恋人
わたしの気持ちがハッキリして、公爵家と子爵家の間で婚約についてやり取りをするには少し時間がかかる。
何せ、当主代理の叔父様は領地にいるから。
領地と王都で手紙を送り合うので、どうしたってすぐに婚約届を出せるわけではない。
それもあって、婚約するまでは恋人期間となった。
ちなみにそれを口にしたのはアルフリード様である。
「婚約までの短い間ですが、恋人気分を楽しみましょう」
とのことだった。
……恋人同士!
「いいですね!」
このわたしに人生初の恋人が出来た瞬間だった。
イルンストン伯爵子息と婚約していた間は、期間は長かったけれど、恋人や婚約者らしいことはなかったから。
恋人というだけで凄くムズムズする。
でも嬉しくて落ち着かない感じのムズムズだ。
だからと言って今までから大きく付き合い方が変化するわけではないけれど、アルフリード様は以前よりも距離が近くなった。
目が合えば青い瞳が細められる。
わたしと目が合うだけで笑ってくれる。
だから自然とわたしもアルフリード様を見る度に笑顔になるし、気持ちも弾む。
わたし達が婚約することは士団長様と副士団長様には先に伝えた。
二人とも祝福の言葉をかけてくれた。
「そっか、おめでとう〜。二人がくっついてくれて僕も嬉しいよ。本当に良かったね〜」
「おめでとうございます。どちらも紫水には必要だから、無事に両想いになってくれて良かった」
士団長様と副士団長様は一番近くでわたし達を見守ってくれていたので、そう言ってもらえて嬉しかった。
「でも仕事中は仕事に集中してね〜?」
とも言われたので気を付けようと思う。
わたしもアルフリード様も大きく頷いた。
* * * * *
「──……って言われたのに、これはいいんでしょうか?」
アルフリード様の研究部屋にいるのだが、ソファーに座るわたしの横にアルフリード様がいて、ぴったりとわたしにくっついている。
わたしの手元には縫いかけのマスク。
アルフリード様が、自分用にわたしが縫ったマスクが何枚か欲しいと言うので作っている最中だ。
それを横でジッと眺めている。
少し前のことを思い出してしまう。
……あの時も飽きずに眺めてたよね。
「何がですか?」
「仕事中は仕事に集中してね、ってナサニエル様がおっしゃっていたでしょう?」
「もう終業の鐘は鳴っているので問題ありません」
……あ、そっか。
終業の挨拶をしに来たら、マスクが欲しいと言われて余っている布と紐、裁縫道具を取りに一度自室に戻ったのだった。
ここも職場なので、何となくまだ仕事の気分でいた。
だけど終業の鐘が鳴った後なので仕事中ではない。
だからアルフリード様はわたしを引き留めたのかもしれない。
……アルフリード様と一緒にいると楽しい。
こうして話をしているだけでも胸がほわっとする。
「そうだ、アルフリード様はお好きな食べ物ってありますか? わたしは美味しいものが好きです!」
アルフリード様が頷く。
「前もそう言っていましたね。私は、そうですね、肉と甘いものが好きです」
……あれ?
「前にお肉が苦手、みたいなこと言っていませんでしたっけ?」
「……あの時は肉という気分ではなかっただけです」
見上げれば、フイと顔を背けられた。
……ん、んん? もしかして……?
「わたしにお肉を分けるためにああ言ったんですか?」
アルフリード様の体が一瞬固まった。
……まさかあの時にはもうわたしのことを少なからず想ってくれてた?
