえば、今度こそ終わってしまい可能性がなくなる、と俺は思い込んでいた。
いくら指摘されてもその心根に気づけないほど、自分を騙すことが日常化してしまっていた。なんならいまでも、なにが自分の素なのか見失いそうなときがある。
でもそんなときがあっても、今後はなんとかなりそうな気がする。
だから。
だから俺は、けじめをつけなくちゃならない。
「佐野」
「うん」
「今日はお前の、俺への……告白を。断りにきた」
中原さんとこで、綾瀬が眠るあいだに放ったこいつの告白を。
自分ならば裏切らない、疑わせない、という言葉。
あらためて口にしたあいつのその告白を、俺はちゃんと向き合って、断るためにここに来た。
わずかに佐野の瞳孔が見開く。唇の端が震える。
息を押し殺して長く間をとってから、ようやく奴は口を開く。
「僕じゃ、ダメなんだ?」
「……付き合えない、って意味では、そうだ。ダメだ」
「はっきり言うなぁ」
左手で右ひじの内側をぎゅっと握り、うつむいて。
俺と視線を合わせないようにしてから、言う。
「……自分がラクになって、揉めることなく先に進みたいから、僕をフるんだ?」
「そうだ」
「ほんとにはっきり言うね」
爪先で足下のタイルをにじり、ため息をつく佐野。
「もう、ダメかぁ。こういう物言いで罪悪感煽っても通じないんだね、いまの須々木には」
「ごまかしたり茶化したりできない話だと思ってるからな」
「付け入る隙が無いなんて、可愛げないよ」
「そうは言うけどここで揺らぐような奴、お前は好きでいられんのかよ?」
「……それはもちろん、考えるけどね。でも同時に、どんな須々木でもいいから欲しい、とも思ってる」
「複雑だな」
「そうなんだよ。もう冷静じゃいられないんだ、僕。……ねえ、僕のなにがダメなの?」
「なにがダメとかじゃねぇよ。俺がどうしたいかどうなりたいか、なにが望みなのかで考えたときに、……俺は『絶対に裏切らない相手』じゃなくて、『絶対に裏切りたくない相手』を選びたいと思った」
「僕は裏切ってもいいってこと」
「最悪のなかの最悪の場合な。どうしても順番をつけなきゃならんときが来て、最後の最後で俺が自分のわがままを通したいと思うときに選ぶなら……だ」
俺の宣言に、佐野は震えた。
押し黙って数分の時が流れる。
いつもよりずっと、佐野が小さく見える。
俺がそうさせている。俺の言葉が、そうさせている。
やがて顔を上げた佐野は、
赤い目をして「重っ」と笑った。
「はぁー……や、わかってたんだけどね。須々木が、あの子の入れ知恵でお父さんのとこ訪ねるって言いだしたときには」
「わかってた、って。俺はそのときはまだなにも」
「ううん。内心、無意識では決めてたんだと思うよ。お父さんに会って、いろいろ指摘されて、長い年月で出来たわだかまりをほぐさないと出てこないような本心だったんだろうけど」
そのきっかけを作ったのがあの子なんだね。
言って、佐野は半歩下がると上がり框に座り込んだ。
「僕は踏み込めなかった。飄々としてていつも相手を尊重するきみを、超然としてるきみを、どうやって助けたらいいかわかんなかった」
だからきみの見せる冷たい顔に、そのまま引いた。
佐野は両手の指先を合わせて、手遊びをする。
「あーあ。素直にいまの気持ちを伝えると……悔しい。でもきみが本当にラクでいられるようになったなら、それはうれしい。もうきみがあんな冷たい顔をしなくて、いいのなら。その横にいるのが僕じゃないことが、本当に、本当にっ……残念だけど。それでも本当に、うれしい」
微笑みを浮かべて。
佐野は俺を見た。俺も佐野を見た。
