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心臓は未だかえらず  作者: みなべゆうり
11.手繰り寄せたもの

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11-2

「──グレン、聞いてました?」

「聞いてなかった」


 われに返ると同時に正直な返答を口にすれば、外套を脱いだモニカがにこりと微笑む。

 彼女の後ろに広がる豪奢な背景を見て、グレンはようやくここが大公夫妻の別邸であることを思い出した。ちなみに金の装飾や絵画で埋め尽くされたこの場所は、何と特別な大広間でも何でもないただのエントランスである。

 どんな金の使い方してんだとグレンが一足遅れて目を眩ませる間、モニカは外套を預かってくれたフォルクハルトに礼を述べつつ、わざとらしく頬を膨らませた。


「全くもう。大公殿下が既にこちらにいらっしゃるそうなので、ご挨拶に行きますよ」

「ああ……いきなり会えんのか」

「妃殿下が先にお話を通してくださったみたいですね」


 フォルクハルトに街の案内をさせつつ到着の時間をずらしたのは、ここでモニカを待たせる時間を減らすためだったのだろう。悪女と名高いシャーロッテにしては、随分と気遣いにあふれた対応である。

 そんな明け透けな思考を見抜いたのか、フォルクハルトが顰め面で咳払いを挟んだ。


「グレン殿。間違っても妃殿下のことを侮辱するような態度は取ってはならないぞ」

「しねぇよ」


 高笑いする眼帯の貴婦人を思い浮かべたグレンは、げんなりとした顔でかぶりを振るしかない。大公妃の前で愚かにも啖呵を切れるのは、身の程知らずな実兄ぐらいのものだろう。



 別邸の内部はエントランスほど派手派手しい雰囲気はなかった。ドーム状に連なった廊下の天井には、市販されている聖霊のランプよりも更に高価と分かる、花形の装飾灯が品よく収まっている。

 しんと静まり返った長い通路を歩きながら、グレンは採光のために取り付けられた無数の窓硝子へと視線を投じた。


(さっきすれ違った奴、どこかで見たような……)


 夕日によって赤く染まり始めたロジタ湾の、すぐ手前。別邸への途上で通り抜けた大広場には、酒場の開店に併せて更なる人影が押し寄せている。

 グレンはあそこですれ違った人物が、不思議なことにずっと頭から離れなかった。

 大きなケープを体に巻きつけて、小股にちょこまかと走る姿を確かにどこかで見たのだが──顔をしっかりと確認しなかったせいでなかなか思い出せない。

 大公との話が一段落したら、もう一度あの大広場に行ってみようかとグレンは考え、否と首をひねる。


(そこまでする必要ねぇだろ。第一、もうシーランから出ててもおかしくない)


 しかし一旦頭の隅に置いておこうと思っても、やはり胸の引っ掛かりは取れなかった。


「──失礼いたします、大公殿下。シュレーゲル伯爵令嬢をお連れいたしました」

「入れ」


 フォルクハルトが扉越しに告げると、艶を帯びた低い声が素っ気なく返ってくる。

 この別邸は奥へ進めば進むほど飾り気を失っていくようで、大公の執務室は焦茶色の調度品で統一されていた。屋敷の主が使う部屋というよりは、補佐官に宛がわれた一室と言われた方がしっくり来る。


 さりとて、横長の机に気怠く腰掛けた黒髪の美丈夫は、まごうことなき貴人の空気をまとっていた。


 こちらを射抜く鋭さと甘さを併せ持った黄金の瞳は、獲物ににじり寄る蛇のごとし。口元にうっすらと浮かぶ笑みは、そこの雇い主と同じで冷然としたものだった。


「そろそろ来る頃だと思っていた」


 顔の右側にかかった柔らかな髪を払えば、乗じて耳朶にある大きな金環のピアスが揺れる。そうして告げられた言葉はなにも、モニカの単純な到着を予期してのことではないのだろう。

 ちらと隣を見遣れば、微笑を浮かべたモニカがおもむろに跪礼(カーテシー)の姿勢を取る。心なしか、自国の自称王太子に向けた挨拶より丁寧に見えるのは──きっと気のせいではない。


「お初にお目に掛かります、パラディース大公殿下。私はシュレーゲル伯爵家のモニカ・フェルンバッハと申します。こちらは魔術師のグレン、護衛をさせております」


 そのとき、すぐ近くにいたフォルクハルトがこちらを見遣り、顎を深く引くようジェスチャーで訴えてきた。これが帝国流の挨拶なのだろうと、グレンは素直にそれに従っておく。ベラスケス国王には場の流れで暴言を吐き、レアードの王太子の話を平気で遮った前科持ちのグレンだが、さすがに今回ばかりは気を付けねばならない。

 相手は“常勝の獅子”と呼ばれる男であり、モニカが協力を要請する人間なのだから。

 しかし二人が緊張と共に臨んだ初めての顔合わせは、他でもないクラウスの意外な言葉によって幕を開けたのだった。


「話はエッカルト殿から聞いている。──近々、自分の娘がそちらに行くから頼みを聞いてほしいとな」

「……は……」


 これにはモニカも呆けてしまい、間の抜けた顔でまばたきを繰り返してしまう。机上の書類を隅に放り投げたクラウスは、優美な笑みで客用のソファを指し、「座れ」と短く告げた。



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