どんなに科学が進もうと
--私が初めてエドと会ったのは
記憶の限り、およそ半世紀前。
生まれたばかりの赤子で、
雨の中、エドを大事に抱えていたのは
実の父親ではない若い男。
エドの実の母親は、とうとう会えなかった。
今でも、彼を救えた、と
ふと何度も思うのは
私の傲慢だろうかーー
当時の幼い私は、漠然と
研究者になろうと思った。
その理由は未だ定かではない。
具体的ではない夢のなか
とある国立の有名大学へ入れた。
国も大陸全体も、優秀な人材欲しさから
そこは大学というより、実践中心の場で
全ての学ぶ人たちの受け皿と言おうか。
その中である研究が私の目に留まった。
生物の遺伝・生命を扱う生命工学。
直感でそこへ足を踏み入れた。
私は「生命工学研究者」を目指し
学生生活の全てを研究に費やした。
勉強した。ずっと研究の事を考えた。
時間と共に、私はひとりとなった。
学友と呼べる人はそう居なかった。
たぶん私を知る人は
ほとんど居ないかもしれない。
* * * * *
――時は早く、私は大学を卒業した。
卒業後に私を待っていたのは、
華やかな研究の日々でも
切磋琢磨する研究メンバーでも
歴史に名を刻むほどの名声でも
研究を優秀な助手ではない。
お金。
シンプルかつ当たり前であった。
研究するにも、自分が暮らすにも
何もかも全ての根源として必要なもの。
その捻出方法、もとい稼ぎ方であった。
それまでひたすら研究していたため
研究に必要な経費など知らなかった。
だから後々優秀な経理である
ミス・エリーが来るまで
私は慣れないお金の扱いに
困ることになった。
自分の研究費用を捻出するため
研究を活かせる「医者」として
働くことを決めた。
この時、取得科目のおかげで
今まで放置していた学士証の隅に
「医者として働くことを許可する」
とあり、ある意味助かったと
私は振り替える。
当時、病院はまだ都市部にしかなく
まして、地方病院、それも個人となると
とても珍しかった。
国立大学を出た、というだけの噂を
聞き付けた人々は診察に訪れた。
当時まだ若かった私は
若さ=経験の浅さ、と人々に捉えられ
しばらくは評判が良くなかった。
残念ながらそれはすぐひっくり返され
私は医者として、人々から重宝がられた。
人々は事あるごとに診察に訪れた。
咳が止まらない、と話を聞けば
掃除しないため、埃の性だった。
胸が苦しい、と話を聞けば
身分違いによる片想いの性だった。
物珍しさから診察と言って
私を一目見ようと来た人もいた。
すぐ追い返すわけにもいかず
ひとまず軽く診察をしたのち
薬ではなく生活改善を、と
一言伝えた時もあった。
つまり、医者らしいことは
あんまりしなかった。
あるとすれば、診察カルテの整理や
必要な処方箋作成なんかに追われたこと。
研究したかったはず、と
ふと思ったときもあった。
医者の仕事に追われた私は
たいした研究成果のない研究者として
憧れの学会から爪弾きにされた。
もちろん幾らか研究し発表したが
満足のいくものではなかった。
周りの研究者たちは、私の研究など
当時から何とも思ってなかっただろう。
* * * * *
医者としてしばらく経ったある夜。
私の診療所を訪れる人が居た。
何度も扉が叩かれる。
開けてくれ、助けてほしいと
懇願していた。
時間外診療は断っている。
私は追い返そうと思った。
だがそれでも扉を開けた。
何故かは振り返っても
未だに分からない。
扉の向こうに居たのは
ボロボロのローブを着た若い男と
その腕に隠しながら大事そうに
抱えられた赤ん坊だった。
慌てながら話す男いわく
赤ん坊の身体がおかしい、という
何ともざっくりした内容だった。
何かにぶつけてアザに、ではない。
赤ん坊は泣きわめくことも
指しゃぶりすることもなかった。
慌てる男の様子など気にせず寝ている。
急病、もしくは未知の病気か
と考え、彼らを中に入れた。
じっくり観察するまでもなかった。
赤ん坊の服の上からでも
分かる違和感に凍り付いた。
私は急いで赤ん坊の服を剥いだ。
赤ん坊の身体には
人のそれとは思えない
そう、動物の特徴を
表したものが見えた。
身体に見慣れない黒い痣や斑点
鱗に羽毛、角に刺、触手
不自然な肉のシワやうねりなど
表出していた。
予想外の事に内心焦ったが
私は一息ついた後
赤ん坊の母親を、もとい
男の妻について尋ねると
男は焦っていた。
「も、申し訳ありません!
