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クラウス・エストマンの元にレアード王国の背信行為が密告されたのは、今から一年ほど前のことだった。
密告者はシュレーゲル伯爵エッカルト・フェルンバッハ。建国の功臣であり、初代王室の傍系でもあるフェルンバッハ家が今もなお生き残っているのは、その血に受け継がれる優れた頭脳のおかげだという。現当主エッカルトも当然、その名に恥じぬ功績の持ち主だった。
そんな伯爵から寄越された情報を、単なるデマと切り捨てられるわけもない。
実際、それほど豊かな国ではないザイデル王国が大規模な伏兵をけしかけてきたり、想定されていた魔術師の数が大きく上回っていたりと、不自然な点は非常に多かった。あらかじめザイデル王国には力を貸さぬよう周辺諸国には釘を刺しておいたのに、一体どこの誰が支援を行っているのだろうかと。
クラウスとて、同盟を結んでいるレアード王国の現王室が無能ばかりということはとっくの昔から承知していたのだが、まさか──まさかそんなバカげたことはしないだろうと億劫な気分で間諜を放った。
しかし悲しいかな、結果として伯爵からもたらされた情報は全て、丸ごと、一つの間違いもなく事実であった。
レアードは備蓄の提供と兵力を貸し与える他に、帝国の補給経路まで調べてザイデルに知らせていた。幸い経路を断たれるような事態には陥らなかったものの、下手をすれば甚大な被害に繋がっていたことだろう。
『卑しい連中め、戦を長引かせて金を吸い取る魂胆だったのか? 同盟を何だと思っている!?』
『ザイデルを討ち取った暁には、そのままレアードも攻め滅ぼしてくれるわ!』
まぁ当然のことながら、帝国内では方々から怒りが噴出した。元より初代王朝が倒れて以降のレアード王国の評判は低く、この機を利用し聖遺物“目覚めの森”ごと手中に収めてしまえという声も多かった。
しかし──。
ザイデル王国との戦に勝利した頃を見計らって、エッカルトが別邸にやって来た。
彼はいつもの曖昧な笑顔で紅茶をすすり、中断していたチェスの盤上に視線を注ぐ。まだ一つも動かしていなかったポーンを手に取り、コトリと前に進めて。
クラウスが次の一手を考えていると、伯爵が口を開いた。
『シャーロッテ王女を知っているね?』
それは話を切り出す問いではなく、事実を確認する口調だった。
顎に添えた手はそのままに瞼を持ち上げれば、柔和な笑みがクラウスを迎える。
『わずか五歳で母親殺しの汚名を着せられた哀れな御方だが……王女殿下が幽閉されている所以は、どうもそれだけではなさそうでね』
『それは?』
『さあ。私もそこまでは確かめられなかった。気になるなら見ておいで』
この話題にクラウスが食いつくと、伯爵は初めから分かっていたようだった。一体どこまで調べられているのかと、戦場でも滅多に感じない屈辱感を持て余しながら、クラウスは小さく溜息をつく。
『……私に、その姫君を娶れと?』
『良い考えだろう? 戦をして国土を奪い取るより、ずっと平和だ。不自由な思いをされてきた王女殿下ならご協力してくださるよ』
確かにザイデル王国との戦で、多少なりとも帝国は疲弊している。そこへ裏切り者の制裁と称した新たな戦を重ねれば、帝室はもちろん近隣の領地からも不平不満が出てくることだろう。
どうにか別の方法で報復措置を行わねばとは、常々考えていたが──。
『誇り高きレアードの玉座には、そろそろ真の王に座ってもらおう』
そこに君もいてくれると助かるよ。
エッカルトの穏やかな声音に、これは敵わぬとクラウスは肩を竦めたのだった。
◇◇◇
「──ついこの間、伯爵から文が届いた。娘がそちらに向かうから、貸しを返せとな」
貸しとはつまり、レアード王国の背信行為を密告した見返りのことだ。
エッカルトは帝国に利益をもたらしておきながら、そのときまで一切の見返りを求めなかったとクラウスは語る。次期国王としてシャーロッテの子どもが王位に就いた暁には、伯爵家に本来の地位を与えることもやぶさかではなかったが、それは本人が固辞した。
フェルンバッハ家は既に表舞台から立ち退いた身ゆえ、政治中枢に入り込むつもりはない。あくまで己の役目は、汚れた玉座にかつての輝きを取り戻させることだ、と。
しかしそれでは取引としては成立しないと、クラウスを含めた帝国側は要求があれば速やかに言えと何度も伝え──先日、魔術師を通してようやく一通の手紙を寄越してきた。
それが、何やらレアード王室から目を付けられた長女を助けてやってほしいという内容だったわけだ。
「伯爵に言われてここまで来たのか? モニカ嬢」
「……いいえ、大公殿下のお力を借りようと考えたのは、私個人の判断でございます」
「なるほど、想定済みだったわけか」
エッカルトは恐らく、次女のカルラが王家とコンタクトを取ってしまったことをきっかけに、モニカが次に取るべき行動を予測したのだろう。そして、ちょうど手札として残しておいた大公からの見返りを利用するに至った。
大公妃シャーロッテがすんなりとモニカを別邸に招待したのも、その辺りの事情を汲んでいたがゆえ。いろいろと合点の行ったグレンが一人納得していれば、「さて」とクラウスが膝頭を叩いた。
「本題に入ろう。王室はなぜ君を追い立てていた? 密告がバレたか?」
「いえ。それは私が言うまで気付いていなかったようです」
「救えんな」
「彼らは、四つめの聖遺物を手に入れるために私を捕えようとしました」
愚鈍な王室に呆れたのも束の間、クラウスの黄金の瞳が剣呑にモニカを睨む。
それまでフェルンバッハ家の所業を辛うじて冷静に聞いていたフォルクハルトも、心底驚いた様子で目を見開いていた。
正面から注がれる殺気混じりの視線と、後方からそわそわと後頭部をくすぐる戸惑いの視線に、モニカはやはり平素の微笑で対応する。
「どうか冷静にお聞きください。これは大陸全土の存亡に関わるお話でございます」
そうして彼女は、先日グレンに語った事情を再び口にしたのだった。




