ハークとベルードとレムザ
ハークと眠そうな男ベルードは、スラム街の一番高い所へ向かう。
そこは何時からか建てられた鉄塔。ところどころ塗装が剥がれ、サビだらけである。
しかしそれでもまだしっかりと立っている。
ベルードはハークを片手で抱きかかえ、指先で足を二回つつき狼の足に変える。
呆気にとられるハークを他所に、一気に加速しマンションから飛び出した。
空から眺めるスラム街とゴミ捨て場は、とても小さく見える。
さっきまで走り回っていた所、追いかけ回した大人たちはちっぽけである。
まだ行ったことのない所のゴミ捨て場の端まで見えた。
風を切り裂いてゴミ山からゴミ山へ飛び移り、何もかも置き去りにして
とうとう鉄塔の頂上へと駆け上がっていったのだ。
「あー、ええっと……ハーク君、物分かりは良い? あぁー、理解するのは、得意?
俺、頭悪くてね。説明下手なんだ。詳しくはもう一人にお願いしている。
ところで、その写真立ては……」
ハークの手には写真立てを大事そうに手にしていた。
ベルードに抱えられ隠れ家から飛び出す瞬間、すぐに写真立てを掴んでいた。
「大事な、ものなんだ。……ところで、アンタは噂の化け物か?」
「……え? 化け物? いやぁどうだろう。……てか、噂の化け物?
何それ。すっごい安直。聞いた事ないワケで。……教えてくれる?」
――スラム街には、こんな噂がある。
『――夜な夜な、大きな化け物が街を歩いている。
――化け物は、大きくて鋭い爪を持っている。
その爪で、誰かを切り裂こうとしている。
――化け物は、大きくて太い牙を持っている。
その牙で、誰かを噛み殺そうとしている。
――化け物は、いつも空へ遠吠えをしている。
その声は、どこか寂しそうにも聞こえる』
ハークはベルードの姿形を見て、ふと噂の化け物ではないかと思ったのである。
「あぁなるほど。確かに、俺には鋭い爪も牙もあるし、吠えることも……。
いやいやいや!? ちょっと待って!? 俺、そんな夜出歩かないよ!
それにそれが俺だけを指していないのかも……。もしかしたら俺たちなのかも」
ベルードは自身とハークを交互に指さす。しばしの沈黙の後、お互いに首を傾げる。
ハークにはその意味が分からなかった。俺たちが、化け物?
それよりも目の前の狼に変身する男の方が、化け物としか思えない。
ベルードの言葉に嘘は感じられない。だが真実だとは考えにくい。
困惑するハークだったが、ふと遠くから聞き慣れない音が近づき、振り返る。
”バラララララ……”
「おーきたきた」
凄まじい突風が下から突き抜けてくる。そこには黒く重厚そうなヘリが
目と鼻の先までに迫って現れる。ハークは間近かつ初めて目の当たりにした。
あまりに間近なため、顔へ叩きつける風圧で目を開けるのが大変であった。
ようやく慣れて細目でヘリを確かめる。その側面には、見たことのない象徴。
ハッキリとはわからないも、青い鳥のようなものであった。
「もしかしたら、警察や軍よりもヤバい所か!?」と直感したハーク。
ベルードの腕が少し緩んだのに気づき、急いでもがいて逃げ出そうとした。
「あー……。つーワケで、これから君には研究所……というか分署に来てもら――
あぁまってまって、暴れないで! ちゃんとした理由あるから!
そこで詳しく話してもらうから! 俺、雑だし。……あぁ待って!
