第八章 マグネット売場の魔法
ガロウが村を去って、十日が経った。
俺はその間、ガロウから預かった指輪と、村長エマルダの紹介状を使い、周辺の村々を回った。
半日歩いて行ける範囲に、三つの村があった。山あいに二つ、川沿いに一つ。どれも、セレーナ村と同じくらい、貧しかった。
俺は、それぞれの村で、村人たちが育てた野菜を買い取った。
痩せた芋でも、よく見れば、土の質によって甘味が違う。固い豆でも、品種を見極めれば、煮込みに最適なものがある。小さな大根でも、葉まで丁寧に使えば、立派な惣菜になる。
俺は目利きで、それを一つずつ判定し、適正な価格で買い取った。
それを、セレーナ村に持ち帰る。
軽トラから運び込んだ俺の野菜と、近隣の村々から集めた野菜と、それらを「分荷」する。
業界では分荷と言って、仕入れた品物を、行き先別、品質別、用途別に仕分ける作業を指す。普通は卸売市場で行うものだが、俺はそれを、リリの宿屋の前のスペースで行った。
その日の朝、俺は仕分けた野菜を、それぞれの村に再配送した。
セレーナで育った芋を、山あいの村に。
山あいの村で育った豆を、川沿いの村に。
川沿いの村で採れた魚の干物を、セレーナに。
俺の野菜は、ここから三つの村全部に、少量ずつ流した。
「お兄さん」
リリが、興奮した顔で、宿屋の入り口に駆け込んできた。
「川沿いの村から、人が来てます。芋を、もっと売りたいって」
「分かった、応じる」
俺は、宿屋の前に出た。
川沿いの村の青年たちが、荷車を引いて立っていた。
「翔太様、うちの村の芋、買ってください。三日前にあなたが買ってくれた芋、山の村で大評判だって聞いて」
俺は、青年たちの芋を目利きで判定し、買い取った。
その日のうちに、村の北側に、簡単な交換所を作った。テントを張り、テーブルを置き、計量秤と、買い取り価格表を掲げた。
価格表は、俺が手書きで書いた。
「この種類の芋、銅貨○枚」
「この豆、銀貨○枚」
「葉物、状態によって応相談」
目利きで仕分けた等級ごとに、価格を明示した。
これが、客にとってどれほど安心かを、俺は商店街で痛いほど学んでいた。何が、いくらで買い取ってもらえるか――それが分かれば、生産者は、生産に集中できる。
半月が経つ頃には、セレーナ村の入り口に、毎朝、近隣の村から荷車が三、四台、列を作るようになっていた。
俺の仕入れた野菜は、リリの宿屋の隣に建てた粗末な小屋に、整然と並べられていた。
ここは、業界でいうところの「マグネット売場」になっていた。
マグネット売場とは、客を引き寄せる磁石の役割を果たす売り場のことだ。手前に、特に目立つ品物――新鮮なもの、安いもの、季節のもの――を置く。それを目当てに来た客が、ついでに他の品物も買っていく。
セレーナ村は、村そのものが、地域全体のマグネット売場になっていた。
村人たちの顔つきが、明らかに変わっていた。
子供たちは、土の上に座って何もしない代わりに、村の手伝いを始めた。
老婆たちは、井戸端で、料理のレシピを交換するようになった。リリが俺から教わったレシピを、紙にも書けない村人たちのために、口伝で広めていた。
ロブは、毎朝、俺の小屋の前で待っていた。
「お兄さん、今日も、おつかい、するよ」
彼は、痩せていた頬に、少しずつ肉がついていた。
リリは、宿屋の経営を、俺と二人で立て直していた。
ある夜、俺は彼女に、簡単な帳簿の付け方を教えた。
「これが、売上。これが、原価。差額が、粗利だ。粗利から、お前の生活費を引いて、残ったのが、純利益」
「じゅんりえき」
リリは、口の中で繰り返した。
「貯金、っていうのは、その純利益を、ちゃんと取っておくことだ。明日、雨が降ったら、客が来ないかもしれない。来週、病気で寝込むかもしれない。その時のために、貯めておく金だ」
リリは、ノートに、震える手で書き込んだ。
彼女は、字をほとんど書けなかった。だから、俺は最初、数字の書き方から教えた。
リリは、賢かった。
一を教えると、十を理解した。十を教えると、百を試した。
二週間で、彼女は単純な帳簿を、一人でつけられるようになっていた。
ある夜、リリが、俺に、こう尋ねた。
「お兄さん、商人って、何の仕事ですか」
唐突な、質問だった。
俺は、しばらく考えてから、答えた。
「物を流す仕事だ」
「ただ、運ぶだけ?」
「いや。物を、必要なところに、必要な分だけ、必要な値段で、必要な時に、届ける。それが、商人の仕事だ」
リリは、その言葉を、ノートに、書き込んだ。
彼女の字は、まだ、たどたどしかった。けれど、一文字一文字、丁寧に、書かれていた。
「商人って、難しいね」
「ああ、難しい」
俺は、笑った。
「でも、面白い」
リリも、笑った。
彼女の右頬のえくぼが、深くくぼんだ。
俺は、ふと、亡き妹を、思い出した。
妹も、こんな顔で、笑っていた。
そして、一ヶ月が経った頃。
遠く、王都の方角から、別の動きが起こり始めていた。
俺は知らなかったが、王都ラフィオールの宮殿の一室で、銀髪の男が、配下から報告を受けていた。
その男は、財務大臣ダルシム・カラスバーグ。
報告書には、こう書かれていた。
「辺境セレーナ村、ならびに近隣三村において、異常な経済成長が観測される。中央卸売市場を介さない独自の流通網が形成されており、商人ガロウからの追加報告によれば、〈目利き〉の能力を持つ異邦の商人、タドコロ・ショウタが指揮を執っている模様」
ダルシムは、報告書を読み終えると、銀色の指で机を一定のリズムで叩いた。
彼の表情は、能面のように動かなかった。
ただ、一度だけ、口角が、ほんの少し、上がった。
彼は、配下に短く命じた。
「招集だ」
その翌日。
セレーナ村の入り口に、物々しい使者団が現れた。
胸には、王家の紋章が刻まれていた。




