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最終話:陽だまりの祝宴

 ギデオンが目を細めたままリネアに頬を預けていると、庭の向こうで、足音が重なった。


 蜂蜜色の髪をした、同じ顔立ちの二人の男が、歩調を揃えてこちらに向かってくる。更にその後ろには、見慣れた背格好が二つ続いた。リネアの双子の兄、セシルとルシル。そして、その後ろにはクロードとノエル。ギデオンの兄たちである。双子はこちらの姿を認めた瞬間、足を速めた。


「リネア! かわいそうに……」

「怪我は? まだ痛む?」


 駆け寄ってきた双子は、妹を左右から抱きしめ、今にも泣き出しそうな顔で言葉を放つ。ようやくギデオンの方へ視線が向いたのは、二人が妹の無事を目で確かめた後だった。


「……ギデオン」


 セシルが低く名を呼ぶ。その声の温度で、何を言われるかはだいたい予想がつき、ギデオンは身構えた。


「お前、よくもリネアによくも怪我させたな!」

「そうだ。こんな華奢で可愛くて儚げな妹を、前線に送り出すなんて、頭がおかしいとしか思えない」


 その言葉に、ギデオンは思わずリネアを見た。兄たちの目に、彼女はいまだ儚げな妹に映っているらしい。だが、リネアの本性を知る身としては、儚げという単語は、どう考えても別の誰かに譲るべきだろうと、ひそかに思うのだった。


 とは言え、リネアに怪我をさせたという事実は、心のどこかで、ずっと引っかかり続けている。ギデオンも、さすがにここは素直に謝るしかないと腹をくくり、言葉を探しながら口を開きかけた。だが、その前にリネアが言葉を滑り込ませた。


「兄様がた、ギデオンは悪くないわ。怪我をしたのは、私が前線に行きたいと言ったからなの」

「リネア?」


 双子の眉がそろって寄る。


「あのね、たくさんの兵を相手に思い切り剣を振れたのよ。風も良かったし、敵の布陣も分かりやすかったし、思った通りに崩れてくれたもの。……楽しかったわ!」


 リネアは、きらきらと目を輝かせた。戦場の記憶を語っているにしては、あまりにも無邪気な光だった。長い間、双子にとって妹は穏やかな天使のような存在だった。礼儀正しく、聡く、どこに出しても恥ずかしくない妹。確かに剣の腕は立つと知っていたが、それはあくまで護身のためであり、淑女の嗜みで習う刺繍くらいの意味合いで理解していたのだ。


 セシルとルシルは、しばらく言葉を失って妹を見つめた。だが、やがて二人は同時に小さく息を吐く。


「……随分、勇ましくなったね」

「ああ……でも、かわいい!」


 それで話は終わったらしく、双子は再度リネアを抱き締める。その様子を眺めながら、ギデオンは心の中で肩をすくめた。戦場で兵を薙ぎ払おうが、兄たちの中では最終的に可愛いで片づく天使枠なのだと悟り、改めて血縁というものの強さを思い知らされる。


 そこへ、少し遅れて歩いてきたギデオンの兄、クロードとノエルが追い付いた。


「奥方に傷を負わせたのは感心しないが、それでも最悪の結果を防いだ。……お前はよく役目を果たしたよ、ギデオン」

「役目って言うか……。まぁ、僕は何もしてないんだけどね」


 長兄クロードの言葉にギデオンは軽く肩を竦めた。よくよく振り返れば、ギデオンが成した事と言えば、落馬しただけで、その一点だけが、彼の功績らしい功績だった。もし次があるのならば……もちろん、そんな機会は来てほしくないが、それでも来てしまった時には、せめて落馬しない程度にはなりたいと強く思う。クロードはギデオンの頭に手を伸ばした。