と、とりあえず乗ろう! それからでも遅くはないからっ!」
ハークとベルードがもみ合いになり、全く乗ろうとする気配がなかったためか
突然ガラッとヘリの扉が開かれる。そこには黒いスーツを着た眼鏡の男。
「早く乗れ」と大声で言い放っているが聞こえず、仕方なく指で合図した。
ベルードはハークを抱えたまま、鉄塔から飛び上がってヘリへ乗り込む。
ヘリは急ぎその場を離れ、何処かへ向かって飛んでいった。
* * * * *
「――改めて、ようこそハーク君。ここは通称『わるいこ研究所』だ。
……と言っても研究所本部は別で、ここは第二本部。つまり分署だ。
そして此処の所長を務めるレムザニットだ。レムザでいい」
そこは所長室と呼ばれる部屋。よく手入れされた机ひとつと椅子3脚。
部屋の壁に沿って連なる本棚に、びっしりと難しそうな本がズラリと並ぶ。
かなり大切に育てられた観葉植物に、縦長の全身鏡なども置かれていた。
部屋真ん中に用意された大人用の椅子にすっぽり収められたハーク。
背には銀髪の男ベルード。扉近くで椅子に座らず、直立で待機している。
そして書類とハークを交互に見つめるレムザニットと名乗る男。
黒髪でオールバック、額の真ん中に丸い傷跡ひとつ。
銀縁の眼鏡をかけ、そこから鋭い眼光を向ける男。
その眼は鋭く、一度向けられただけで背筋が凍り付き
心臓を鷲掴みされるような恐怖を覚えた。
冬でもないにも関わらず、首には年季の入った長めの白いマフラー。
上は気品のある黒のジャケット、素人目でも分かる良い素材の赤いワイシャツ。
光に照らされてキラリと輝き、美しい模様を浮かべる黒のネクタイ。
机の隙間から見えた革靴は、塵や傷など一つなく手入れが行き届いている。
「ハーク君。年齢は11歳、と2か月。茶髪に灰色の目。
身長は……まぁ誤差か。両親と祖父母、まだ赤子の弟ふたり。
彼らがある日突然、君だけ残して消えた。君は彼らの帰りを待つべく
あのスラム街で懸命に生きてた、と。素晴らしい、立派なことだ。
――君を連れてきたのは他でもない。君が『わるいこ』の可能性があるからだ。
それもまだなっていないという幸運。今回、特例中の特例で、君を連れてきた。
本来の研究所の目的である保護支援も含めて、君を研究所職員として迎えたい」
書類を脇に置いて、ハークの方へ真っすぐ顔を向けて言い放つ。
――は?
突飛な内容とレムザから溢れる圧に、ハークは一瞬思考が止まる。
とうとう無意識のうちに、口からポロッとこぼしながら首を傾げた。
「い、いや……なんで俺の事を知っているんだ? そもそも『わるいこ』研究所?
俺がわるいこ? 保護? 支援? 働く? い、いきなり連れてきて何を言うんだ!?」
ハークは目の前の恐ろしい男レムザに圧倒されるも、果敢に疑問をぶつける。
予想だにしなかった事か、目の前のレムザはピタリとそのまま固まった。
一度目線を書類へ落とし、顎に手を当てながら思案する。
「――ベルード。ハーク君に必要なことを説明しなかったのか?」
「あ、あはは……。そ、そもそも俺が狼の足を使うほどなワケで。
それに、ハーク君を捕まえてすぐ連絡したら、急いでくれって」
そうだったが、まさかここまでとは。全く何も説明していないのか。
今にもため息をつきそうなレムザは項垂れ、額に手を当てた。
「……レムザさん。やっぱりわるいこになる前に連れてきて良かったんすか?
ハーク君の言うことも、全くもってその通りなワケで」
「……分かってからだと遅いのはベルード、お前だって知っているだろう?
お前はその性格と環境、そして偶然が重なったから大事に至らなかった。
他の子が、そしてハーク君がそうとは限らないわけだ」
そういうものか、とベルードは半ば信じ切れていない様子だった。
いやいややっぱりしっかり説明を、いやいやまずは保護を、と
二人はああでもないこうでもないとハークそっちのけで議論を繰り広げる。
* * * * *
「(……今なら逃げられるか?)」
自身へ注意が向けていないのを確認したハークは、ここから逃げる方法を考えた。
大方はどさくさに紛れて逃げることである。真っ向から体格差のある二人に
腕力や交渉でこの場を乗り切れることは不可能である。
子供ゆえ狭い所へ身体を滑り込ませ、必死になってここから走って逃げる。
スラム街で日々駆け回ったおかげが、身体が自然と鍛えられていた。
大人たちから逃げること、落下物などを避けることにハークは長けていた。