「今後俺の行動が、どういう結果に終わっても。その冷たい顔はもうしねぇよ。きっとな」
「なら、よし。良くないけど。でもよしとするよ」
「本当に、複雑だなお前」
「1か0か、0か100かとかじゃぁないからね。……ただ須々木。だからこそ、言わせてもらうけどさ」
にやっと笑い、俺に人差し指をつきつけると佐野はつづける。
「最後の最後まで迷ってくれる程度には、僕の順番はかなり上位なんでしょ?」
「……勘違いさせるようなこと言うつもりはねぇけど、俺はお前のこと大事な奴だと思ってるよ」
「ふふ、うれしいな。じゃ──まだまだ延長戦だ」
「あん?」
「もうすぐエンディングが来るだなんて決めつけない。僕は最後の最後、きみが死ぬまでに横の席をかっさらうよ」
「えっ」
「高校生編は二番手に甘んじてあげるけどさ。大学生編とか社会人編だってあるわけでしょ、僕らの人生。そのどこかで横の席を奪って、そしたらきみの最期のときまでそのイスを渡さないのが、僕の新しいゴールだ」
火がついている。
本気の眼だった。
そして俺を指さす右手をぱっと開いて、佐野は手を取るようにうながす。俺がつかんで、奴を引っ張り起こす。
朗らかに笑う佐野は、卑屈さも謙虚さも遠慮のかけらもない。
「変な友達を持って大変だねぇ須々木。でもこれもひとつの運命だと思うからさ、どうか諦めてね?」
「っかしいな。俺自分のこといろいろ諦めてたのをやっと吹っ切れた、って話をしに来たはずなんだが……」
「そんなの須々木の事情と都合だよ。僕には関係ないね」
さらっとひどいこと言いやがる。でも表裏のないその言葉に、俺はなんだかほっとするような気持ちもあった。
ぎゅっと、握手したままだった手に力を込めて、佐野は不敵に俺をにらむ。
「あらためまして今後ともよろしく。きみの一番の友達にしていつか将来で伴侶になる女、佐野由紀だよ」
「後者の自称については受け取る気ねぇけど、一番の友達ってとこだけは同意してやる」
「えへへ」
「……ふはは」
俺は俺を好きな女をフって、あらためて友達を得た。
んで、路地の突き当たりにある佐野家から引き返して角を曲がったところで。
「こんばんは須々木くん」
「うわびっくりした!」
ぬっと影のように立ち尽くしていた倉刈さんに出くわした。
いつもと同じつややかなポニテを垂らし、制服姿で生足を大きくさらしている。腕組みしたまま塀に背をもたせかけていた彼女は、ゆるやかに腕をほどくと俺に向かって肩をすくめてみせた。
「二度も同じことをするのは気が滅入るでしょうから──私のことも、いまフった、ということにしてあげるわ」
描写ショートカット提案が来た。いや、倉刈さんにも折を見て正式にお断り入れようとは思ってたけどさ。
「というか、いまの佐野との会話ぜんぶ聞いてたんですか」
「さすがの私もそこまでデリカシーのないことはしないわ。ただ、今日須々木くんが佐野さんを訪ねる予定なのは把握していたし道中の顔つきから内容は推測できたもの」
デリカシーはあってもプライバシーへの考えはねぇんだよな相変わらずな。
でもそれも、この人なりに俺のことを想ってくれてでは、ある。
受け取り方に困る部分も多いけど。
「……『私たち三人が困っていたらどうするか』。答えは、出たようね」
「……はい」
あのとき、親父に会う前日話したことへの回答がようやく出来た。
答えません、なんて言ったが。俺は選択の責任を、ようやく自分で背負うことが出来るようになったから。
倉刈さんはじっと俺の目を見て、肩を落とす。
「いままでだって素晴らしい人だったけれど。もっと素敵な人になってしまったのね、須々木くん」
