服飾店 / 義理の弟
昼食後、また馬車に揺られて服飾店へ向かう。
レストランは凄くいい場所だった。
華やかさはないけれど、落ち着いた品の良い調度品や家具で揃えられたお店で、地味なわたしを見ても店員は表情一つ変えずに対応してくれた。
個室も広過ぎず、狭過ぎずで、料理もかなり手が込んでいて美味しかった。
特に鹿肉をトマトと香草で煮込んだものは絶品である。
「昼食、ありがとうございました。とても美味しくて、居心地も好くて、素敵なお店でした! レストランなんて久しぶりだったので凄く嬉しかったです!」
しかもご馳走になってしまった。
アルフリード様が目元を和ませる。
「それは良かった。お気に召していただけたのであれば私も嬉しいです。あそこは私も好きなので、また行きましょう」
と、言ってくれた。
……アルフリード様、本当イケメン!
見た目もそうだけれど、この気遣いと女性への押し付けがましくない対応が格好良過ぎる。
この人がわたしの婚約者になるって嘘みたいだ。
思わず両手で顔を覆う。
「……アルフリード様、格好良過ぎです」
見た目も良し、性格も良し、家柄も良し。
……何でこれで婚約解消になったんだろう。
気になるけれどちょっと訊き難い。
けれど、いつかは話してくれるだろう。
わたしはそれを待ちたいと思う。
「ありがとうございます」
無表情だけれどアルフリード様の雰囲気はとても嬉しそうだった。
そんな話をしていると馬車の揺れが段々と収まり、そして最後に小さく揺れて停車した。
扉が開けられて、アルフリード様が先に降りる。
次にアルフリード様の手を借りてわたしも降りる。
降りた目の前にあったのは綺麗なお店だった。
アルフリード様が扉を開けてくれたので、中へ入れば、既に殆ど出来上がったドレスが何着も並んでいた。
恐らく、あとは裾やサイズを調整するだけだろう。
オシャレに疎いわたしから見ても、可愛くて綺麗なドレス達である。
「わあ、可愛い〜!」
思わずドレスに目がいってしまう。
「いらっしゃいませ」
女性の声に顔を正面に戻せば、美しいドレスを着た女性が立っていた。
「予約していたアルフリード=リュディガーだ」
アルフリード様の言葉に女性が礼を執る。
「ようこそお越しくださいました、アルフリード様、お嬢様。お針子達も既におりますので、お話は奥でいたしましょう」
と、お店の奥へ案内された。
個室の応接室の一つに通される。
そこには数名のお針子さんがおり、わたし達が通されると、すぐにお茶まで用意された。
ソファーを勧められてアルフリード様と一緒に腰掛ける。女性は向かい側だ。その後ろにお針子さん達がいる。
「改めまして、この店のオーナーのエミリヤ=ブラッドソンと申します。この度は数ある店の中から当店を選んでくださり、ありがとうございます。とても光栄ですわ」
「初めまして、リルファーデ子爵家の長女ミスタリア=リルファーデと申します。こちらこそ、このような素敵なお店にお願い出来て嬉しいです」
ブラッドソンさんは中年の女性だけれど、とても綺麗な人だ。それに堂々としている。
「今は婚約の打診をしている最中だけれど、ミスタリア嬢と婚約する。彼女のことは僕の婚約者として扱って欲しい」
彼女、と言いながら肩を抱き寄せられる。
細身だなとは思っていたが、肩が触れたところはちょっと硬くて、やはり男性なのだと実感する。
それに大きな手がしっかりわたしの肩を包んで、後ろに回された腕にはまだ余裕があった。
抱き寄せられたのは初めてでドキリと胸が鳴った。
「かしこまりました。きっと奥様もお喜びになられていることでしょう。アルフリード様には浮いたお話は一つもございませんでしたから」
そう言ってブラッドソンさんは微笑んだ。
……アルフリード様のお母様?
想像して、きっとアルフリード様のようにとても整った顔立ちの人なのだろうな、と予想がついた。
「あ、リュディガー公爵家の皆様にもご挨拶に行かなければいけませんよね?」
いずれは義理の家族になるのだから。
「それは婚約後で構わないそうです。我が家は皆、忙しいですから、予定を合わせるには少し時間がかかるのです」
「公爵家ですもんね」
わたしの言葉にアルフリード様がふっと目を細めて、多分、笑った。
「ええ、確かに公爵家だからこそ忙しい身の上なのかもしれませんね」
何故か頭を撫でられた。
……アルフリード様、よく頭を撫でるなあ。
嬉しいから全く構わないのだけれど。
わたし達の会話が途切れると、ブラッドソンさんがふふふと笑った。
「お二人は仲がよろしくて羨ましいですわ。きっと奥様が孫を抱かれる日はそう遠くありませんね」
言われて、頬が少し熱くなる。
「ええっと、それで、ご依頼したい品について今日はお話させていただきに来たのですけど!」
……孫、孫って、わたし達の子供のこと?!