ニマッと笑うと、それに気付いたアルフリード様がわたしの頬を両手で挟んだ。
「笑わないでください。……我ながら、あまり格好がつかなくて恥ずかしいんです」
「眉間にちょっと皺が寄ってますもんね!」
指摘すると頬を緩く引っ張られた。
「ミスタリア嬢?」と注意されたので素直に「ごめんなさい」と謝る。
しかし頬を引っ張る手が離れてくれない。
「アルフリードさま〜?」
何で離してくれないのか、針を持っていない方の手で軽く叩いて抗議すれば、やっと手が離れた。
「すみません、予想以上に柔らかかったもので、つい。それによく伸びますね」
「わたしのほっぺで遊ばないでくださいよ」
強く引っ張られたわけではないから痛くはなかったが、恋人に見せる顔ではないと思う。
「……私も住み込みにすれば良かったです」
アルフリード様に宥めるように頭を撫でられる。
そこまで怒ってないので素直に受け入れた。
髪を纏めているため、そっと前髪を梳きながら丁寧に撫でる手つきが心地好い。
「そうすればもっと長く一緒にいられるのに」
珍しく、はあ、と溜め息を吐いている。
ついまじまじとアルフリード様を見上げた。
アルフリード様は子供っぽいところがあるらしい。
……いや、意外じゃないかな?
掃除を手伝ってくれて覚えた時にもすぐに実践してたこともあったし、見た目は大人びているけれど、実は子供っぽいところもある。
「えっと、わたし、早めに夕食を食べに行くので、アルフリード様も朝みたいに、飲み物だけにすれば一緒の席に着けますよ」
「いいのですか?」
「ええ、わたしは構いません。でもアルフリード様、お家での夕食が遅くなってしまいませんか?」
アルフリード様が一瞬押し黙った。
首を傾げれば、何でもないと首を振られた。
「では週に二、三回ほど夕食もご一緒してもいいですか? 私は飲み物だけですが……」
「はい、もちろんいいですよ!」
食堂には大勢の人がいるけれど、やはり誰かと同じ席に着いて、話しながら食事をする方が楽しいし、食事も一人の時より美味しく感じる。
それにわたしもアルフリード様と一緒にいる時間が増えるのは嬉しい。
アルフリード様の目が優しく細められた。
また、頭を撫でられる。
寂しがりなのかもしれない。
わたしも触れられるのは好きだ。
「あ、そういえばアルフリード様って何歳ですか?」
わたしよりは歳上だろうとは思っていたが、年齢は知らない。
アルフリード様のことで知らないことは沢山ある。
「二十二歳です」
「苦手な食べ物は?」
「野菜ですね。青臭くて、食べられないことはないですが、あまり得意ではありません」
「そうなんですか」
……やっぱり子供っぽい。
でもイケメンだけどちょっと子供っぽいところがあるって逆に完璧じゃないかと思う。
そう、わたしの恋人は格好良くて可愛いのだ。
……何それ最高!
ちょっと前までは女性騎士様推しだったけど、これからはアルフリード様推しになろう。
見上げれば整ったアルフリード様の顔がある。
無表情だけれど小首を傾げられた。
……その仕草可愛い!
キュンとして胸を押さえるとアルフリード様に「ミスタリア嬢?」と名前を呼ばれた。
「いえ、何でもありません!」
アルフリード様は不思議そうにしていた。
* * * * *
ミスタリア嬢が婚約を受け入れてくれた。
その日のうちに父と母と兄に伝え、父はすぐにリルファーデ子爵代理に婚約打診の手紙を送った。
そして王家にも、婚約の話を伝えに父が出向いたそうだ。
恐らくミスタリア嬢について身辺調査が行われるだろう。
あまり好ましくないが、婚約者として問題がないかどうかを調べることになる。
身辺調査されることについてはミスタリア嬢に説明したが、彼女は「へえ、大変ですね」とこぼしただけだった。
嫌ではないのかと問えば首を傾げられた。
「公爵家の方との婚約なら、それくらいするものじゃないんですか? 変な人と結婚したら困りますし。わたしは悪事は働いたことなんてありませんから調べられても平気です」
しかし、彼女が「あ」と声を上げる。
「でも子供の頃に街のいじめっ子に泥団子を投げつけたのは悪いことかも……」
それについ吹き出しそうになった。
「そこまで詳細には調べられないでしょう」
「なら良かったです」
明らかにホッとした様子で言われて、彼女はきっと幼少期に色々な人から愛されて育ったのだろうなと思った。
彼女を見ていれば、これまで彼女の周りにどんな人達がいたのか想像がつく。
きっと、殆どの人は穏やかで、優しくて、ミスタリア嬢に愛情深く接していたはずだ。
……イルンストン伯爵子息は別だと思うけど。
婚約者がいるのに浮気をするような男だ。
どうせ、彼女に優しくはしなかっただろう。
婚約破棄されても平気と思うくらいには、ミスタリア嬢はイルンストン伯爵子息に情もなかったらしい。
「婚約したら一緒に指輪を選びに行きましょう。結婚までは是非、着けていていただきたいので」
「婚約指輪って素敵ですよね」
想像しているのか暗い紫の瞳が細められる。
「何色の宝石がお好きですか?」
ミスタリア嬢が考えるように視線を巡らせて、そしてジッと見つめられる。
「……青、ですかね?」
照れた様子ではにかむ彼女は可愛かった。
……それは僕の瞳の色だから?