この子の母親は忙しく
私が代わりに――」
「お待ち下さい。
診るのは構いません。
しかし、貴方は一体
……失礼ですがご親戚か
それとも……」
「あ、え、っと……
その……この子の
母親のその……
彼氏です!」
「(……なにを、言っているんだ)」
私は理解するのに時間がかかった。
男の突飛な言葉に
それまでの私の焦りは
打ち消された。
* * * * *
男はエストと名乗った。
整えられた黒の頭髪。
身なりを隠すためか
大きめのぼろのローブをまとう。
しかしその下に着ていたのは、
物のいい衣服であった。
当時、安く簡素な服が主流のなか
男のは、物の良い上等な服。
それは今でもそうだが、
公的な役所勤めの人か
位の高い者に仕える人か、
ほとんどないが金のある者が
着るものだった。
私がその時に着た白衣は
国立大にいた頃の支給品。
国営工場生産の高品質の物である。
エストの服は、私の白衣と同等である。
一定の様式で整えられた服であることは
何となくわかった。
* * * * *
エストは幾らか
落ち着きを取り戻したのか
自身について話してくれた。
彼はとある名家の従者である。
ヴェルレグス・モルトホーゲン侯爵。
緑あふれる美しいレグリシス山に住む
領民に愛される心優しいと噂の領主であった。
私は人の噂について
そんなに詳しくなかった。
しかし、ひとつだけ
侯爵について知っていた。
定かではないが、その現当主は
妻、侯爵婦人がいるにも関わらず
何人ものメイドと関係を持っている
ということ。
これは噂好きの患者が
何気なしに話したため
カルテ作成時に記載していた。
患者との会話は時々
厄介な症状の一端もしくは
解決の糸口になると
医者となって得たことだ。
赤ん坊の母親は、はじめこそ
仕事の中でエストと付き合う。
理解者が職場にいるおかげで
彼女も仕事がうまくいくように
なったという。
だがそうなると、次第に
当主の目にも留まり始め
ついには、関係を持たざるを
得ない状況に陥った。
「――この子の痣や
鱗が見え始めたのは
いつ頃ですか?」
「え……。彼女がいうには
生まれて1週間ほど、と。
今日で4週間ほどたちました」
私は男に許可をもらい
赤ん坊の身体に現れた物を
ほぼ全て採取した。
時には強く引き剥がした。
赤ん坊は何も感じないのか、
すうすうと眠っている。
顕微鏡。おそらく当時としては
高価かつ物の良い代物であった。
赤ん坊の表出物を注意深く観察した。
「……おおよそ動物のそれに近いです。
人間で、動物の様相を持つのは
私が知る限りで初めてです」
「な、治りますか……?」
「わかりません。
ですが出来うる限り
情報を集めてみます」
「お願いします!」
* * * * *
まだ名付けられていない赤ん坊は
後にエストと彼女が育てると決め
『エド』と名付けられた。
私はエドの成長を垣間見た。
すくすくと育ち、普通の子として
彼ら二人の愛情を一身に受けていた
と思われる。
体重も相応に増えたのはもちろん
一番驚いたのは、動物の部分が
ほとんど欠落したことだ。
「最近はどうですか。
エドは楽しそうだけど
なにか変わったことは?」
「ようやく落ち着きましたし
慣れましたね。
たくさん食べますし
エドの喉のシワもーー」
残ったのは、喉の不自然な肉のシワ。
呼吸するたびにシワは伸び
空気を多く取り込もうとしていた。
特に生活に困ることはほとんどない。
嚥下も差し支えなかった。
ただ喉が膨らむ性で
毎度よだれかけがほどけてしまい
意味をなさなかったくらいか。
だが、エドがつかまり立ちを
するかしないか辺りになった年。
当主モルトホーゲン侯爵に
エドの存在を知られてしまった。
エストとエドが来なくなって
