22番から25番
春の日の光にあたる我なれどかしらの雪となるぞわびしき 文屋康秀
春の日の光に当たっている私ですが、髪が雪を被った様に白くなるのが侘しい気持ちです。
※二条后がまだ「春宮の御息所」と呼ばれていた頃、正月三日に康秀を呼び出した時に、日が出ているのに康秀の頭に雪が降った。その光景を即興で詠ませた歌です。二条后は藤原高子の事です。
風雅な経緯を持っています。でも、康秀にとっては心臓バクバクだったでしょう。しかし、即興でありながら、「春の日の光にあたる」で春宮(後の陽成天皇)のお恵みを頂いている事を示し、「かしらの雪」で実際の雪と白髪の二つの意味を持たせています。
秋の日は山の端ちかし暮れぬ間に母に見えなむ歩めあが駒 大江千里
秋の日は短いから直ぐに山の端に沈んでしまうが、日が暮れない内に母に会いたい。歩を進めよ、我が馬よ。
※官人としては不遇だった彼が外出中に母親が病気になったと聞いて、帰る時に詠んだ歌です。現代より距離の遠い時代ですから、彼の心配も大きかったでしょう。現代の技術が悪いとは思いませんが、当時と比べたら親子の関係も希薄になったでしょうね。
東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな 菅家(菅原道真)
東風が吹くようになったら香りを届けておくれ、梅の花よ。 主人がいなくても春を忘れないでおくれ。
※梅が好きだった菅原道真が大宰府に左遷された時、家の梅に向けて詠んだ歌だと伝わっています。拾遺和歌集では結句は「春を忘るな」ですが、大鏡では「春な忘れそ」となっています。どちらも意味は変わりません。
大宰府天満宮の「飛梅伝説」で有名な歌です。天満宮と言えば学問ですが、梅にも目を向けて欲しいですね。
秋ならで逢ふことかたきをみなへし天の川原におひぬものゆゑ 三条右大臣(藤原定方)
秋でなくては逢う事ができない女郎花。天の川の河原に生えてる訳でも無いのに。
※「朱雀院の女郎花合に詠」んだ歌。女郎花合は和歌を添えた女郎花を持ち寄って、その優劣を競う物合わせの一つです。
女郎花は女性の喩えにも使われるので恋歌の様な情緒も感じ取れます。
朝忠(44番作者)は息子。兼輔(27番作者)は従弟で娘婿。百人一首で縁戚関係にある人は本当に多いですね。