ひー・いず・うぉっちゃー!
前話とは比べ物にならないほど時間があいてしまいました……。
大変申し訳ありません!
またお待たせすることになるかもしれませんが、全ての物語が一息つくまでは放り投げませんので、よろしければおつきあいくださいませ。
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会長に連れられてたどり着いたのは、敷地内に四つある小さな詰め所――正式には守衛室、通称は警備員小屋――ではなく、僕たちが普段から授業を受けている校舎の一階、それも一般生徒ならばまず近付かないような、職員室のさらに奥にある場所だった。
「……秘密基地か何かですか?」
「その印象は間違ってはいない気もするけど、なんだかその言葉からは子どもっぽさがあふれてくるわね」
プレートの類は一切かかっていない簡素な扉の前で、僕と会長はそんな風に言葉を交し合う。
お仕事の最中だった先生たちに挨拶しながら会長の言う『第五守衛室』へと赴いた僕らだったが、今僕の前にあるのはどう考えても特に用途もない倉庫のような部屋だ。
そもそも出入り口から一番離れたところにある奥まった袋小路のような場所の壁際に誰も知らない部屋があるなんて、説明されない限りわからなないだろう。
この学校の間取り的に考えてそこそこの広さはあるのだと推測はできるが、かといって何かの用途で使われたという話も聞いたことがなく、そもそもそんな部屋が職員室の奥にあるということ自体僕は知らなかった。
生徒会という、ある意味教師たちよりもこの学校の情報に詳しい組織に属する僕ですら知らない部屋があったということは素直に驚くが、それが実は人外がらみの場所だった、と説明されれば納得せざるを得ない。
「まあ、職員の中にも知らない人は大勢いるし、立地上生徒は例え人外側であってもほとんどかかわりのない場所だしね。実際、やっていることもほとんど秘密基地みたいなものだから、それでいいと思うわ」
そう言いながら会長は観葉植物が上手く配置されているため一見するとただの壁にしか見えない扉の前に立つと、あまり響かないよう控え目にノックを三回する。
普通ならばすぐに返事が返ってくるタイミングではあったが、なぜか十秒ほど経っても何も返ってこない。
これはまた会長が何かやらかしたのかと思い下手人の顔を見るが、当の会長はこれが普通とでも言うように堂々としている。
と、その時、
『――お待たせしました。お二人とも、入ってきていいですよ』
という声が扉の向こうから小さく響いてきた。
『ほらね?』とでも言いたそうににやにやと僕に向かって笑いながら、会長は扉に手をかけると、人ひとりがギリギリ通れるぐらいの隙間を開け、すばやく部屋の中へと体を滑り込ませた。
その手際の良さにあっけにとられていた僕だったが、扉の隙間から会長の手だけがスッと出てきて手招きをしてきたので、慌てて同じようにその部屋へと入っていく。
……あれ? どうして僕らが二人組だってわかったんだろう……?
そんな疑問がふと浮かんだが、一度始めた動作は止まることなく、僕の体は隠し部屋へと入り、扉を静かに閉めるところまでを無意識にこなす。
そうして部屋の中に入ってみると、そこは、
「……なるほど、まさに秘密基地ですね」
今僕らが入ってきた扉以外は窓などの外部へのアクセス方法はなく、カラーボックス製の小さな本棚と同じ大きさのクーラーボックス、そこから出したのであろうスポーツ飲料と固定式の電話、流行りの小説が乗せられた一人用の机といす、それに壁際に背の高いロッカーが一つと観葉植物が申し訳程度にいくつかおいてあるだけの六畳間。
端的に説明すればそれだけで済んでしまうような、そんな小ぢんまりとした部屋だった。
「やあ、二人とも。見回りご苦労様!」
そんな小さな部屋の中で僕たちを出迎えたのは、急いで羽織ったかのようにところどころが着崩れたシャツを纏う、一人の男性だった。
夏らしく半袖の質素なシャツとハーフパンツ姿の健康そのものといったさわやかなその男性は、その雰囲気と先の挨拶にたがわぬ笑顔を僕たちに向けている。