婚約もまだなのに子供の話なんて恥ずかし過ぎる。
慌てて話を逸らせばブラッドソンさんは頷いて「はい、是非お聞かせください」と話に乗ってくれた。
持ってきていた説明書と何枚かのマスクをテーブルへ広げる。
「これがマスクですね。手に取っても?」
「はい、どうぞ」
ブラッドソンさんが手に取り、自分の手元に一枚残して、残りを後ろにいたお針子さん達に渡した。
まじまじと見られると落ち着かない。
わたしの裁縫なんてそこまで大した腕ではないから、本職の人達に熱心に見られると不安になる。
「なるほど、口への当て布と聞いておりましたが、これは非常に使い勝手が良さそうです」
マスクを見てブラッドソンさんが言う。
「使い道は色々あります。お掃除をする時、魔法士さんが研究をする時、誰かが病気になった時は看病する人がつけるのもいいと思います。土埃が酷いところでもマスクをつければ吸い込まなくて済みます」
「ええ、そうですね、これを欲しいと思う方は多いでしょう」
わたしの説明にブラッドソンさんが頷いた。
アルフリード様が口を開く。
「もし製作してもらえるなら、私の働いている紫水でも購入するつもりだ。恐らく定期的にそれなりの数を購入していくことになる」
何でも、紫水の皆さんもマスクが欲しいらしい。
埃もそうだけど、実験で薬品を使ったり毒魔法で出した毒を調べたりするので、口を覆う当て布があれば多少は刺激臭などを抑えられるし、繊細な薬品の調合などではやはり当て布は必要なのだとか。
「まあ、それは喜ばしいことですわ。……作り方はどのようにしていらっしゃるのでしょうか?」
「それについてはこちらをどうぞ!」
テーブルに並べた型紙と書類を見せる。
マスクの作り方は簡単だ。
特に裁縫に慣れている人達であれば、わたしよりもずっと早く作れるだろう。
書類には作り方を説明と図と両方あるから、多分、読めば分かるはずだ。
あら、と書類を読んだブラッドソンさんが漏らす。
「この指示書、とてもいいですね」
「説明文だけだと分かり難いので、図と一緒にしてみました。でも、作ってみて、やりづらかったり、もっと作業を効率に出来るのであれば、この書類通りに作らなくても問題ありません。裁縫に慣れている皆様の方がもっと良いものを作れるでしょうし」
ブラッドソンさんが目を丸くした。
「必ずしもこの通りに作らなくてもよろしいと?」
「はい、きちんと出来上がったものが同じであれば構いません。それからこちらは女性向けのマスクなのですが……」
あえて出していなかった書類を取り出した。
それを渡しながら言う。
「こちらは華やかさを取り入れたもので、フリルやレース、リボンをつけたもののデザインです。基本的にはマスクは白い布で作るものですが、女性向けは柄や色のあるものの方が、服装と合わせやすいですよね?」
ブラッドソンさんが書類に目を通す。
「特に女性はオシャレや可愛さを重視しますし、身につけるなら華やかなものの方が忌避感がないでしょう。逆に男性はあまり華やかなものは好まないかもしれません」
それに頷き返す。
「それとマスクには欠点もあります。一つはお化粧が崩れてしまいやすいこと、それと、あまり激しく動くと呼吸がし難くなることです。……貴族の女性はそういうことはないと思いますが」
「お化粧が崩れるのは問題ですね……」
「内側にツヤツヤしたあまり肌を擦らないような素材の布を使うとか、何か方法を探すしかないかなと」
ブラッドソンさんはしばし考えていたけれど、答えが出ないと感じたのか顔を上げた。
「マスクの製作ですが、少し考えさせていただいてもよろしいでしょうか? 試作してから決めたいのです」
わたしはそれに頷いた。
「はい、それでも大丈夫です」
お店側としても、この商品が本当に売れるのか、商品として成り立つのかどうか試す必要もあるだろう。
わたしとしては紫水の魔法士全員分を自分で作ることは無理なので、お店に委託したいだけなので、売れるかどうかは正直わりとどうでも良かったりする。
欲しいと思っている人の手に渡ればいい。
そこに利益は求めていない。
「数日中にはお返事をいたします。どちらにご連絡いたしましょうか?」
「私の方に」
「かしこまりました」
とりあえず保留ということで話は決まった。