「素敵って言葉に『なってしまった』って言い方が付くことあるんだ……」
「よく『男を装飾品みたいに扱う』という言い回しがあるけれど。私が思うに、女にとって男は完成された装飾品というよりも、宝石の原石なのよ」
「あ、自分で磨き上げたい的な」
「そういうこと。私はそうして、あなたの素晴らしさの一部になりたかった」
はにかんで、倉刈さんはサイドバングを指にからめた。
そしてはたと手を止める。
「あら。でも佐野さんが延長戦と言ってたのだから、私も諦めずに『なりたい』と言い換え続けてもいいのかしらね」
「そりゃまあ俺としちゃ自由だと言うしかないですけど……っていうかやっぱ聞いてたんじゃねーかさっきの会話」
「『ぜんぶは』聞いてないもの」
「揚げ足とるなぁ」
「というか最後の方の佐野さんの物言いは私に聞かせるためもあったんでしょうね。こちらに気づいてる様子があったから」
「え、そうなんですか?」
「『一番の』友達だなんて私に喧嘩売るようなことを言っていたでしょう」
アレ牽制だったのかよ。いろいろ呑み込んでから強がりを吐いた、って感じのいいセリフだと感じちまってたぞ。まさかジャブの機能を持たせていたとは。
「それで須々木くん」
「はいなんでしょうか」
「私は何番目の友達?」
ひとに順位付けするとこういうこと発生するから避けてたんだよなぁ俺。
「冗談よ。固まらないで」
「いや……選ぶ責任は負うと決めたので」
「えっ、答えるの」
「はい。倉刈さんは」
「ストップ」
「え」
「…………やっぱり、聞くのはこわいから」
静かに、深呼吸していた。
超然としているようでやっぱりこの人も、こういうところのギャップがある。
「大体さっきのは、リップサービスというものでしょう」
「さすがにその見方は佐野が可哀相でしょ……」
「それにあなたの中の一番がだれであれ、私の中の一番があなたということは変わりないもの。これからもゆるぎない気持ちをあなたに捧ぐわ」
「……そうですか」
「ええ。私も、延長戦」
含みの無い笑みを俺に見せて、彼女は言う。
「いつかあなたやあなたの大切にしているものを守り、助けられるように。あなたの傍に在りつづけるわ」
「……倉刈さん」
「なに?」
「本当にずるい物言いになるんですけど。でも本心なんで、ちゃんと言葉にしますね」
向き合って俺は背筋を正す。
笑みにわずか固まったところを見せた倉刈さんは、それでも健気にこくんとうなずく。
「俺にとって一番の先輩、ですよ。倉刈さんは。もしもみんなが三人同時に困ってたら、俺は佐野と倉刈さんのことを、あいつの次に全力で助けるでしょう」
「……本当にずるい、言い方。大衆に向けて口にしたら大炎上しそうなセリフね」
苦笑して、倉刈さんは一歩詰めてくる。
俺の手を取り、両手でぎゅっと握り締めると自分の額に当てがった。
「でも、私にとってはうれしい言葉よ。もっともうれしい言葉、ではないけれど」
いまはそれで我慢しておく。
そう告げて、倉刈さんは離れていった。
「また明日、須々木くん」
「ええ、また明日」
俺たちの日々は、つづく。
#
そうして俺は帰宅した。
エントランスでちょうど綾瀬と出くわしたので一緒にエレベーターで上がり、尋からは「なにお迎えとかされちゃってんの? この女ぁー!」と猿のように飛び掛かられ「あわわわわ」とあたふたしている綾瀬を庇い。
それからいつも通りに夕飯を食った。
にぎやかな食卓で、俺たちは憩う。
もうすっかりおなじみの風景。
お前が居るのが日常だ、と俺は綾瀬に言ったが……あのときはその言葉にそれほど重みがなかった。重みというか実感か? まあともかくも。