同性である僕から見ても『さぞモテるだろう』と思わせてくる雰囲気を裏付けるように、彼の左手薬指には質素ながらも高価そうなきらめきがある。
と、そこまで観察を終えてから、今まで僕から言葉を一言も発していないということに気が付き、あわてて自己紹介をする。
「はじめまして、僕は生徒会庶務職の雨水・影太です。よろしくお願いします」
その言葉を聞き、彼はなぜか一瞬不思議そうな顔をして、
「ん? ……ああ、そうかそうか、そういえば直接会うのはこれが初めてだったね。いつも見ていたから、もう何度もあっているものだと思ってしまったよ」
と、半ば独り言のようにそういうと、僕の顔をしっかと見つめ、
「改めまして、私の名前は百乃目・留です。身長体重は見ての通りで、好きな物は妻と娘で趣味は妻と娘を動画・静止画におさめることで、好きな食べ物は妻の作る物なら全部ですが、最近ハマっているのは妻の作ったシチューで、作ってくれたものを僕と一緒に食べるときに『ソースならまだしも醤油を入れるとは何事か!!』って私の味覚に文句を言う妻の怒った顔もこれまたかわいくて! あ、お近づきのしるしに撮りためた動画でもいかがです? 例えば娘が生まれて初めて立ち上がりからのしりもちドスンでむずがって泣くという奇跡のコンボを決めた名シーンなどがお勧めで――」
自己紹介に擬態させたなにかを垂れ流しはじめた。
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その後もずっと話し続けた彼は、いつの間にか動画鑑賞会を開催することに決め、家族自慢を引き続き滝の如くまくしたてながらロッカーからなにやら高級そうなプロジェクターとノートパソコンといくつかのコードを取り出して接続し始めた。
その様を少し離れたところであっけにとられながら見ていた僕の肩にポンと手を置いた会長は、きりっとした顔で口を開き、
「……とりあえず、1時間は覚悟しておきましょう」
「すぐさま解決をあきらめて時間の流れに身を任せる選択をとりましたねこのダメ会長。……というか、この方はここで何をしているんですか?」
どう見ても親馬鹿と嫁馬鹿をこじらせたお父さんだ。娘さんが年頃になった時に地獄を見るだろう。
ともあれ、こんな何もない――放映機器は以上に豊富だが――場所で、いったいどんな仕事ができるのだろう。
名目としては守衛室なのに、守る対象が全く見えない閉鎖空間ではなにかが起こってもわからない。
その点がどうしても気になったので会長に聞いてみると、
「この部屋の名前のとおりよ。守衛さんなんだから、この学校の監視をしてくれてるわ」
と、当たり前のように言う。
「でも、こんな何もない部屋の中で、何を監視できるって言うんですか?」
ノートパソコンを使って映像を見ている可能性もないではないが、もしそうならば仕事の最中ずっと机の上にパソコンがないのはおかしいだろう。
目の前でせっせと家族紹介の準備をしている百乃目さんは、家族愛が少々過ぎる他は常識的な人に見える。
少なくとも、仕事に必要な物をロッカーの中に入れっぱなしにしてくつろぐような不真面目な人ではなさそうだ。
……ならば、いったいどうやって?
と、そこまで考え、それ以上思考が進まなくなった時、会長が僕に声をかけてきた。
「……まあ、そう思うのも無理ないわね。でも、彼は立派に仕事を果しているわ。今、この瞬間も、ね。――そうでしょう、百乃目さん?」
「ええ、もちろん。真面目にお仕事頑張ってますよ。じゃないと、胸を張って家に帰れなくなる」
そういってどこにしまっていたのか、一抱えもありそうなスピーカーを設置し位置を調節しながら、百乃目さんは『この位置の方が臨場感を演出できるな……』と一つ呟きを放って、それから僕のほうに顔を向けると、
「僕は今でもこの学校全体を監視しています。第三の目がありますから」
「……会長、控えめに言ってこの方中学校2年生あたりで精神的な成長止まってませんか?」
「そう思いたいのはわかるけど、でも言ってることは間違ってないのよね。ほら、よく見ててごらんなさい」
そう言う会長を信じて百乃目さんを見ると、
「じゃあ、具体的に見てもらおうか。――ほら、これが第三の目だ」
