ハークとベルードとレムザ
ハークと眠そうな男ベルードは
スラム街の一番高い所にたどり着く。
そこは何時からか
建てられていた遠見の鉄塔。
ゴミではなく
しっかりとした鉄塔であり
ところどころ塗装がはがれ
サビだらけである。
ベルードはハークを片手で抱きかかえ
指先で足を二回つつき狼の足に変える。
猛スピードで鉄塔の頂上へと
駆け上がっていったのだ。
「ハーク君、物分かりは良い?
あぁーー、理解するのは、得意?
俺、頭悪くてね。そう、下手なワケ。
あと、説明も雑らしい。
ところで、その写真立ては……」
ハークの手には写真立てを
大事そうに手にしていた。
ベルードに抱えられ
隠れ家から飛び出す瞬間
すぐに写真立てを掴んでいた。
「大事な、ものなんだ。
……ところで、アンタ
噂の化け物か?」
「え? 化け物?
いやぁどうだろう。
……てか、噂の化け物?
何それ。すっごい安直」
――スラム街には、こんな噂がある。
『――夜な夜な、大きな化け物が街を歩いている。
――化け物は、大きくて鋭い爪を持っている。
その爪で、誰かを切り裂こうとしている。
――化け物は、大きくて太い牙を持っている。
その牙で、誰かを噛み殺そうとしている。
――化け物は、いつも空へ遠吠えをしている。
その声は、どこか寂しそうにも聞こえる』
ハークはベルードの姿形を見て
ふと噂の化け物ではないかと
思ったのである。
「いやいやいや!
俺、そんな夜出歩かない。
そもそも化け物? うーん。
それに俺が、ではなく
『俺たち』の方じゃない?」
ベルードは自身と
ハークを交互に指さす。
ハークはその意味が分からなかった。
自分の方が化け物?
自分は目の前の
狼に変身する男の方が
化け物としか思えない。
* * * * *
”バラララララ……”
凄まじい突風が
下から突き抜けてくる。
そこには黒く重厚そうなヘリが
目と鼻の先までに現れる。
ハークは間近かつ初めて
目の当たりにした。
ヘリの横の装甲には
見たことのないマークが描かれている。
ヘリの風圧に目を少し開くのがやっとで
じっくり見ることは出来なかった。
直感で、何かしら
ヤバイ集団なのではないか
と考え、ハークは再度もがき始めた。
「お、きたきた。
あー……、つーワケで
これから君には俺らのとこの
研究所に来てもら――
あぁまってまって、暴れないで!
ちゃんとした理由あるから!
所長にくわしく話してもらうから!
俺、雑だし。……あぁ待って!
とりあえず乗ろう!」
ヘリの扉が開かれる。
そこからひとり
こちらへ手を伸ばす武装した人物。
その手をベルードは掴み
彼らは飛んで行った。
* * * * *
そこは所長室と呼ばれる部屋。
よく手入れされた机ひとつと椅子3脚。
後ろの壁にはいびつな4つの翼を持ち
牙の生えた鋭いくちばしを持った
見たことのない青い鳥をあしらった
シンボルが大きく掲げられていた。
「――所長のレムザニットだ。
レムザでいい。ハーク君だね?
年齢は11歳、と2か月。茶髪に灰色の目。
身長は……、まぁ誤差か。
両親と祖父母、ふたりの弟たちがいた。
……だが、君だけ残して消えた。
君はあのスラム街で生きてた、と」
ハークの目の前には
黒髪でオールバック
額の真ん中に丸い傷跡ひとつ。
銀縁の眼鏡をかけ、そこから
鋭い眼光を向ける男。
首には長めの白いマフラーをまく。
上は黒いジャケットを羽織る。
前開きであり、そこからは赤いワイシャツに
黒のネクタイが付けられている。
タバコをくわえながら
書類とハークを交互に見つめる
レムザニットと名乗る男が
椅子に座っている。
レムザのその眼は鋭く
一目睨まれただけで
ハークは自身の心臓を
鷲づかみにされるような
恐怖に似た感覚を覚えた。
「ようこそハーク君。歓迎する。
ここは通称『わるいこ研究所』だ。
君を連れてきたのは他でもない。
君が『わるいこ』の可能性があるからだ。
それも“まだなっていない”という幸運。
今回、特例中の特例で、君を連れてきた。
保護観察も含めて、ここの職員として
君を迎えたい」
レムザは書類を置く。
目の前の少年の方へ目を向け、言い放つ。
しかし、突飛な内容と
レムザから溢れる圧にハークは
一瞬思考が止まっていた。
「……は?
