第二章:現代の決別(胃薬と落ち武者)
時空の歪みは、容赦なく仁の三半規管を揺さぶった。
風圧で白衣が音を立て、視界のすべてが京都上空の青紫色の渦に塗りつぶされる。
先ほどまで立っていた大学の研究室の床板はすでに影形もなく、空間そのものがグニャリとねじ曲がっていく。
「おい、ハチ!これどうなってるんだ!」
「知るかボケ! 親父はんが残した緊急用の時空転移装置が、システムの暴走に巻き込まれたんや!」
ハチが青い火花を散らしながら叫ぶ。
その隣で、暦は無表情のままデバイスを構え直そうとしたが、激しい衝撃波が彼女の身体を直撃した。
暦の身体から青い光が溢れ、その整った顔に、わずかな苦痛が浮かんだ。
「……なぜだ。私の管理コードが乱れる……?」
暦が小さく呟き、制服のポケットを押さえた。
そこに何かを隠しているようだったが、彼女はすぐに手を引っ込めた。
「おい、君! 大丈夫か!」
ほんの数分前まで殺意を向けていたはずの少女に、仁が反射的に手を伸ばす。
暦は冷たい双眸をわずかに揺らした。
だが、仁の手を振り払わなかった。
その瞬間、三人の姿が一つの光の中に呑み込まれた。
直後――。
「うわっ!」
泥の跳ね返りと共に、三人は地面に叩きつけられた。
鼻を突いたのは、腐葉土と血と泥の混じった強烈な腥い匂い。
見れば、ハチは何故かボロボロの甲冑を纏った「落ち武者」の姿に変換されていた。
「……なんや、この格好!」
「時空補正のせいや。生け好かんがなっ!」
ホログラムのハチが青い光を散らしながら悪態をつく。
霧の向こうにぼんやりと浮かんでいたのは、見慣れない板葺きの屋根と泥濘んだ農道だった。
「……平安末期や」ハチが警戒した様子で言う。
暦が地面を蹴って鋭く立ち上がり、周囲を警戒する。
「動くな。……来るぞ」
暦が切羽詰まった声で告げたのと同時だった。
闇の向こうで、枝を踏み折る音がした。
足を引っ張るような泥の感触を振り切り、仁は目の前の彼女の手に引かれるまま、暗い山道を必死に駆け出した。
さっき飲んだ胃薬など、もう効いているのか分からない。
胃の奥がまたキュッと縮み上がっていた。




