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苦あれば……落あり(その1)


『…………私だ』


 えらく元気のない声が、ひっそりと耳に届いた。俺はスマホをつかみ、スピーカーホンにする。


「ちょっ、御手洗さん大丈夫なんすか? なんか敗北したって聞いて、そのあと街で変なまじない師みたいのに会ったりもしたんですけど」


『ああ……いまは、大丈夫だ。向こうの依頼が先刻、六月三日までの契約だったようでな。日付をまたいだから私への攻撃も止んだ』


「そう、だったんですか」


 いや依頼て。


 なに、そういう裏社会的ななにかしらの陰謀だったのそれ。綾瀬家ってそういうレベルのものに狙われる環境なの。金持ちも大変だな。


「んで、復帰はできそうなんですか」


『少し時間がかかるな……いましばらくは須々木の、お前のところで綾瀬のを預かってもらいたい。頼めるか』


「まあ……べつに、」


『タダとは言わん。今後お前の依頼ならなんでもひとつ、可能な範囲で引き受けてやる』


 うちには『タダより怖いものはない』って家訓もあるんだけどね。


 つーか口ごもったのは、引き受けたくなかったからじゃない。この人の口から「頼めるか」なんてお願いが出て来たことが、不調そうな細い声音よりなによりコトの深刻さを物語ってるような気がしたからだ。


「大丈夫ですよ、綾瀬たちは任せてください」


『恩に着るぞ。戻れる状態になれば……また、連絡する。しかし、ダメージが深くてな』


「そんなにやられたんですか」


『両手足を折られて内臓もいくつか割れた』


「トラックにでも轢かれたんすか? ていうか法律は仕事してないんですか?! 助けて法治国家マン(警察のみなさん)!」


『あいにく表の世界の法はこちらではほとんど通用しないのでな』


 理屈の上じゃ納得してたけど、やっぱあの人アウトローで常識通用しない世界で生きてんだなぁ……つーか両手足折れててよく電話できてるな。


『這って移動して顎でスマホを操作している』


「こっちの心読んで生々しい描写を突っ込んでこないでくださいよぉ……」


『ともあれ、頼んだ。……お前たちにも迷惑をかけるな』


「べつにいまさら、綾瀬がうちで生活するくらいは大したことでは」


『いや。先に謝っておくが、それだけでない』


 改まった態度で御手洗さんは息を吐いた。


 俺もなんとなく、布団の上で居住まいを正す。


『綾瀬家に向いており私がこれまで弾いていた『呪い』とは、ひとえに恵まれた環境に対して他者が発する悪意や思念……そういったものが引き起こすマイナス現象だったわけだが』


「はぁ」


『私はそもそも、引き起こされる現象の一歩手前。悪意や思念の段階から、奴らの家にソレが訪れないよう弾き逸らしていた』


「なるほど」


 あれか。料理でたとえるならちらし寿司があんま好きじゃなかったとして、食卓にちらし寿司完成体が届くのを弾くのではなく、材料が揃った時点で冷蔵庫から排除する的な。


『しかしこれからは桜でんぶや干しシイタケ、キュウリ、いくら、レンコンや酢の状態でも降りかかってくる』


「ふむふむ」


 もうめんどいので心読まれてることは突っ込まずスルーした。つか骨バキバキで臓物プチュプチュの割によく喋るし元気だなこの人。


『つまりだ』


 御手洗さんは、簡潔に今後の俺が気を付けるべきことを告げた。


        +


 次に学校へ行ったときに、御手洗さんの危惧は現実のものとなっていた。


「ドリズルコーポレーション、株価大暴落だってよ」


 教室の端の方に席がある俺にも、はっきりと聞こえてくる声だった。


「不正取引が見つかったとかだっけ」「いま一番上の人間が飛び回って謝罪会見だってよ」「なんか見たことある顔が謝罪してるように見えたな……」「そりゃそうでしょうよ」「毎日娘の顔は見てるわけだしサ」「にしても、悪いことするもんだねえ」