「やめろよ……! 僕は子どもじゃない」


 口では抗議しながらも、兄の手を払いのけなかった。頭上で、掌が一度、ゆっくりと動く。さきほどまでリネアに撫でられていたのと同じ場所だ。


「正直に言うとね」


 クロードは、手を離しながら続ける。


「私は、今回の争いが起きたと聞いた時、どこまで守れるかではなく、どこまで失わずに済めば上出来かと考えていたよ」

「ああ。俺もそう思っていた。領地奪われて終わりだとばかり……いや、終わらないまでも、半分削られるくらいは覚悟してた」


 ずっと黙っていたノエルが、ぽつりと口を開いた。


「そう思っていたなら、なんで手伝ってくれなかったんだよっ!?」

「習うより慣れよ、だよ。無理そうでも、一度は自分でやってみないと、良い当主には育たない」


 思わず眦を吊り上げるギデオンに、二人の兄はニヤリと笑う。


「領地もお前も生きてここに残った。どうしようもない弟だと思っていたけど、ここまでやったんだ。立派なものだよ」


 兄の言葉は、真正面から来た。胸のどこかが、温かくなるのを感じて、ギデオンは視線を逸らした。そんな彼の袖を、リネアはくいっと引っ張る。


「何?」

「お兄様に褒めて頂いて、良かったわね、ギデオン」

「ふん……。当然の事だ。もっと続けてくれていいよ」


 冗談で返しながらも、頬が赤くなるのを自覚していた。兄たちの期待の薄さに傷つきながらも、それを覆したという事実が、誇りとしてじわじわと胸に広がっていく。


 そこへ、門の方から新たな一行が現れた。ギデオンとリネアの両親だった。


 その後ろから、ベルとキャンディを先頭に使用人たちが、ぞろぞろとやって来る。合図一つでそれぞれ持ち場へ散り、料理を運ぶ者、椅子やテーブルを並べる者、食器を置いて回る者と、皆で準備に追われながらも、どこか浮き立った様子を隠しきれていない。


 庭の中央には、すでに長いテーブルがいくつも並べられていた。


 白い布がかけられ、焼きたての肉や色とりどりの野菜、焼き菓子、葡萄酒の瓶が次々と運び込まれていく。陽光に照らされた皿の縁がきらりと光り、噴水の水飛沫が遠くで虹を作った。


「今日は、領地を守り切れた祝いだ。皆で食べて飲んで、騒ぐといい。こんな時くらいは、仕事のことは忘れてな」


 ギデオンの父の宣言に、使用人たちから小さな歓声が漏れた。普段は厳しい父の顔に、微かに笑みが浮かんでいるのを見て、ギデオンは少しだけ目を丸くした。人々はそれぞれに席を見つけ、談笑しながらテーブルへ向かっていく。


 気がつけば、リネアとギデオンの周りからは人の気配がすっかり引いていた。


「……リネア、立てる?」


 ギデオンはリネアに向かって手を差し出した。リネアは頷き、掌を重ねる。そのまま立ち上がると思った次の瞬間、ぐい、と引き寄せられた。


「……っ!?」


 体勢を崩したギデオンの顔が、リネアの肩のあたりまで近づく。彼女は、迷いなくその頬へ唇を寄せた。戦場でついた頬の傷に、柔らかな感触が伝わる。

 

「な、ちょっと……!」


 ギデオンの耳は、一気に赤くなる。きちんと妻をエスコートして食卓まで連れていく筈だったのに、こんな真っ赤になった顔では台無しだ。誰かに見られていないかと周囲を確認し、全員がすでにテーブルのほうを向いていることを確かめて、ようやく胸を撫で下ろす。


「……不意打ちは卑怯だ」

「そうかしら? 日常でも戦場でも、不意打ちって、大事よ」


 平然とした顔で返されて言葉に詰まる。このままでは、自分だけが一方的に翻弄されて終わる気がして、ギデオンは小さく息を吸った。


「だったら仕返ししても文句ないよね」


 手を繋いだまま、ぐいとリネアを引き寄せる。今度はギデオンのほうが、彼女の額に唇を触れさせた。かすめる程度の口づけだが、やっている本人の鼓動は先ほどよりも忙しい。リネアは、わずかに瞬きをして、にっこりと笑う。特に取り乱した様子もなく、耳の先まで真っ赤になっている夫とは対照的だった。


「……なぁ、リネア。もう少し照れるとか、驚くとか、そういう反応はないの?」

「ギデオンが真っ赤になってくれるから、私まで赤くなる必要がないかなって」

「僕としては少しくらい照れて欲しいんだけどな」


 ギデオンは、拗ねたように唇をとがらせた。恋を知らない妻の頬を染めさせる日は、どうやらそう簡単にはやって来そうにない。溜息をつきながら、リネアの手をとり立ち上がる。


「行こうか、リネア」

「ええ」


 二人は並んで歩き出した。新しく芽吹いた緑の間を抜け、噴水のそばを通り、笑い声と食器の触れ合う音が満ちるテーブルへ向かう。


 この日、メルローズ家の庭では、日が傾いても笑い声が途切れることはなかった。


 神と交わした約束は、どう考えても完璧に守られているとは言いがたかった。


 それでも尚、この庭に満ちる笑い声と温かな光は、ギデオンが想像していたよりもずっと優しい形で、彼に与えられた祝福のように思えた。


 そして、主の足もとで尻尾を振ることを覚えた「最高の駄犬」は、これからも撫でられたり叱られたりしながら、この領地と妻のそばに立ち続けていくことになる。そんな未来が静かに用意されていることを、ギデオンはまだ知らなかった。


【完】

ここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございました。

大切なお時間をこの物語に分けていただけたこと、心から感謝いたします。


山田わと

【2025.12/20~2026.3/11】

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