穏やかに過ぎる時間に。
取り繕わなくていい時間に。
心底俺は、居心地のよさを感じている。
いろんなことに対していつも自信なさげな綾瀬だが。
俺の横でしあわせそうにしている……ということにかけては、多分絶対的な自信があるんじゃないかと。うぬぼれ半分、そう思った。
やがて綾瀬が帰る時間が来たので、「下まで見送るわ」と俺はついていく。
「恐れおおいです……須々木さんにあたしなんかのために、天上から降りてきていただくなんて……」
「天上ひっくいなオイ。七階で天上ならとっくにこの世はもっかいバベルだよ」
「はっ。もし言葉が通じなくなったらあたし、どうやって須々木さんを称える意志を示せばいいんでしょうか?」
「そんな末世状態のときに称えられてると宗教の教祖感すごいからとりあえずやめろ」
アホな会話をしながら。
俺たちはエントランスを出る。まだ御手洗さん運転はできないようなので真雁さんが迎えに来る。あの人は定刻通りに動くタイプなので、あと八分はあるだろう。
むっとした暑さ伴う湿気に頬を撫でられる。もうすっかり夏だ。
街路樹の青さもいよいよ極まってきて、真っ盛りという感じである。三ヶ月ちょい前にここで綾瀬と出くわした時は、桜見ごろだったのに。早いもんだ。
「須々木さぁん。風が気持ちいいですよ」
少し吹いた夜風を拾った綾瀬が、ローファーをこつりと鳴らしながら俺を振り返って言う。
金に近い色の長い髪がふわりと風に流れた。
小さな顔の輪郭が一瞬隠され、すぐにあらわになる。くりくりとした瞳が俺を射抜く。
華奢で背も低く、けれどセーラーを押し上げる膨らみだけは年齢に比して明らかに発育がいい。
いつもソシャゲでガチャ課金するのが呼吸のようになっていて、
感情ゆたかですぐ気持ちがこぼれそうになっていて、
俺にやたらとなついている、彼女。
可愛い。
そう、あらためて考えるまでもなくこいつは可愛いのだ。
でも俺の中での感覚が、少し変わってきている。
ぶっちゃけこれまで俺の内側にあったのは、親愛7:性欲3って感じで。まぁわりとローテで夜間の妄想に御出演いただく程度には、風呂入ってるときバッタリ遭遇してやりたいとかそのデカい乳どうにかしてやりたいとか考えていた。
いまも考えてないかっつったら、考えている。尋が居ない日にウチで夕飯とかなったらどうにかそういうのしてもいい空気に持ちこめねぇか? くらい考えている。わりと頻繁に。
でも。
それだけでも、なくなってきている。
「お前、ゴールデンウィークのときにさ」
「はい?」
「ちょうどいま立ってるそこで、佐倉の制服着て黒髪にしてきたよな」
「しましたね。あ、もしやもう一度あの恰好を見たいということでしょうか? 待っててくださいすぐ用意します!」
「しなくていいしなくていい。そうじゃなくてよ……どんなカッコしてようが、やっぱお前はお前だなと思ってさ」
たとえば明日から急に綾瀬がクソダサTシャツ趣味に目覚めたとしても、俺は「ダセェなぁ」とは言うだろうがそんだけだ。
ばっさり髪を切ったとしたら「なんかあったか」とは訊くだろうがそんだけだ。
もっと言えば、仮に呪いによってまったく別人の姿になったとしても。動揺はするし元に戻そうと努力はするだろうが……なんとなく綾瀬だとわかるような気がする。
気がする、だけだが。
その不確かな確信が、俺には妙に大事で。
「綾瀬、俺さ」
「はい?」
「期待することって、呪いだと思いこんでたんだよ」
抽象的な俺の話に、綾瀬は耳を傾ける。
「こうなったらいいな、こうであればいいな。そういう都合の良い妄想は、自分を縛り付けると考えてた」
