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ジョゼット

〝お、おいっ、やっぱり怒っているぞ〟

〝うわ~やばい。減俸される?〟

〝ひ、久し振りに怒ったの見たかも・・・〟

〝そうか?俺は初めて見たぜ〟


 部下達はこそこそ呟いた。

 その固唾を呑む中からジョゼがひょっこり出て行ったと思ったら、マティアスの腕を掴んで引いていた。

「一緒に休憩しようよ」

「え?」

 マティアスは驚いたが、部下達はもっと驚いた。

驚いている間に足は自然と導かれるままその集団の中に連れ込まれて座らされた。


「はい、お茶」


 ジョゼは王族に出すのに相応しく無い茶碗に淹れた茶を、マティアスへ差し出した。マティアスが受け取ると、ジョゼはにっこり笑った。その笑顔にマティアスはドキリとしてしまって自分でも驚いて再び内心呆然とした。

「はい、お菓子も」

 それも無言で受け取る。

「みんな、お茶のお代わりは?」

 と、ジョゼが呼びかける声に止まった時間が動き出したようだった。みんなが茶碗を差し出したのだ。

「待ってね。順番だよ。はい」


 ジョゼはマティアスがそこにいるのを気にする様子も無く、次々に注いでいった。そしてみんなの茶を注ぎ終わったらマティアスを見た。

「閣下お代わりは?あー駄目ですよ。飲んでくれないと!休憩はさぼりではありません。能率よく仕事をする為の必要不可欠なものです。でも上司が一緒にしてくれないとみんなし難いですからね。だから飲んでください!」

 ジョゼの勢いに負けてマティアスはコクリと茶を飲んだ。そしてはっとした。爽やかな刺激が口にさっと広がった。すっきりする味で初めての感覚だ。


「これは・・・不思議な味というか・・さっぱりしておいしい」


「ありがとうございます。わ、僕の考案した疲れを取るお茶なんです」

 ジョゼは嬉しそうに言うとまたにっこり笑った。今日はどういう訳かマティアスにも笑顔の大盤振る舞いらしい。

 ジョゼットはさっきまでマティアスに腹を立てていたが、彼が素直にお茶を受け取ってくれた時から機嫌が良くなったのだ。


 その時だった。急に強い風が吹いて一部の資料が重しを弾き飛ばし、窓の外へ飛ばされていった。それを押さえようとしたジョゼットは慌てて、持っていた茶器をぶちまけてしまった。資料を追い掛けて行ってくれたレジスが持ち帰ったのは、濡れて字が滲んでしまったものだった。手書きのものだったが池に落ちたらしいのだ。その上、残った資料にもジョゼットがこぼした茶でほぼ全滅だった。


 マティアスはそれら手に取って見た。手書きのものは調べものとかで誰かが分かり易くまとめた比較的重要で無いものか、他に転ずることの出来ない最重要機密のどちらかだ。悪いことは重なるものだった。それは誰の目でも明らかで後者の資料だったのだ。

 さっきまでの和やかさが嘘のようにしんと静まり返ってしまった。そして資料を確かめるマティアスの前には、真っ青な顔をしたジョゼットが立っていた。


 ジョゼットはとうとうやってしまった、と何処かに消えてなくなりたい気分だった。〝使って良かった〟と言わせてやるとか啖呵をきったのに、こんな失敗をしてしまったからだ。きっとマティアスからは叱責されて〝思った通りだ〟と言われて追い出されると思った。叱責で首になるだけならまだマシかもしれない。国家的重要なものなら投獄される可能性もあるのだ。


「ジョゼ、顔を上げなさい。これを見てごらんなさい」


 マティアスの何時もと変わらない淡々とした声音は意外だった。仕事一番の彼なら怒っても可笑しく無いのに?ジョゼットは恐る恐る顔を上げた。そして差し出された水浸しになっている資料を見た。

「これは昨日、整理を頼んだものだったと記憶していますが・・・違いますか?」

 ジョゼットははっとしてその何箇所か見える字を見た。

「は、はい!そうです!間違い無いです!」

「では書けますね。一言一句全て」

「はい!書けます!」

「それは良かった。では休憩は切り上げてそれに取り掛かって下さい」


「はい・・・あの・・首じゃないんですか?」


 資料をまとめ始めていたマティアスがその手を止めた。

「どうして?窓を開けて空気を入れ替えるのも結構。休憩をするのも結構。気持ちが爽快になって能率が上がるのは確かでしょう。それにたまたま風が強かったせいで誰の責任でもない。それなのに優秀なあなたを首にする必要が何故あるのか私が聞きたいぐらいです」

