3番から6番
草枕旅の宿りに誰が夫か国忘れたる家待たまくに 柿本人麻呂
草を枕とする旅の宿に、誰の夫だろうか・・・故郷へ帰るのも忘れている。家では妻子が待っているであろうに。
※香具山の辺で行き倒れて亡くなっている人を見た人麻呂が作った歌。そんな人麻呂自身も万葉集を見る限り、石見国で妻に看取られずに亡くなっている。
哀しさが沁みてくる、そんな歌だと思います。流石、歌聖。
我が背子に見せむと思ひし梅の花それとも見えず雪の降れれば 山部赤人
貴方にお見せしようと思った梅の花・・・どれが花でどれが雪か分かりません。それほど枝に雪が積もっているので。
※本来、背子は女性が恋人や兄弟に対して使う物です。女性の立場で詠んだ歌かと思われます。あっちの方では無い。
可憐で風雅な歌ですね。赤人さんの女子力の高さに敗北感を覚えます。
来む世にも早なりななむ目のまへにつれなき人を昔と思はむ 猿丸大夫
もう早く来世になって欲しい、そうすれば目の前のつれない人を過去の人と思えるのに。
※古今和歌集では読人知らずとして載る。ですが、猿丸大夫集にも載っている為、猿丸大夫の作と認識します。
「目のまへに」はここでは直訳しましたが、現世という意味にも訳せます。来世、現世、前世と輪廻転生を思わせる歌ですね。
春の雨はいやしき降るに梅の花いまだ咲かなくいと若みかも 中納言家持(大伴家持)
春の雨は降りしきるのに、我が家の梅の花は未だに咲きません。まだ若いからでしょうか。
※藤原久須麻呂との贈答歌群の一首です。表面上は挨拶の歌に見えますが、遣り取りから見ると話題は家持の娘と久須麻呂の息子の結婚話です。ですが、娘はなんと12歳・・・女性の初婚年齢が早い昔でもまだ幼いでしょう。しかも、大切に育てている娘だったようです。婉曲に断っていますが、後に娘は久須麻呂の息子と結婚しています。
女性との贈答歌の多い家持ですが、娘を思う父親の歌を選びました。