今はそれしか方法はない。ならばと部屋にあるものでどうにかこの場を滅茶苦茶にし
二人がそれに気を取られている隙に、扉をこじ開けて逃げることにした。
ふと、部屋に置かれた本棚に目がついた。様々な本が詰め込まれている。
よく見ると上段に本がみっちりと並ぶが、下段はそれほど置かれていない。
部屋の持ち主であろうレムザは背が高いため、優先的に上へしまっていたようだった。
「(ーーよしっ!)」
ハークは一瞬にして本棚の下へと飛び込む。ハークは本棚の下にタックルし
本棚がぐらつき、その騒ぎに乗じて逃げようと考え付く。
静かに、そして一気に椅子から飛び降り、本棚へ向かって体当たりを仕掛ける。
しかし椅子から降りたその瞬間。ズンッ! とハークの身体が突然重くなる。
何かが飛び込むハークの背中めがけ、まるで足で踏んづけるようにのしかかる。
「ぐっ!?」
ハークはあと一歩のところで本棚に届かず、床に叩きつけられる。
突然のことだったが、レムザは眼鏡の押さえながら机からゆっくりと立ち上がる。
すると一気にハークへかかる重みが増す。ハークが鏡越しに背中を確認した。
ベルードが狼の足で押さえたわけではない。間違いない。レムザが何かしている。
それどころか、背中には見えない何かが押さえつけている様子が分かる。
ベルードが狼の力を使えるなら、レムザもまた何かの力を使えるのかもしれない。
見落としていた。ハークはそれでも何とかもがいてみる。
「ーー待て待てハーク君。慌てるな。あくまで、我々と同じ職員として迎えたい。
説明不足はこちらの不手際だ。申し訳ない。……ベルード、一歩遅いぞ」
ハークは辛うじて顔を動かし、ベルードの方を見る。足だけ狼に変わり
前かがみとなり、こちらへ飛びかからんとした姿勢で止まっていた。
すいません、とベルードは元の姿に戻る。
* * * * *
ハークに押し付けられた何かは取り払われたのか、重さは消え去る。
「荒っぽいやり方で申し訳ない」と膝を突いて、レムザは頭を下げた。
ハークを起こそうとゆっくりと手を差し伸べる。恐る恐るハークは応えた。
突然のことでズレた眼鏡を直し、ハークと同じ目線でレムザは口を開く。
「ハーク君。逃げたいのは分かる。だがそうなると、もっと恐ろしいことになる。
君の話したスラム街の噂は聞いている。その化け物に、君もなりかねないんだ。
それを俺も、ベルードも、そして研究所を創設したアナグマ博士も望まない。
……たとえ、君が噂の化け物になろうとも、だ」
眼鏡越しから向けられるレムザの目は本気で、そう語る彼の手に力が入り始める。
訳が分からない。ここまでして自分を助けようとするのは何故?
自分を言いくるめるための演技ではないか? ハークはそう思った。
しかしここにいる二人は、あのゴミ捨て場に居た大人とは何か違う。
敵から物を奪おう、倒そうとする飢えた野犬のような目ではない。
あれこれ言いくるめ、なんでも奪おうという不気味な笑みを浮かべる奴でもない。
しかしそれでも彼らに対する疑いが晴れず、ハークは首を縦に振れなかった。
「ーーわるいこってなんだよ。なんで俺がわるいこだと分かるんだ? ……納得いかない」
レムザの真っ直ぐな目を逸らし、うつむきながらハークはそう呟く。
確かにその通りだ。レムザの表情が少し曇り、肩に乗せた手の力が緩み始める。
「いや待て、それならば」とレムザは立ち上がり、再度机の書類に目を通す。
しかし目当ての物は無く、机に備え付けられた引き出しに指をかける。
ガチャリと音を立て、そこに保管された書類をパラパラとめくった。
「……わかった。こういう時は、実際に見た方がいい。ちょうど隔離棟へ
経過観察に向かう時期だ。ハーク君にも同席してもらう」
「え!? い、良いんすか? まだハーク君がここに入るって決まったワケじゃ……」
「ーー問題ない。博士には俺から伝えておく。早めの研修だ」
レムザは書類を入れ直し、鍵を閉めたのを確認する。
ハークはもちろん、ベルードにも目配せして部屋を出る。
はぁ、とため息交じりにベルードはハークへ目を向ける。
「……勝手に連れてきてごめん。これじゃあ俺たちを信用できないよね。
けど見たら分かるかもしれない。それにレムザさんの話は本当なワケで。
それからでも研究所に入るかどうか決めてもいいと思う。……行こう」
ベルードに促され、ハークはレムザの後を追う。
続きます。
追記:2026年3月1日
内容そのままに体裁を整え、加筆しました。