そう言って指をさされた彼の額を見ると、何もなかった額にいきなり一つの目が現れた。
「――え!?」
「で、こっちが第四の目で、こっちが第五の目。さらに第六第七第八とより取り見取りでござーい!」
「え、え、え、え、え!?」
と、驚く間もなく、掌、二の腕、首、頬、手の甲と、彼の体にいくつもいくつも目が現れる。
目の増殖はその後も止まらず、ついには身体中に隙間なく目が並ぶというちょっとしたホラーになってしまった。
「――うわぁ……」
もう驚きが一周まわりすぎて逆に冷静になってしまった僕の肩に、会長の手がポンと乗り、
「もうわかったと思うけど、彼も人外の一人よ。種族は『百目』ね。見ての通り、体中に目を出して、その目で様々な場所を視ることができるの。当然壁とかも透かして見えるわ」
「……世の覗き魔たちがよだれもろもろ垂れ流してほしがりそうな能力ですけど、見た目が結構インパクトありますね」
「まあ、そこが少々ネックなんだけどね。でも、目を閉じていれば見た目はヒトと大差ないから、溶け込みやすい種族よ?」
「ちょっと妖怪について詳しい人に正体を明かすと、『目玉が追いかけてくるの!?』と驚かれますが、そんなことはないので安心してください。その気になればどこまでも監視できる程度ですので」
「あまり安心できないどころか不安しかないフォローが本人から出てきたんですけど、どうしてくれましょうか……」
むしろ百目という妖怪を初めて知ったので、振られたネタの意味が理解できない。
だが、どうしてこの人がこんな外部から遮断された部屋で仕事をしているのかは理解できた。
一生懸命監視に励むためには体中に目を出さなければならず、そのためには上着すら邪魔なので半裸の状態が望ましい上に、その時の見た目が全身目玉男というありさまだ。
……どう考えても、他の人がいる場所では働けないよなぁ。
事情を知っている僕でもちょっと引くのに、外部の方がうっかり出会ってしまった日にはトラウマものだろう。
「ところで赤水さん。頼んでいた例のもの、どうなりました?」
「ああ、あれですか。さすがにあの数は却下されてしまいましたので、経費では落とせなさそうです」
「まあ、そうですよねぇ。さて、どうしたものか……」
機器の準備を進めながら百乃目がしてきた質問に、会長が申し訳なさそうに答えると、百乃目さんも残念そうにつぶやいた。
「例のものって、なんです? また会長らしく危ない葉っぱか血液ですか?」
「少なくとも1つ目は私らしくないと思うけど、どちらも違うわ。『業務の効率化を図るために』という名目で通らないかって百乃目さんに頼まれていたものよ」
「百乃目さんの業務効率化……? 高性能のプロジェクターですか?」
「それはもうここに配属された直後に申請して即刻却下されたからね。当分は申請しないで我慢するよ」
出会ったばかりだが、会長と同じように期待を裏切らないうえにあきらめが悪い人だとわかってなんだか安心したが、それはそれとして、じゃあ何を頼んだというのだろうか。
「今回申請したのは、コンタクトレンズです。最近目がだんだん悪くなってきましてね。遠くを見るときにだんだんぼやけるようになってしまったんですよ」
「しかも彼の場合、全身に百ある目のすべてにコンタクトレンズをしないといけないから、個人負担だとどうしても、ねぇ……」
なるほど、確かに実費ではきついし、かといって個人的に利用するものだから経費では落としにくい、という板挟みか。
事情が分かっていればどうにかしたいけど、事情を知らない人も経理にはいるだろうから、強引に通すこともできないってところだろう。
「なので申し訳ないですが、とりあえず現状では厳しいとしか言えないです。一応別口で話をして、こちら側の事情に詳しい眼鏡屋さんを紹介するので、そこで作ってもらえばかなり割り引いてもらえるはずですよ」
「ああ、それだけでもだいぶありがたいです。最近日に日に視力が落ちてきてまして、日課の動画編集にも支障が出てくる始末で……」
もしかして視力の低下って毎日画面を見ていたせいなんじゃないだろうか、とも思ったが、口に出しても仕方のないことだとも思ったので何も言わないでおこう。