 べつに聞こえよがしに言ってるわけではない、っつーか。


 そんなもんがスタンダードだとは認めたくないが……そもそも、こんくらいの空気が『普通』なのかもしれない。


 綾瀬は超資産家の娘で軽率に現ナマ振り回せる上に見た目と学力も整ってる、ほぼ完璧超人だ。完璧の璧に傷がついたとなりゃ、自分の親しい人間でない限りああしてゴシップに走るのは当然のこと。


 いままではそういうのがなかった──それこそが、御手洗さんの功績だったんだろう。


 呪いが顕在化する前に、こうした暗い思念や悪意の段階で綾瀬に届かないよう、なんかしら術だの式だのかけていたにちがいない。


「それがなくなりゃ、こんなもん……ってことか」


 いままでがイージーモードだったんだなと思いながら俺はぼやく。


「でも本人不在だからって、あんまり往来でああいうこと言うのは良くないと思うぜ」


 俺はぼやく。


「言うならせめて相手関係者がいない場所でひっそり。つぶやきとリプとかでやり取りした方がいいんじゃねえか」


 俺はぼやく。


「でないとやっぱ、気分良くねえ奴もいるわけだからよ」


 俺はぼやく……


「……いやおい、須々木。耳元でぼやきつづけンのやめれ。悪かったってば」


「わかってくれりゃいいんだ」


 呪詛のようにボソボソと耳元5センチで言うのが効いたのか、綾瀬情報を井戸端会議してた奴らは三々五々に散った。


 俺は自分の席に戻ると、やれやれと被りを振る。


「……須々木、僕にはキレるなって感じで迫ったくせに。自分はわりと半ギレで迫るよね」


「べつにキレてねえだろ」


 前の席から振り向いた佐野が言うので、心外だった俺はそう返した。


「悪口は聞こえないところ、それこそネットでやれっていうマナーを講義してやっただけだ」


「だからソレ、僕もまったく同じ動機で立ち上がったんだけど。なんで僕のときはなだめに来たのに自分は全力で突っ走るのさ」


 自分のことは言われてても大して気になんねーもん、


 という本音が出かけたが、これを口にするとたぶん佐野がヒートアップすると思われたので黙っておく。


「ま……そういうのが須々木らしさなのかもだけど」


「文句言いつつなんだかんだで旅の最後まで付き合ってくれる相棒ポジションっぽいセリフ回しだな」


「そこを意識してるからね。でも綾瀬さん、クラスでは大丈夫なのかな」


「安心なさい」


 いつのまにか俺の背後に腕組みして立っていた倉刈さんが言う。佐野が「出た、須々木のスタンド……」とぼやく。スタンドだとしたら自動型だろ。まったく制御できないもん俺。


「今朝がたHRの前に教卓に立って『みなさん。学生の本分は、勉強することよね』と説いてきたの」


「ははぁ」


「そうしたらみんな、すごい意欲で自習に励んでひとことも私語をしなくなったわ。お手洗いにすら立っていないようだから、少し心配だけれど」


「…………、」


 たった一言で深読みさせる能力が強すぎる。『これ、その本分とやらから外れたらエラいことになるんじゃないのか?』と忖度させるだけのプレッシャーが、倉刈さんにはある。


「まあ、綾瀬になにも無いようならいいんですけど」


「本当にね」


「あ、綾瀬さん来た」


 佐野がぼやくと同時、教室のドアを開けて綾瀬がぽけぽけと登場した。


 とくに表情に変わりはない。状況を気にしていないようだ、と思って俺たちは安心する。


「須々木さんっ、今日のお昼はどういたしますか? 朝ご用意いただいたあたしの分のお弁当、もったいなくてとても開けられないのですが……」


 この発言に周囲がどよめいた。俺も「ばっ……」と言いかけた。「馬っ鹿お前一緒に住んでるのバレるじゃん」の略だ。


 だがそこで颯爽と、佐野と倉刈さんが俺に背を向け周囲を威圧するように進み出る。


 彼女らの手にも、弁当が掲げられていた。印籠みたいにするのやめてくんない?