 淡々と言ったマティアスは言い終わると、言葉の冷たさとは反対ににっこり微笑んだ。

 ジョゼットはその言葉もそうだが、初めて笑いかけてくれた事にまた鼓動が跳ねた。それは嫌いだった筈のマティアスを少し気になり始めた証拠かもしれない。



 マティアスは自分の執務室でジョゼが書き直した資料を見ていた。本当に一言一句間違いなく書いているようだった。この内容はマティアスも大まかに把握していたものだが、ジョゼのように書くことは無理だ。しかも間違った字までそのままだった。こんな間違いがあると、自分でも気にとめた文章だったから覚えていたのだがそこまで再現するとは…驚異的な能力だというしかない。

 ジェラールが相変わらずふらりとやって来た。

「どうしたんだい?珍しく難しい顔をして」

 マティアスはそれを机の上に置くと、チラッとジェラールを見た。

「あのジョゼという少年…」

「何?ジョゼがどうかした?何か問題でもあった?」


「―――いえ。問題といえば問題ですが…あの子はもう此処から出せませんね」


「ええ―っ!なんだって!」

 ジェラールは驚いてマティアスを見たが、彼は冗談を言っている訳でも無かった。もちろんマティアスが今まで冗談を言った事は全くないのだが……

「あの記憶力です。あれでは此処の機密が全て頭の中に入ったまま野放しになる訳です。そんな事は許されません。しかるべき処置をしなければ大変な事になります」

「しかるべき処置って…まさか投獄するとか言わないよな?マティアス?なあ、マティアスって」

 マティアスは考え込んでいた。ジェラールを相手にしている場合では無かった。しかるべき処置を考えなければならないからだ。しかしこれと言って有効な手段が浮かばなかったのだった。


 あの事件以来、〝魔の資料室〟はとても変化した。毎日、お茶をする休憩が入り、皆の顔つきも明るく生き生きと仕事をしている感じだ。

 先日のマティアスの様子も気になったジェラールは、その資料室を覗いて驚いていた。そして更に気になるものを感じてしまった。


(バレてなさそうだけど…これって…)


 ジョゼは相変わらずこの場の中心だったが、彼女に対する周りの者達の態度や視線が気になったのだ。高い所にある資料を取ってあげたり、重たいものを持ってあげたりと女の子にするのは当然のような事をジョゼにしている。そしてその中の何人かはジョゼの気を惹きたいような感じさえ受けるのだ。


(なんか不味いかも…)


 邪魔だと言うような視線を向けてくるマティアスに、ジェラールがそっと耳打ちした。

「マティアス、ジョゼのこと気を付けてやってくれよ」

 何を?というようにマティアスが見たので、ジェラールはもっと声を落として言った。

「ここの連中のジョゼを見る目がね…まあ女の子みたいに可愛いから仕方が無いかもしれないけれど…間違って押し倒されたら大変だからね」


「王子!何を!」


 急に大きな声を出したマティアスに、皆が一斉に注目をした。

 ジェラールは慌てマティアスをその場から連れ出した。外へ出ると引っ張るジェラールの腕をマティアスは払いのけた。

「王子、先ほどの話しですが、私の部下が彼に対して邪な恋情を持っている。と言いたいのですか?」

 マティアスはまるで自分が言われたかのように苛立ちを感じていた。ジェラールにもそれを感じた。


「マティアス、お前も同じ顔をしている」


「なっ!何を!私は…」

 マティアスが珍しく慌てた様子を見せると、ジェラールは愉快そうに笑いながら言った。

「もう少し楽しみたかったけれど潮時かな?思い余った奴がジョゼを襲ったら大変だし、マティアスだって道ならぬ恋に悩んでも可愛そうだしね…」

「だからそれは!いったいどうしたらそんな話しになるのですか!私にはそういう趣味も性癖もございません!」

 ジェラールは珍しく怒って言うマティアスを、ちらっと見て続けた。

「ふ~ん。ジョゼを見て、健気だなぁーと笑顔が良いなぁーとか可愛いなぁーなんて思わなかった?」

「そ、それは否定しませんが、そういう事は女でも男でも関係なく感じるものでしょう?」

「やっぱり認めるんだ。連中もそう思っているんだろうけれど…本能は正直というか。なんというか…」


 マティアスは王子が何を言いたいのか分からなかった。こんな理解不能な話しをされると内心苛立つばかりだ。何でも一を言えば十まで先を把握する彼にとっても昔からこの王子の真意はつかみ難いものだった。その彼が勿体つけて話しをする時は決していいものでは無いとは良く分かっている。

「これ以上内緒にしているとかえって厄介になるかな…告白するけど、ジョゼの本当の名前はジョゼット。リリアーヌの女友達さ」

 マティアスは聞き間違いなどする事は未だ一度も無い。しかし正直自分の耳を疑ってしまった。


(ジョゼがジョゼット?女友達?女!)


