11番から13番
泣く涙雨とふらなむ渡り川水まさりなばかへりくるがに 参議篁(小野篁)
私の流す涙が雨となって降ったらよい。あの世へと渡る三途の川の水が増して、渡れないと帰ってくるように。
※異母妹が亡くなった時に篁が詠んだ歌。「篁物語」での近親相姦の原因ともなった歌です。実際はどうか分かりませんが、この時代は異母兄弟ならば結婚できました。どちらにせよ、大切な「妹」が亡くなってしまった悲しみが伝わります。
それにしても、この歌から近親相姦に冥府の閻魔様に仕えたりと大変な伝説が生まれてしまいました。彼自身も予想外でしょうね。
よそに見てかへらむ人に藤の花はひまつはれよ枝は折るとも 僧正遍昭
離れて眺めてそのまま帰ろうとする人に、藤の花よ、這いまつわり引き留めよ、枝が折れようとも。
※詞書には「志賀よりかへりける女どもの花山にいりて、藤の花のもとにたちよりてかへりけるに、よみておくりける」とあります。志賀寺を詣でた後、花山寺つまりは遍昭の居る元慶寺に寄った女性達に贈った歌でしょう。
「よそに」は離れて、あるいは無関心にという意味。女性達は藤の花を軽く見物しただけで帰ろうとしたのではないでしょうか。無風流な行動を、顔見知りの女性ならば自分と会う事も無く帰ろうとしたのを、そうでなくても仏を拝まずに帰ろうとしたのを責めている様に感じます。それとも、志賀の桜と比べたら花山の藤はそんな扱いですかと問い掛けているのでしょうか。
どんな意味を込めたにせよ、ユーモアがあります。本気で怒っている訳では無いでしょう。
筑波嶺のみねより落つるみなの川恋ぞつもりて淵となりぬる 陽成院(陽成天皇)
筑波山の峰から流れ落ちる男女川の流れが積もって深い淵となるように、貴女を思う私の恋心も思いが積もりに積もって淵のように深くなってしまった。
※百人一首と同じ歌です。元々、陽成天皇は歌人では無いので歌が少ないのです。後撰集等では結句は「淵となりける」となっています。
「釣殿の皇女につかはし」た歌です。釣殿の皇女は綏子内親王の事。陽成天皇の妃の一人です。
この歌は「代作」の可能性もあります。若い頃の彼は歌を詠むのが嫌いだった様ですし。それででしょうか、息子にはきちんと教育したらしく名歌人(20番の作者)が居ます。