だから軽薄な期待しか持たないようにしてた。
もう失望も落胆もしたくない。
だったらあるがままなされるがまま。すべてを受け入れればいい。
つまり彼女がほしいなんて願望も、正直どこまで本気だったか。家庭もうまく保てなかった俺が他人とうまく関係を築けるか? なんてことも考えてたからな。こっちはわりと本気で。
「だからまぁ。お前に俺、『素を出せ』ってこと話したけどよ。じつのところ俺自身が一番素でなかったっつーか、素を見失ってたわけだ」
「そんなに、ですか」
街路樹の下からててっ、と詰め寄って来る。俺はポケットから出した手をぷらぷらさせながら、綾瀬の手元を見つつ言う。
「自分の本心を外に出さないように気をつけすぎたのかね? 親父もお袋もつかれてたし、世の中にゃもっとダルい人生のひと多そうだし。加えて俺の事情は話したってどうにもならんから……言っても相手を不快にさせるだけで解決もしないなら、言わなくていいと思ってた」
そうしていつの間にか、自分でも本心が、望んでることが、よくわからなくなっていた。
自縄自縛。
自分を呪って、誰かに期待しないように。高望みしないように。己を深く押し込めていたわけだ。
「それは決めつけですし、思い込みですよ」
綾瀬は微笑む。
もう自分を縛らない彼女が、そこに居る。
「『たいしたことじゃない』、っていうごまかしです。本人からしたら、絶対にたいしたことなのに。周りと引き比べて、顔色をうかがいすぎて、そうなっちゃったんです」
そう言って俺の前で軽く身をかがめ、下からのぞきこむようにする。
「自分のことを『大変だ』とちゃんと思えること。すごく、大切ですよ」
「……らしくもねぇセリフだな」
「ば、バレちゃいましたか? じつはこれ、借りてきた言葉ですので」
「おいマジか。さすがに借りパクだとは思わなかったぞ」
「えうぅ。じゃあそのー……借りパクはよくないので。お返しします」
「いや虚空に返されてもそのセリフの方が困るだろ。行き場ねえだろ」
「須々木さんがお受け取り下さい!」
いつものように会話して。
ああ、これが俺の素なんだろうな、と感じる。
自分を見失ってもたぶんこいつの前なら帰ってこれる。
そんな、安心がある。
……うん。
だから親愛とか、性欲だけでもなくなってきてる。
いまだってホレ。前かがみになってきたけど俺は谷間に目を奪われなかったぞ。どっちかってーとちゃんと顔を見た。こいつとの相互コミュニケーションの方が大事だと思えたからだ。まさに理性の勝利である。
そんな相手は、
こいつだけだと思えたから。
「はー……ったく、変な会話しちまった。気はほぐれたけど」
「ほぐれましたか」
「うん。んで、本題だけどよ。──つーかお前、基本的に空気に鈍い奴だけど。いまはなんか察してたりは、するのか」
「……えーっとそれはそのそれなりにというかなんというか」
さすがにこいつなりに俺がなんか話そうとしてるのは察したらしい。
鈍感発動してくれてたら、もうちょっと話しやすかったような気もするんだが。まあいい。
なんにせよこっからは、俺が踏み込むしかねぇんだから。
大きく息を吸って。
目の前の綾瀬と目を交わして。
手持ち無沙汰な両手を身体の脇に流して。
真剣に、言う。
「俺さ。……お前のこと、もっとよく知りたいと思ってるんだ」
「は、はい」
「知って、期待したいと思ってる」
「はい……」
「あと、ちょっと重いこと言うぞ」
「……、」
「俺、彼女だの恋人だのっていうより。……家族が、欲しいんだと思う」
めちゃめちゃ一足飛びだが。でもそういうことだろう。