 マティアスはまさかと思った。又、王子の冗談だと―――だがジェラールの顔を見れば本当なのだと思った。愉快そうに微笑んでいたからだ。これは悪戯が成功した時に見せる得意顔に間違いない。マティアスは驚きのあまり初め声も出なかった。


「―――王子…お戯れが過ぎます。女性を男と偽るなんて…何故こんな真似を」


 マティアスの初めて見るような驚愕ぶりにジェラールは満足したようだった。彼は声を弾ませながら答えてきた。

「彼女は仕事が欲しかった。お前は女はいらないと言った。だからこうなったんだよ。女の子だったら会うことさえしなかっただろう?」

 マティアスは大きく息を吸って吐いた。それは驚いたのでは無く精神を静める為だった。

「……経緯は分かりました。しかし事情があったとしても彼、いえ、彼女が嘘を言って私の信頼を裏切ったというのには変わりません」

 マティアスは低く冷たく言った。ジェラールでも、はっとして彼を見たぐらい珍しく本気で怒っている様子だ。


「マ、マティアス、これは彼女が悪い訳じゃなくってだ――」


 マティアスはジェラールの言い訳を聞く様子は無かった。言いかけた途中で踵を返すマティアスをジェラールは制止したが、それも無視して資料室の扉を開いたのだった。

 勢いよく開かれた扉に中にいた者達は一斉に注目した。そこからつかつかと入って来たのはマティアスだったのだが…彼はまた怒っていた。

 部下達は珍しいものをこうも頻繁に見るとは思わなかった。


〝おいっ、またなんか怒っているぞ〟

〝何かしたか?お前じゃないか?〟

〝お前だろう?〟


 と、こそこそ言い合っているのをマティアスは一瞥して、ジョゼへ視線を定めた。

「ジョゼ!」

 ジョゼはまた何かしてしまったのかと、驚いて返事を忘れた。

「ジョゼ!聞こえませんでしたか!ジョゼット!」


(い、今・・ジョゼットって言わなかった?)


 ジョゼットは確かにマティアスがそう呼んだのを聞いた。バレたのだ!

「あ、あの…」

 マティアスは間違いなくその事で怒っているようだった。彼は周りの事など眼中に無い様子でジョゼットだけを睨んでいた。

「もう遊びは終わりです。あなたにはこの仕事から外れて頂きます」

 女と分かった途端、そうきたのかとジョゼットは腹が立ってきた。

「遊びって…何故ですか!私が女だからですか!納得出来ません!」

 ジョゼットのその言葉に様子を窺っていた周りの者は驚きの声を上げた。


〝おいっ、今、女って言わなかったか?〟

〝さっき閣下はジョゼットとか呼んでいたよな?〟

〝じゃあ、本当に女の子?ジョゼが?〟


 ざわめきと共に歓喜にも似た声を上げる一団もいた。

それらにマティアスは、むっとした顔をして答えた。

「私は人を騙すような人物を最も嫌悪すると言えば納得できますか?」

 その言葉はジョゼットの胸を鋭く突き刺した。呼吸が止まりそうだった。尊敬し始めていた彼の信頼を失ったというのが何よりも辛かったのだ。ジョゼットは蒼白になって震えだした。

 続けて入って来たジェラールが支えるように彼女の震えるその肩に手をかけた。


「言い過ぎだ!マティアス!理由は言っただろう?彼女はお前も認めたようにこの仕事には喉から手がでる程、欲しかった人材だった。でもお前は女なんてと初めから相手にしていなかったからこうなっただけだろう?それに、お前!そんな事言うなら私の事も嫌悪していると言うのか?私こそ十三年も皆を欺いてユベールとして生きていたんだからな!」


 ジェラールは王子殺しの犯人を見つける為に皆を双子の王子ユベールとなって偽り続けていた。志を同じくするこのマティアスさえも騙していたのだ。

「貴方と彼女とでは次元が違います!」

「マティアス!お前こそ頭を冷やせ!彼女も私も同じだろう?嘘に区別をつけるのか?それに次元が違うというのなら、彼女の嘘なんて可愛いものじゃないか?それで何の迷惑をかけた?仕事ははかどり何もかも良いこと尽くめじゃないか。それなのに女と分かっただけで追い出すなんて間違っている」

 ジェラールの意見に周りの者達も、そうだと頷き始めた。


 しかしジョゼットはその場にいるのが堪らなくなり、ジェラールの手を振り切り走って出て行ってしまった。

「ジョゼット!」

 追いかけようとしたジェラールをマティアスが止めた。

「私が行きます」

 ジェラールはマティアスを見た。そして肩をすくめると彼にその役を譲った。マティアスはジェラールの叱責がきいたのか冷静さを取り戻していたようだった。だから任せても大丈夫だろうと判断したのだ。


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