僕が家庭教師になるまで
――坊や。家に来るかい?
――坊や。私たちと暮らさない?
優しそうな二人の言葉に、幼い日の僕は何となく頷いた。
どうして僕なのかはわからない。
周りの子たちと似たような髪色で
背も足の速さも変わらないのに。
誰にも読めない文字と絵を、黒板に書いていた僕を
変わり者と呼ばれた僕を、あの二人は孤児院から連れ出してくれた。
――今日から私たちと一緒よ。
母さんとなったあの人はそう微笑んでくれた。
――僕たちは、家族だ。
父さんとなったあの人は、そう涙を流してくれた。
ふたりは僕を抱きしめた。初めてのことだった。
愛される、とはこういう事なのだろう。
両親となったふたりがどうして何の縁もない僕に
そうまでして愛を与えてくれたのか、その意味を知るのはもう少し先。
僕が大人になるその日まで、僕が夢を叶えるその日まで。
僕が本当にふたりに感謝する、その日まで。
* * * * *
僕は学校に入った。大陸北部のある小さな村から通った。
裕福とは行かないけど貧乏ではなかった。
病気や用事以外で学校を休むことはなかった。
時に嫌なこと、辛いことはあった。
けどそれでも僕は勉強することに楽しさと喜びを感じていた。
母さんはある貴族のお手伝いさんとして働いている。
父さんはその貴族の執事をしている。
家に帰ればどちらかが居てくれた。寂しくなかった。
孤児院とは違った温かみがあった。ご飯も温かくて、おいしかった。
嬉しかったのだろう。僕の記憶の中ではまだ残っている類だ。
ある時、僕は父さんの仕事姿を見かけた。その時のことはすごく覚えている。
まるで雷に打たれたような衝撃であった。
父さんは頭が良くて貴族の子達に勉強を教えていた。
丁寧に、わかりやすく、ひたすらまっすぐ子供と向き合って
分かるまで付き合っていた。
僕はああいう風になりたい。教える人になりたい。
ただ、漠然な父さんの姿を見て言葉として表現できなかったので
父さんの様な執事になりたい、と当時の僕の考えは着地した。
何故かはわからないけど、強くそう思った。
僕は必死に勉強した。誰かに教えられるような執事
そして、夢は洗練され、言葉という枠組みを得ると
『家庭教師』という夢となった。
* * * * *
僕が学校に通って数年。
学校から帰り、夕方になりかけたある日。
「ただいま――」
返事がなかった。僕は家じゅうを探した。
僕は見てしまった。知ってしまった。
聞いてしまった。
母さんが、涙ながらに祈っている。
この世界では一大宗教であるマクダリア教。
その信者である母さんは、本来日の落ちた夜に行う祈りを
まだ日が完全に落ちていない夕方に捧げていた。
母さんは【鉄の神釘】を持ってこう言っていた。
「あぁ大主神様。お許しください。
お許しください。お救いください。
我らが罪を清めてください……」
ちいさな大主神の像の前にし、膝をついて祈っている。
鉄釘を使うのはごく自然な祈りのやり方だ。
けどそれはあまりにも立派でかつ正統的なやり方。
つまり、家でやるような物じゃない。
もっと格式張るほどのこと。特別な日。
そう、例えば神様へ日々生かさせていただける
感謝を伝える、年に一度の日とか。
「――私は授かってしまった。
あの人との子を。領主様との子を。
あぁ罪深き私をお許しください」
母さんは貴族の当主と一夜を共にした。
そして子供を授かったようだ。
僕がじっくり調べた中では
その貴族の当主は厳格な人物であるが
子供に恵まれなかった。
困った当主は他の女性を脅し、子供だけを手にいれようとした
という噂が、まことしやかに囁かれていた。
母さんは、それに巻き込まれた。
母さんが父さん以外の人を愛するとは思えない。
父さんを愛していた。父さんも母さんを愛している。
そして二人と同じくらい僕も二人を愛しているし、愛されている。
だから僕はその当主が許せないと思った。
殺してやろうと思った。
けど、母さんは続けてこう言った。
「あの子は、エドは、私の子、あの人の子です。
本来なら、母として、子を育てるべきでしょう。
しかし、しかしッ、大主神様! ……無理です。
あの子を、育てられない! どんなに天使のように笑おうとも
無垢な言葉を紡ぎ、伝えようとも、私には、私には、あの子と
どうしても、向き合えないのです……!