俺が裏切りたくない相手、期待したい相手と、そういうかたちを求めている。
……いやー我ながら重いし恥ずかしい。
でも底の底まで自分の中を浚って、考えて、本当に望んでることって考えると。単にお付き合いしてキャッキャして、ってだけじゃなくちゃんと暮らして互いを尊重し合──考えれば考えるほど重いわキメェな俺。それにべつにキャッキャしたくないわけじゃねぇしな。
ともかくも。
「お前がなんで俺のことを好きになってくれたのか。そっから、知りたい」
出来ればそこを、見失わない自分の素、としていきたい。
そんな俺の出した結論に、綾瀬は。
口を真一文字に結んだまま、じっと俺を見上げていて。
やがてまばたきしていなかった大きな瞳から、
音もなく涙がこぼれた。
はっとして、自分で頬をぬぐう綾瀬。しゃくりあげるとかはなく、ただ本当にすっと涙だけ出ていたらしい。
「え、あ。やだ、泣きたいわけじゃ……あぅ」
しばらく手の甲をべたべたにして、えうえうと涙を拭いて。綾瀬は、あー、と大きく息を吐く。
それから感極まった様子で唇をむずむすさせ。
両手を広げたかと思ったら──思い切りぶつかるように、俺に抱きついてきた。
軽い。でも一部だけ本当に重い。腹に押し当てられるおっぱいに頬が緩みつつ、それでもやっぱり、性欲だけじゃない安心とか安堵を強く感じた。
俺も背中に腕を回す。うわ体温高ぇわ暑っ。夏場って人間同士でべたべたするような季節じゃねぇよな。でもいまはそうしたくてしょうがないので、しょうがない。
やがて綾瀬はおずおずと。
俺の横顔に、唇を寄せた。
「……不束者ですが。僭越ながら、語らせていただきます。……長く、なりますよ?」
「じゃあ、迎え遅らせてもらうか」
「遅らせるより、そのぅ」
もじもじと、綾瀬は震えて。
「……泊めて、もらえたらなと。須々木さんさえ、よろしければ」
「へ。あ、ああ。まぁもちろん、構わねぇよ」
「ありがとうございます。とても、語り尽くせない気がしますので! ……夜は、長いですよ?」
へらりと笑って、綾瀬は半歩離れた。
俺たちは手を繋ぎ、来た道を戻りエントランスへ向かう。
慣れない二人歩きにぎくしゃくしながら、俺はちらりと横を見る。
……うん。
理性の勝利とか、安心と安堵とかもさっき述べた通りなんだけどさぁ。
このタイミングで完全に煩悩消すのは無理なわけよ。今度こそ俺は上のアングルから、谷間をチラ見してしまった。
だって時間は夜。互いに距離を詰めたタイミングで。「夜は長い」などと宣言されると……どうしても、ねえ? 若干ね。そういう空気になるんじゃないかという気持ちの芽生えがな。
「──気づいて、ますよ」
「は?」
ドキっとして、俺は眼球だけ横に動かしていたのをギュルンと正面に戻す。
しかし横からしっかりと、俺の顎のあたりを見上げている視線があるのが熱のように伝わってきている。
お、おう。
さすがにこんな良い雰囲気のあとで下心バレるのは、ちょっと気まずい。顎に冷や汗、伝う。
「というか……その。わりと、最初から」
その汗を見て不憫にでも思ったか、綾瀬が視線を外したのを感じる。
って、え? 最初?
最初って、なに?
「さ、最初? どの『最初』の話だ?」
「いえそのっ……。ですから、最初の最初と、いいますか……」
エントランスの自動扉を抜けつつ、ちらっと後ろを振り返る綾瀬。
街路樹の根元あたりを見ている。
俺が樹から綾瀬の顔に視線を戻すと、空いていた左手で顔を隠しながら……おいやめろ目元だけ隠すないかがわしい店みたい、っていうかお前めちゃくちゃ顔赤、
え?