なんで俺の事を知っているんだ?
そもそも『わるいこ』研究所?
俺がわるいこ? 保護観察? 働く?
いきなり誘拐して何を言うんだ!?」
ハークは果敢に話をぶつける。
その様子に、目の前のレムザは
キョトンと目を丸くする。
ハークの後ろで控えていたベルードは
額に手を当てて天を仰ぐ。
「レムザさん。
やっぱりわるいこになる前に
連れてきて本当に良かったんすか?
ハーク君の言うこと、なかなか
その通りっすよ?」
「分かってから、だと遅いのは
ベルード、お前だって
知っているだろう?
お前はその性格と環境
そして偶然が重なって
大事に至らなかったわけだが。
この子、ハーク君がそうとは
限らないわけだ」
そういうものか、とベルードは
半ば信じ切れていない様子だった。
いやいややっぱりしっかり説明を、
いやいやまずは保護を、と二人は
ああでもないこうでもないと
ハークそっちのけで話し合いに
熱を帯び始めた。
* * * * *
二人の話し合いの一方で
ハークはどうにかして
逃げる方法を考えていた。
大方できるのは
どさくさに逃げることである。
唯一であり、それしかない方法だが
部屋にあるものでどうにか気を引き
その隙に、扉をこじ開けて逃げる。
スラム街での日々により
身体が自然と鍛えられ
逃げることや避けることに
ハークは長けていた。
ふと、部屋に置かれた
本棚に目がついた。
距離にしてハークから
およそ2メートルほど。
上の方に本が集中し
下に本が置かれていない。
部屋の持ち主であろう
レムザは背が高いため
優先的に上へしまっていたようだった。
ハークは本棚の下にタックルし
本棚がぐらつき、その騒ぎに乗じて
逃げようと考え付いた。
「(よしっ!)」
ハークは一瞬にして本棚の下へと飛び込む!
そして本棚へぶつかるその瞬間!
”ズンッ!”
天から何か重いものがのしかかる!
「ぐっ!?」
ハークはあと一歩のところ
本棚に届かず、床に叩きつけられる。
「まてまてハーク君。
慌てるな。あくまで、我々と同じ
職員として迎えたい。
説明不足は、こちらの不手際だ。
申し訳ない。……ベルード、一歩遅いぞ」
ハークは辛うじて顔を動かし、ベルードの方を見る。
彼は、足だけ狼に変えて前かがみとなり
こちらへ飛びかからんとした姿勢で止まっていた。
すいません、とベルードは元の姿に戻る。
* * * * *
ハークに押し付けられた
何かが取り払われ
駆け寄ったレムザに起こされる。
ハークの両肩に手を置き
近い距離かつ同じ目線で
レムザは語り始める。
「ハーク君。逃げたいのは分かる。
だが、そうなるともっと恐ろしいことになる。
君の話したスラム街の噂は聞いている。
その化け物に、君がなりかねないんだ。
それを、私も、そこのベルードも
そして、研究所を創設した
アナグマ博士も望みはしない。
……たとえ、君がわるいこになろうとも、だ」
レムザの目は本気のようである。
そう語る彼の手に力が入り始める。
訳が分からない。
だが、ここにいる大人は
ゴミ捨て場に居た大人たちとはどこか違う。
しかしハークは彼らに対する
疑いが晴れず、混乱した。
「……わるいこってなんだよ。
どうして俺がわるいこって分かるんだ?
納得いかない……」
目線を下にそらし、ハークはつぶやく。
「……わかった。
こういう時は、実際に見た方がいいだろう。
ちょうど書類に“隔離棟にて対象の
経過観察が必要”とある」
「良いんすか? まだ決まったワケじゃ……」
「構わん」
レムザは別の書類を手にし
すぐさま部屋を出る。
はぁ、とため息交じりに
ベルードはハークへと目を移す。
「……行こう?
俺らが信用できないのは分かる。
けどさ、見たら分かる、かもしれない」
ベルードからゆっくり差し出された手を
ハークはおそるおそる握る。
二人はレムザを追った。
続きます。