マスクに関する書類と見本をお店に残し、わたし達は服飾店を後にした。
まだ日は大分高い。
馬車に戻るとアルフリード様が「せっかくですからリルファーデ子爵家に寄りますか?」と訊いてくれた。
「いいんですか?」
「ええ、最近はわたしがミスタリア嬢を独り占めしてしまって、このままではあなたの弟君に恨まれてしまいますから」
「……それは、まあ、否定出来ないですね……」
アルフリード様の気持ちを受け入れたあの日以降、なんだかんだ忙しくて家には戻れていない。
きっとイシルディンは不機嫌だろう。
この前の手紙でも「顔を見せに来て」と催促されていたし、丁度良い。
それにわたしもイシルディンの顔が見たい。
そういうわけで先に使いの者を送り、わたし達はゆっくりと我が家に向かうこととなった。
* * * * *
「姉上、アルフリード様、連絡が遅いです」
リルファーデ子爵家に行くと、居間に通されたが、ミスタリア嬢の弟君がそこで腰に手を当てて待ち構えていた。
その堂々とした姿はいつかの事件の時に高らかに口上を述べていたミスタリア嬢とよく似ていて、さすが姉弟だなと思ったが口には出さなかった。
「申し訳ありません、私が思いつきで訊いてしまったもので……」
アルフリードからしたら、実家に寄れた方がミスタリア嬢も良いだろうという安直なものだった。
だが考えてみればミスタリア嬢はともかく、アルフリードは公爵家の人間であり、公爵家の者が子爵家を突然訪問するというのは子爵家側からしたら確かに困るだろう。
「いえ、アルフリード様は悪くありません! わたしも気付かなかったですし!」
横にいるミスタリア嬢が声を上げたが、弟君はそれにバッサリと切り返した。
「いや、どっちも悪いでしょ」
全くもってその通りである。
「すみません……」
「ごめん……」
弟君が困ったような顔をする。
「あー、いえ、別に来るなというわけではなくて、我が家はこの通り余裕がないので、アルフリード様を十分におもてなし出来なくて……」
公爵家のアルフリード様に十分なおもてなしが出来ないのに連れて来たことを彼は気にしていたようだ。
それにアルフリードは首を振った。
「それに関しては気にしておりません。ただ、ミスタリア嬢のご家族とも仲良く出来たらそれで十分です。過度な接待も正直なところ苦手なので、普段通りに接していただきたいのです」
「……分かりました」
弟君が少し考えた後に頷いた。
「では、今後はそのようにします。姉上と婚約したら何度も我が家には来るでしょうし、いずれ結婚したらあなたは義理の兄になりますし」
「義理の兄……」
弟君の言葉にミスタリア嬢の頬がぽっと赤くなる。
……可愛い。
ついミスタリア嬢の頭を撫でてしまう。
可愛い婚約者に、婚約者とよく似た義理の弟。
どちらもアルフリードは大歓迎だった。
「アルフリード様、姉上を泣かせたらたとえ公爵家の方でも許しませんよ」
弟君の言葉に強く頷き返す。
「そうならないように全力で努めます」
「……絶対にない、とは言わないんですね」
「絶対という言葉は一番信用出来ない言葉です」
弟君が苦笑した。
「僕もそう思います」
弟君が手を差し出した。
「今後ともよろしくお願いします、義兄上」
「……よろしくお願いします」
その手を握り返しながら、義兄上という響きの心地の好さに顔が緩んでしまいそうになる。
ミスタリア嬢の弟君に兄と呼んでもらえるのはとても嬉しいし、それは結婚もきちんと認めてくれているという意思表示でもある。
横でミスタリア嬢が満面の笑みを浮かべていた。
弟とアルフリードが仲良くするのが嬉しいらしい。
「良かったね! イシルは昔から頼れる格好良いお兄ちゃんが欲しいって言ってたもんね!」
ミスタリア嬢のその言葉が一番嬉しい。
それはつまり、アルフリードのことを頼れる格好良い男だとミスタリア嬢が思っているということだ。
「そうだね、アルフリード様ならいいと思うよ」
少し含みのある言葉にアルフリードは気付く。
前の婚約者のイルンストン伯爵子息は、きっと、弟君にとっては義理の兄として認められなかったのだろう。
弟君はミスタリア嬢と見た目はよく似ているけれど、性格までそうとは限らないようだ。
目が合うと弟君はニッコリ微笑んでいた。
* * * * *




