第二章:名簿の二列
三日後、仁は研究室の書棚から古いゼミのファイルを引き抜いた。
表紙には「二〇二三年度 ゼミ合宿記録」と手書きの文字がある。古い紙の湿気が、わずかに指先を冷冷した。
佐々木はソファに座り、コーヒーの入ったペーパーカップを両手で包み込んでいる。
「探して、何かありました?」
「いや……」
仁は分厚いファイルを開いたまま、机の上に広げた。
名簿のページには、参加者の名前が縦に並んでいる。一行目には佐々木の名前。二行目には、仁自身の名前。
その下にあるはずの三行目は、空いたままだった。
「……変ですね」
佐々木が立ち上がり、仁の背後から覗き込む。
「名前が抜けてるわけじゃない。最初から詰めて印刷されてるみたいに見える」
「ああ」
仁は名簿の余白に目を凝らした。
罫線の引き方にも、文字の配置にも、不自然な空白はない。最初から二名で登録されていたと言われれば、そう見えないこともない。
だが、あの写真に写っていた女性の顔が、仁の脳裏から離れなかった。
「佐々木。この年の合宿、費用はいくらだったか覚えているか」
「確か……全員で割り勘でしたよね。たしか二万……」
佐々木は言葉を切り、自分の頭を軽く叩いた。
「あれ? なんで二万なんだ。二人で割るならもっと高くなるはず……いや、そもそも僕ら、何人で泊まったっけ」
佐々木の声が微かに揺れる。
仁はファイルの最後のページに挟まれていた、当時の領収書の控えを引き抜いた。
合計金額の欄には、妙にはっきりと「六万円」と印刷されている。
仁は領収書から目を離し、再び空白の続く名簿の列を見つめた。
記録には二人の名前しかない。だが、そこに印刷された六万円という数字だけが、妙に生々しく残っていた。
昼下がりの学食。仁が一人で古い名簿のコピーを広げ、考え込んでいると、向かいの席に音もなく一人の影が落ちた。
顔を上げると、いつの間にか五代暦が座っていた彼女は仁の広げたコピーを覗き込み、一言だけ告げる。
「これ、二人の記録になってますね」
「……ああ」
仁が答えると、暦はコーヒーを一口飲んだ。
「でも、妙ですね。私、もっと大人数で何かを食べた記憶だけがあるんですけど」
「お前もか」
「何がですか?」
暦はただ淡々と言葉を返すだけで、それ以上の深入りをしない。
仁はそれ以上何も言えず、テーブルの上に置かれた冷めたコーヒーのカップに視線を戻した。