……こんな母を、こんな私をお許しください。お許しください……」
母さんは泣きながら大主神の像に祈り、涙を流した。
大主神の像。混乱にあったこの大陸をまとめた大魔法使いエイール。
彼の姿を模した神木モカウ製の像。
左手のひらを下に、右手には杖を持った姿。
ほほえみとも緊張ともとれる表情は目の前で祈りをささげる女性を
別け隔てなく手を差し伸べて優しく導こうとしているようにも見えた。
こっそり僕は荷物を置いて何事もなかったかのように
母さんに声をかけた――
* * * * *
母さんはその後、身体を壊した。流行り病だと医者は言ってた。
侯爵はそれを鑑みていくらか仕事を軽くしてくれたらしい。
父さんがそう言っていた。
――それからしばらく経ったある日。
母さんが、死んだ。
母さんは、仕事中に侵入してきた外部の人により
殺されてしまった。
その直後に、外部の人間は殺されたが
残された僕はそれこそ力ない状態だったろう。
僕はひとり母さんを想うだけの日々を送った。
より大変な状況のはずの父さんは僕を心配していた。
しかし父さんは僕を放っておいてくれた。
時間が何とかしてくれると、思ったのだろう。
* * * * *
僕はそれから学校を卒業し、大人になった。
父さんの伝手で僕はあの侯爵の元へ仕えることになった。
運が良かった。その時期、仕事が少なく
安定した仕事などほとんど無かった。
侯爵の人柄や噂は知ってはいた。
しかし直接見たことはなかった。
緊張だけが体を襲ったけど
ただ心の奥底には恨みとか
怒りというものは確かにあった。
ある意味、そのお陰でいくらか冷静に
侯爵と初顔合わせとなった。
ヴェルレグス・モルトホーゲン侯爵。
侯爵は優しそうな人だった。
赤の他人でもある僕にも
笑顔を振りまき、優しい言葉をかけた。
これまで侯爵に対して
母の件もあり真正面から
彼を見ることはできなかった。
結局、彼の人当たりの良さによって
その感情は徐々に薄れて行った。
彼にも事情があったんだ、と。
* * * * *
それから、僕は仕事に戻るべく
体調を整えて侯爵家へと向かった。
その時、僕は出会った。出逢ってしまった。
屋敷の離れにある石組の塔。唯一地下から行ける塔。
そこには、真っ暗闇の中をうごめく巨大な化け物。
のどが呼吸のたびに、異様なまでに伸縮を繰り返す。
ズシンズシンと少し動くだけで、建物が揺れ動く。
「見てしまったね?」
振り返った。
後ろに立っていたのは侯爵。
しかしそこにいたのは
優しそうな侯爵ではなかった。
鋭い眼光をこちらに向け、わずかな火を灯した
ちいさな蝋燭を持つも、氷のように冷たい。
ヴェルレグス・モルトホーゲン侯爵。
紛れもなく、彼だった。
「――取引をしよう。
君を、いなかったことにはしない。
その代わり、君はこのことを口外しない事。
そして、『それ』を全うな命にするんだ」
侯爵は後ろを指さす。
名をエド。後にアーロン。
彼は文字通り化け物。
母さんが言っていたエド。
目の前にいる、人間。
でも目の前にいるのは化け物。
人ではない。けれど人である。
その眼には確かな意思はあった。
僕は夢の家庭教師となった。
化け物の、異形の怪物の、そして僕の異父兄弟の
家庭教師として――
ここまで読んでいただき
ありがとうございます。
続きます。
次話投稿予定は
2021/10/22㈮です。
追記:2023年12月20日 少し書き直しました。
時系列の整理と、読みやすくしました。
ご了承ください。