「――さて、大変お待たせしました。やっと準備ができましたので、一緒に妻と娘の記録を見ていきましょう! ではまずは、妻からです」
「……雨水くん。とりあえず、気をしっかり持っておきなさいね?」
「会長、いきなり何を言っているんですか? まるでこれから何か起こるかのような――」
「こちらが、妻と私のツーショット写真です!」
不吉な言葉をこっそりと放った会長に返事をしているうちに、白い壁に画像が映し出された。
そこに映ったのは、普段着でにっこりと楽しそうな笑顔を浮かべた百乃目さんと、その隣に立つ長身の女性だった。
日本人としては平均よりも少し身長が高いはずの百乃目さんよりも頭半分ほど背の高いその女性は、濃い褐色の髪の毛を簡単に束ねており、ぱっちりとした目がとても印象的だ。
おそらく純粋な日本人ではないのであろう彼女の写真を見て、しかしもっとも印象に残るのはとある一点のみだ。
ぱっちりとした目が、顔の中心に1つだけしかないのだ。
「ギリシャ出身のセシリアさんです。私たち側専門の合コンで知り合いまして、もう最初に見た瞬間から一目ぼれでドキドキが止まりませんでしたよ。いやあ参りましたね!」
いやそれたぶん違う種類のドキドキだったと思います。
「最初は参加者皆普通の人間に偽装していたんですが、会場の個室に入った瞬間から本来の姿に戻すことになっていまして。で、最初に来ていた彼女に私は一目ぼれで、彼女の方も全身に目を出した私から目を離せなかったようですね。なんでも『たくさんの目が自分のことを見てきて、とてもゾクゾクした』とか」
ああ、似たもの夫婦でちょうどいい感じだ、これ。
「互いに見つめあっているうちに、いつの間にか周りは周りで話が盛り上がっていまして。まあ半分ぐらい成り行きでしたが彼女と話しているうちに、性格の方もかなり合うということもわかり、じゃあもうこれはおつきあいするしかないな、と」
「なるほど、なれそめは裏の事情も含めてなんとなくわかってきましたが、その前に――会長、解説お願いします」
「……まあ、そう来るだろうと思っていたけどね」
何に対してのものかはわからないが、はあ、とため息1つ吐いた会長は写真を見ながら話し始める。
「彼女は見ての通り普通の人間じゃないわ。もともとはギリシャ神話に出てくる単眼巨躯の神『サイクロプス』――の、元ネタになった種族らしいわ。だから種族名もそこからとってサイクロプスね。見た目通り大きな一つ目が特徴だけど、ほかには物作りが得意だとか、そんな特徴がある以外は人間と変わらない種よ」
「もういろいろと突っ込みどころが多すぎて訳が分からなくなりそうなので、とりあえずもうその説明で納得します」
そんなことを話している間に、写真はドンドン切り変わっていき、時折動画も混ざるようになっていった。
それらの画像を一枚一枚丁寧に説明していた百乃目さんは、互いの両親たちが一緒に撮った写真(全員正体を現していたのでこれまたインパクトがあった)が表示されると、僕らの方を振り返った。
「この次に出てくるのは、生後半年ほど頃の娘の動画です。かわいらしすぎて全私が失神しかねないので、心してみてくださいね?」
それ、全私に含まれない僕らにいう意味あるのだろうか。それとも倒れるから医者を呼んでくれという遠回しな要請だろうか?
というか、この二人の子どもってどんな姿なのか、想像しにくいのだけど、どうしたものか。
「では、出しますね」
そう言って、百乃目さんは機材を操作する。
すると画面が切り替わり、現れた姿は――
「あら。かわいい」
「でしょう! まさに天使! いや、天使の概念すら吹き飛ばすまさに超天使級のかわいらしさ!! もう、もう私は耐えられそうにありません!!! 我が娘のかわいさは世界一ィィィィィ!!!」
何やら百乃目さんがトリップしているが、まあおおむね予想通りというか、想定した中でも割とましな反応なのでスルーしておく。
だが確かに、会長がつぶやいた通り、映されているのは少々髪の毛の色素が薄いように見える以外はごく普通のかわいらしい赤ちゃんだ。
どちらに似ているのかとも思ったが、目は僕や会長などと同じように2つなので、極端な2人の特性が平均化されてちょうどよくなったりしたのだろうか?