えっ。
……え。
ま、まさか最初って……
「……出会った時からいつも、ご覧になっているなぁとは。感じて、いたのですけど」
かーっと紅潮した頬の綾瀬。
血がのぼってぶっ倒れそうになっているようにしか見えない顔で。
「その。須々木さんさえ、よろしければ……」
足を止めた綾瀬。きっ、と顔を上げ。
エントランスの扉が自動で閉まっていくのを横目に見て、外から見えなくなるのを確認してから。
俺の襟元を引き寄せ、爪先立ちになると、
唇をそっと────
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その頃のあたしは、自分が退屈していることにすら気づいていませんでした。
「今日も、終わっちゃいましたねぇ」
椅子とベッドくらいしか物のない部屋でひとりごちて、スマホを投げ出します。
それはノルマのようなもの。
お金と時間にものを言わせてあらゆるアイテムや作中特典を手に入れて、ある程度やりこんだら放り出す。
そんな半端な過ごし方をしていても、お母さんはなにも言いませんし。むしろお金を使ってくれることについて、よろこんでいるようでしたし。
だったら、まあ。
ソレで、いいのかなぁって。
ずっとそうしてきたのですけど。
その日はたまたま、本当に気まぐれに。普段ならやらない、「ほかのプレイヤーに話しかける」ということをしてみたのです。
その日のゲームはプレイしはじめてまだ一週間でしたが、運がよかったのか引けるものはすべて引いて、もうやることがなくなっていました。
だから訊いてみたわけです。
『次は、なにすればいいんでしょうか?』
『え、ゲーム以外のことやればいいんじゃないですか』
ゲームしにログインしてる人に対して、なかなかズレたことを勧める人だな、と思いました。
『とくにやることないのでゲームしてるんです』
『ふーん。でもそれ、やることがないのであって、やれることが無いってぇわけじゃないんでしょ? だったら興味あることかたっぱしからやってみるとか』
『興味あるもの、とくにないんです』
『興味あるのはゲームだけ?』
『いいえ。ゲームもまあ、それが出来ることだからやっているだけといいますか』
『出来ることだから』
『ええ。欲しいからやってるとか、そういうのではなくて。あんまり物欲もないんです』
お母さんのことなど、うちの説明までするのが手間に感じたので、そのように返しました。
すると長考。
返信にさっきまでより時間がかかって。ややあって、こう返ってきました。
『大変なんすね』
時間が掛かった割にあっさりとした言葉でした。
『大変、でしょうか』
『だってこんないきずりの相手に人生相談するなんて、大変なんだろうなと』
『これ、人生相談なのでしょうか?』
『あ、そっからなんですか』
ただ吐き出しただけのつもりだった言葉を、その人はそう言って受け止めて。
『自分のことを「大変だ」って自分で思えること。結構、大切なことですよ』
あたしがじつは大変に困っていた、ということを、あたし自身に気づかせてくれました。
『自分のなかでこれは悩みじゃない、たいしたことじゃない、とか決めつけてるのかもしれないですけど……周りに話せないんだとしたら、「話したら周りに影響が出る」と感じてる程度にはたいしたことなんだ、と思いますよ』
欲しいものがとくにない、というのをそれまであたしは「単に、そういうもの。感覚」と片付けていました。
でも日々常に頭の片隅にあって気づくと考えこんでいる、ソレ。
ソレを人は『悩み』と呼ぶのだと。『大変』と呼ぶのだと。
その人は気づかせてくれました。
……あのとき話しかけた相手が他の人だったら、この回答を得られたのでしょうか?
もしかしたらそうかもしれません。別の人でも、同じ答えをくれたかもしれません。
でもあたしには、その人でした。
その人だけが、あたしにちょっとだけ踏み込んで、外に開いてくれました。
だからあたしはそれを、すごくすごーく、運命的なものだと思ったんです。
……重たいなぁとは自分でも思いますよ、ええ。ゲームの上でほんの少し話し込んで、それきり。しかもそのゲーム自体も相手はあんまりログインしなくなってしまった。手がかりなんてほとんどない。
ただあたしには、時間とお金はあったので。
ゲーム上のデータをありとあらゆる隅々までかき集めました。その人に情報保護の意識がなかったとは言いません。こちらが無茶を通しただけです。
そこから細い糸をちょっとずつちょっとずつ手繰って。
ついにはたどり着いたわけです。
マンションの前で、待ち構えたわけです。
はじめてあたしが、心の底から『ほしい』と思ったもの。
それは、その人でした。
エントランスから出てきます。
調べを進める中で手に入れた写真で、ずっと眺めていた顔。
いつもちょっと困ったふうな顔で、気苦労が多いのか冷や汗かいてばかりの人。
どうやって好意を、伝えればいいんでしょう? 気ばかり逸ってしまってそのあたりをすっかり失念しておりました。
そして我が家における好意の表し方というのは、まあ。ひとつしかないわけで。
当たって砕けましょう。
なんとなくですが、それでもあの人は──受け入れてくれる、ような気がする。
「須々木さん、ですよね?」
あたしはおずおずとたずね。
そして、名を名乗り。
深く息を吸って。
はじめまして──
──好きです。
「あたし、第一印象から、決めてましたっ!」




