95番から97番
いつまでか涙くもらで月は見し秋待ちえても秋ぞ恋しき 前大僧正慈円
何時まで涙で曇らない月を見ただろうか・・・秋を待ち迎えても、秋が恋しい。
※境遇の辛さもあり、悲しくなる秋の美しい月を涙無くしては見られない、何の曇りも無い月が恋しいと言う事でしょう。
身分が低い人でも一芸あれば召し抱えたりする人間が出来た方だったようです。羨ましい限りです。
時鳥なほ疎まれぬ心かな汝が鳴く里のよその夕ぐれ 入道前太政大臣(西園寺公経)
ほととぎすよ、やはり疎ましいとは思えない心だよ。お前が鳴く何処かの里の夕暮れを。
※この歌は伊勢物語の「時鳥なが鳴く里のあまたあればなほ疎まれぬ思ふものから」を念頭に置いて考えるべきでしょう。「お前の鳴く里は多いから疎ましいと思う事もある」という歌であり、ほととぎすの絵を添えて女性に贈られたものだったようです。
それに対して、「古歌では疎ましい事もあると言われているが、私はそれでも疎ましいと思わない」という意味が籠められていると思います。風流ですね。
春の夜の夢の浮橋とだえして峰にわかるる横雲の空 権中納言定家(藤原定家)
春の夜の浮橋のような夢が途絶えて、峰から別れる横雲の空を眺めています。
※恋を連想させる単語が多く盛り込まれた艶やかな歌。「横雲」は明け方の雲として詠まれる事が多いので、後朝の歌にも見えます。
藤原俊成(83番の作者)の息子で、小倉百人一首の選者。多くの歌集や歌学書等の筆者でもあります。