『――ぁ、あー、あー……』
そういっているうちに動画の中の赤ちゃんが、何かに気が付いたように手をこちらに、というか撮影しているカメラの方に伸ばし始めた。
すると画面の端からクマの人形を持った手が出てきて、赤ちゃんの目の前で人形をゆらゆらと揺らし始める。
それをじっと見始めた赤ちゃんは、面白いのか人形を笑いながらじっと見つめ始めた。
と、赤ちゃんが人形を見る目が伸ばした掌に1つ増えた。
「……会長、もうオチが見えたんですけど」
「私も同じだから黙ってみてなさい」
そうこういっているうちに、1つ増えた目がさらに2つ3つと増え、ついには父親と同じように全身に並ぶ。
その中でも特に目立つのが、額のあたりにある他の目よりも2回りほど大きな目だ。
「ほら見てくださいよ! この額と二の腕と右膝の目、妻の目にそっくりだと思いませんか!? きっと将来とても美人になって、彼氏とか捕まえてきて結果的に貴様に娘は渡さねえぞクソガキがぁぁぁぁああああ!!!!」
百乃目さんうるさいです。
「会長、とりあえず今日のまとめは『遺伝子ってすごいね』ということでいいですか?」
「まだまだこの鑑賞会は続くと思うけど、まあそんな感じでいいと思うわ」
仮想彼氏と脳内で戦い始めた百乃目さんと映像を交互に見詰めながら、僕はこのあとにまだまだ続く鑑賞会のことを考え、大きくため息を吐くのだった。
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「……結局1時間と46分もの間映像や動画を見ていたわけですが、結局百乃目さんが家族バカってことしかわからなかった気がします」
「それで大体あってるから何とも言えないけど、ともあれ何かあったらすぐに私たちに知らせてくれる方だから、よく知っておきなさいね?」
「まあ、有能な方だということはわかるんですけどね。いくらなんっでも個性を盛り込みすぎな気がしますが」
ともあれ、長時間映像を見ていたせいで目や頭が鈍く痛くなってきたのが少々つらくはある。
「……すみません会長、さっき言ってた頭痛薬定食、食べに行ってもいいですか」
「……そうね。ええ、私も付きあうわ。もうそろそろほかの役員たちも戻ってくるころだから、あまり長居はできないけれど、まあすこし休んでいくぐらいならばいいでしょう」
そう言って僕ら2人は、校舎の端にある食堂に向かって歩き出す。
とはいっても、同じ校舎の中にある施設なので、そこまで時間がかかるわけではない。
ほんの数分歩いて、僕たちは大人数が出入りしやすいように大きく作られた扉をくぐり、食堂にたどり着いていた。
ちなみにその扉の上にはわかりやすく【学生食堂『人生の墓場』:新婚家庭のような温かい食卓を提供いたします】と書かれている。
この件についてのツッコミはちゃんと入学初日に済ませてあるので安心してほしい。
「で、何を頼むの? 頭痛薬定食A? それとも胃薬御膳A?」
放課後ということもあってそこまで混んでいない食堂を見渡しながら会長が訪ねてくるが――
「いえ、手のひらをかえすようですが、歩いているうちに気分も楽になってきたので、それのお世話になるのはまた今度にします。今は小腹がすいている程度なので、サラダでも頼みましょうかね」
「あら、健康的。それじゃあ私も同じ物にしましょうか。えっと、今日の日替わりサラダは……」
僕と会長が向けた視線の先にあるボードには、本日の日替わりメニューの一覧が貼り出されている。
その中で僕と会長が注目するのは――
「『気紛れな食堂のおばちゃん特製行き当たりばったりサラダΩサイクロン/Ζ三号改型プロトタイプMk-ⅡΩミラノ風味』――毎度毎度思いますけど、長いですよねこのメニュー名」
「最初は単なる『日替わりサラダ』だったんだけど、売れ行きが今一つだったからって『おばちゃん特製きまぐれサラダ』って名前に変えたら少しだけよく売れるようになって、それに味を占めた食堂側が売れ行きが悪くなるたびに増改築を繰り返して行ったらこうなったんだっけ。確かにいい加減元に戻してもいいと思うわ。Ωが二つ入っちゃってるし」
「ツッコむところはそこだけじゃないと思いますけどね。というか注文の時にも『サラダで!』の一言で通じますからね。他にサラダ関係のメニューないですし、そもそも今の調理担当男性ですからね」
そんな話をしながら、僕は今日のサラダの内容を確認する。
「……今日のサラダは『黒毛和牛ステーキ定食』だそうです。写真を見る限りでは、昨日の『まさかの白米だけ!!』よりはまともだと思います。今日のにはミックスベジタブルが添えられてますし」
「サラダに肉が入ってることも珍しくない、って主張が今から聞こえてくるようね……。まあ、昨日の『畑で採れたんだからお米だって野菜の一種だ!』って言い訳よりはマシかもしれないけど」
とりあえず内容が思った以上に重そうなので、今日は単品のサンドウィッチを2つ買い、生徒会室に持ち帰って食べることにした。
「……ちなみに、この食堂にかかわる人の中に人外の方っています?」
「いなかったはずよ? アンケートくらいはとっているからその中に人外側の意見が入ることはあるけど、運営自体は人間の手で進んでいるはずね」
「なるほど、つまり異常なのは人外だけに限らない、ということですね。毒されないように注意しておきましょう」
「この現状になじみかけている時点でもう遅い気がすると思うけど……」
そんなことを話しながら、僕たちは目当てのものを購入し、生徒会室へと戻るのであった。
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