「綾瀬さんの言葉に深い意味はないわ」


「僕らも一緒に手伝ってつくった、共同製作のお弁当だからね」


 …………なるほど…………? という、周囲の人々のどのように納得していいかわからない空気感が波紋のように広がった。須々木家の台所事情は混迷を極めるばかりだ。


 ともあれ、二人が味方してくれているので綾瀬の学校生活にさほど影響は出ない様子。


 やっぱ持つべきものは友達だな、と十人並みの感想を抱きながら、俺は三人と机を囲んで飯にした。


 悪意だの風評だの、呪いに負けることはない。


 このときはそう、信じ切っていた。


 俺は重要なワードを聞き逃していたのだ。


 あのひとはいつも重要な伏線をサラっと発言の中に混ぜる……。


 御手洗さんは『迷惑をかける』対象としての言葉に、『お前たち』と言っていたのに。


        +


「あ、メイド長。今日バイト休みですか? ……えっ。うそ、いやそんな。ええ……?」


「あら、姉さん。なにか用……え。ちょっと待って落ち着いて。早まらないで」


 放課後、帰り道の二人へほぼ同時に電話がかかってきた。


 御手洗さんにああ言われた以上、まだしばらくはウチで泊まりですかねーなどと話している矢先のことだった(ちなみに風呂は結局この数日、銭湯で済ますことになった。チッ)。


 あわてた様子で電話を受けている二人。


 その様子をこわごわと見つめ、本人も知らずか無意識か、俺の半袖を引っ張る綾瀬。


 やがて佐野と倉刈さんは、気まずそうな顔でこちらを見た。


「バイト先が泥棒入られたって。私物チェックしてほしいから、今日来てくれって」


 マジか、そらヤバいな早よ行けよ、と俺は佐野にうながした。


「私は東京の姉がさいきん追いかけていたアイドルに身バレして、訴訟沙汰になりそうって」


 マジか、そらヤバいな姉妹揃って家業のスキル悪用かよ、と俺は半目で痙攣しそうになった。


 ともあれ倉刈姉さん、相当追い詰められてるようなので行かなくてはいけないらしい。


 申し訳なさそうに去っていく二人。


 残されて、俺の後ろで。


「綾瀬、袖伸びる。ってかノンスリになる」


「あっ!? ごごごめんなさい須々木さん、すぐに新品二着で倍返ししますので!」


「いらんわ」


 くしゃりと手の跡が残る袖口に、奴の動揺の程がうかがえた。



 夕刻。帰宅してからも綾瀬はどこか上の空だった。


 さすがに呼吸に等しいため手はいつもどおりじゃりんじゃりんと課金にいそしんでいるが、心ここにあらずで遠くを見ている。


 ……原因は明白だ。


 俺らのクラスでも起こっていた井戸端会議。そうした風評に対する、朝っぱらからの倉刈さんの乱入による牽制。その後におとずれた、佐野と倉刈さんへの凶報。


 これらのあまりに連鎖する事柄に、感じるところあってのことだ。


「口先だけでどうこう言える問題じゃ、ねえよなぁ」


 うーんと考え込んでいるうちにスマホのアラームが鳴る。おっと、もう尋を迎えにいかねえと。ついでに、佐野も店のほう落ち着いてたら拾っていくか。


「綾瀬、いこうぜ」


「あ、はい」


 なんとなくひとりにしておくのもしのびないので、連れだって出かける。


 だが道中も奴は口数少なく、いつもと同じ道のりがやけに長く感じた。


 やがて中原さんの図書喫茶が見えて来たときには、ほっとしたくらいに。


「ういーす。愚妹を迎えにきましたー」


 からころとドアベルを鳴らして中に踏み込む。紙とインクとコーヒーの匂いが漂う落ち着く店構えの奥。


 いつも通りに柔和な笑みをたたえた中原さんが、うちの愚妹の背を押して帰路につかせてくれる──と思っていたら、なにやら中原さんが深刻そうな顔だった。


 え? 