もしそうだとしたらとても嬉しい。
「私は紫が好きですよ」
ミスタリア嬢の目を見て言えば、ほんのりと彼女の頬が赤くなる。
そっと頬に触れると手に顔を寄せてくる。
その仕草や反応が非常に可愛らしい。
……イルンストン伯爵子息は馬鹿だね。
彼女はこんなにも愛らしい素敵な女性なのに気付けないなんて。
そのおかげで自分は彼女と出会えたのだが。
想いも婚約も受け入れてもらえて、だからこそなのか、彼女の側にいたいと思うことが増えた。
彼女に触れたいし、近くにいたい。
……でも、今は疚しい気持ちはない。
それよりも、ただ彼女と一緒に過ごす穏やかで幸せな時間を得たい。
何より彼女は未遂とは言え、襲われかけている。
もしかしたらそういうことに拒否感を覚えるかもしれない。
だから今は一緒にいて、こうして触れることに慣れてもらいたいし、自分自身も久しぶりの人との触れ合いに慣れる必要があった。
「アルフリード様の手は大きくて、でも少し冷たいですね」
頬に触れた手に、ミスタリア嬢の手が重なる。
「すみません、冷たかったですか?」
離そうとしたがギュッと握られる。
「知ってますか? 手が冷たい人は心が温かいらしいですよ。きっとアルフリード様の心は凄く温かいんですね」
「でも」と彼女が続ける。
「あまり冷たいと血の巡りが悪くなっちゃいそうなので、わたしの手とほっぺで温めてあげます!」
手が、彼女の頬と手で挟まれる。
柔らかな頬と手の感触、温もりが心地好い。
彼女が見上げて笑う。
「わたし、体温が高いのであったかいでしょう?」
確かに彼女の頬と手から熱が移ってくる。
逆に、自分の手がそんなに冷たかったのかと驚いた。
「ええ、とても温かいです」
自分の手が冷たくて良かった。
そうでなければきっと彼女はこうしてはくれなかっただろう。
しばし彼女の頬と手から体温をもらう。
この温度が消えなければいいのにと思った。
「……そうでした、掃除機とマスクの件ですが、家族から良い工房と服飾店を紹介してもらえたので今度一緒に行きましょう。ああ、話は既に通してあります」
彼女の暗い紫の瞳が見上げてくる。
そうすると、紫に銀粉をまぶしたようにキラキラして、いつまででも見ていたくなるのだ。
「やった! 掃除機開発への第一歩!」
顔の前で両手を合わせて喜んでいる。
「ミスタリア嬢の次の休みはいつですか?」
「えっと、次の休みは五日後なので、その日に行くのはどうでしょう? 一日休みです!」
「では私もその日に休みを取りますね」
今まで殆ど休まずに働いていたが、これからは彼女の休日に合わせて休もう。
仕事さえきちんと出来ていればメルディエル士団長はうるさく言わないし、むしろ休みを取ることを推奨されているのでいいだろう。
彼女がニッコリと笑う。
「じゃあまたお出かけですね! アルフリード様とお休みの日も一緒にいられるなんて楽しみです!」
アルフリードも頷いた。
「ええ、私も楽しみです」
* * * * *