半年ほど経とうとしたとき
ある雑誌の一面にこう書かれていた。
"侯爵のご子息様、誕生"
"幼名エド。跡継ぎとして改名予定"
字を見たとき、私は目を疑った。
すぐにエストに逢うべく
診察時期という名分で手紙を送ったが
届かず、戻ってくるばかり。
そして、郵便局員から伝えられた。
彼という一切が、無くなっていた。
赤ん坊はその後
エストと彼女の子ではなく
侯爵の後継ぎとなった。
赤ん坊はアーロンと改名し
幼くして迎えられた。
エドが跡継ぎとなってから
手を尽くしたが会えなかった。
そして長い空白の後
なぜか突然、再会することとなった。
* * * * *
「ーー今回、アーロン様と
お会いする間、私が近くにいます。
何かあった場合は、私の指示に
従ってください」
私をエドの元へ案内するのは
エストとは違う、痩せた男。
内心、エストであってほしいと
願ったが、名を尋ねたが
エストではないことは覚えている。
案内されたのは
石造りの頑丈そうな塔。
侯爵家の屋敷をぐるりと
囲む塀の一端にそれはあった。
見張り塔と思われたその中。
幼名エド、アーロンと名を変えた
私の知る子供がいたはずだった。
案内役の男が部屋の隅へと
素早く入る。
私は恐る恐る続いて入った。
扉の先。鉄格子の向こうにいたのは
案内役の男いわく、エドであった。
「ウ、ウ、お、お……ゴ、ゴ」
私の知るエドとはもはや人の様相を
ほとんど失っていた。
最後に覚えているエドの姿とは
全く真反対。
人間である部分がほとんど無くなり
辛うじて、赤ん坊の頃の喉のシワが
唯一エドであると私は直感した。
私はひとり
格子越しにエドと思われる
その者と相対する。
私に手を伸ばそうとするエド。
指はもはや、爪はなく
全てひとつの肉塊であった。
およそヒレらしきものに
なりかけていた。
声らしい声はない。
低いうなり声。声の振動に
わずかだが、確実に塔を揺らした。
涙を流している。
まぶたを担う皮膚や肉により
その目の輝きは遮られていたが
こちらをじっと見ている。
私はあまりの様変わりに
頭が真っ白になった。
ーー化け物。
私は無意識にそう呟いた。
それによって
エドの目から光が消え
大きく喉を膨らませた。
彼は叫んでいた。
涙を流し、その声は
子供の泣き声だ。
エドは、泣いていた。
案内役の男は私を
すぐ塔から追い出して
エドと会話していたと思う。
戻ってきたとき
案内役の男から告げられたのは
エドはもう二度と来てほしくない
ということであった。
私は案内役の男に送られ
屋敷の門はそれ以降
開けられることは一切なかった。
私は自分を責めたてた。
ーーどうして言ったのだ?
ーーどうしてエドと信じられなかった?
ーー間違いなくエドだ。なのにどうして?
私はその時発した言葉こそ
今でも悔やんでも悔やみ切れない。
* * * * *
――彼を通して私は。いや、僕は。
彼と出会ったおかげで
後のわるいこ研究に
携わっていくきっかけとなった。
もうエドと同じ子を
恐ろしくも人である子を
ひとりでも多く、助けねばならないと
この時、僕は誓ったーー
* * * * *
・患者氏名:【エド】→【アーロン】
・症例:不明(『わるいこ』と思われる。詳細不明)
・治療期間:生後4週間から。現在、継続中。
・治療者氏名:Dr.アナグマ
・治療方針:保護および治療を最優先とする。
・記載日:新緑芽吹く季節。雨の日。
続きます。
次回から便宜上6話になります。
次話投稿予定は2021年5月3日(月)です。
※4月29日(木)17時54分より
本文追加と題名変更しました※
投稿を焦るあまり、内容がおろそかになりました。
加筆しました。申し訳ございません。