 え??


 お前、まさか……


「申し訳ないです中原さん、こいつまた祭壇作ってここでおまじないをしたんじゃッ……!」


「しないし! あの祭壇の儀式、全裸でやらなきゃいけないんだから!」


 猛反論してくる尋だがむしろそのセリフのせいで、中原さんはこの世のものとは思えないものを見るような目で我が愚妹の姿を二度見していた。こいつ近いうちにここで働けなくなるだろうな……つかあの儀式全裸だったのかよ、八雲さんと対決する直前のあのシリアスなシーン、ふすまの向こうでお前全裸だったのかよ……。


 まあそんな俺の個人的な落胆はさておいてだ。


 中原さんは俺らの会話に突っ込まず待機していた。


 ……うん。ガチのシリアスっぽい空気だった。


「……え、あの。こいつが本当の本当に、バイト中に許されざる粗相をしたとか……」


「そういうんじゃないの。あのねえ……、尋ちゃんのお兄さん。じつを言うとね、尋ちゃんのバイトっていうの……あれ、嘘なのよ」


「へ?」


 申し訳なさそうに中原さんは言った。


 尋はその横でうつむいていた。


「嘘……ですか?」


 固まっている俺の代わりに、横に来ていた綾瀬が問う。綾瀬の手は、また俺の袖に添えられている。


 中原さんはこくりとうなずくと、奥の席に俺たちを通した。


 そこにいたのは。


 俺らと同じブラウンの髪をセミロングに伸ばし、くたびれたパンツスーツで静かに両手で抱えたコーヒーカップを傾けている女。


 目尻の皺増えたか? 手の甲もカッサカサしてんな。ケチらず食洗器買えっつったのに悪い倹約グセまーだ出てんのか。


「お袋……」


 俺の外見描写が減る対象は基本的に身内である。


 カップの水面から視線だけ上げた母は、ズズズとすすりながら左手だけ離して軽く掲げた。視線が横に動き、綾瀬を捉える。首をかしげたが、結局すする口は止めなかった。


 ひとくちで半分ほど飲んだ母は、おもむろにカップをソーサーに置いてかちゃりと音を立てた。


「私と会うために、尋はここに来てたってなワケだよ。アンタにはバイトだって、ウソをついてね……中原さんは古い馴染みだから、協力してくれたの」


 俺の呼びかけに「ひさしぶり」の一言もなく、相変わらず蓮っ葉な口調の母は机に片肘ついて身を乗り出し、俺たちに席を勧めた。


 ただ椅子が二脚だと綾瀬が立つことになるので、ひとまず俺たちは立ったままで首を横に振る。ふうん、と言って母は席を立った。どうやらそのまま帰るつもりらしく、ハンドバッグやストールをまとめている。


「あのさぁ、お兄ちゃん。尋には前々から話してたんだケド」


 荷物を片付けながら、「ゴミ出ししといて」くらいの軽さで母は言う。


「私とお父さん、離婚するから。いまさらなコトだけどね」


 ストールを巻くと、尋の頭をくしゃっと撫でて通り過ぎる。


「まぁ直接言う方がこういうのは、いいでしょ?」


 じゃ、と片手をあげて母は狭い通路を、俺を押しのけて出ていく。


 尋は後方へ去っていく母と俺を交互に見る。びっくりするほど不安げで真っ白な顔だ。


 綾瀬も同じくらい白い顔をしている。二人に両側から挟まれて、さて俺はどんな顔でしょう。オセロだったら俺も白になるんだろうが。


 んー。


 あー……。


「やーっぱ家訓、守れねえなぁ」


 俺は頭を掻く。


 いくつもある家訓、父が幼いころから聞かせてきた言葉。


 だがそのうちひとつ……最初の一コ目が、俺たちは守れていないのだった。


 家訓その一。



『家族、仲良く』という、家訓を。


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