第三章:一本の線
マウスをクリックした瞬間、コンソールの画面が激しく明滅した。
古いブラウン管の奥で、無数のデータが奇妙なうねりを上げて収束していく。
画面に現れたのは、立体的なグラフでも、複雑な数式でもなかった。それは一本の極太の黒い線――ディスプレイを真上から貫くような、異様なほど無機質な直線だった。
『因果収束:ライン 01』
ファイルのプロパティを開いた仁は、思わず息を呑んだ。
そこには、この端末が読み込んだ過去の記録が並んでいた。仁はふと、数年前に起きた自身の記憶に紐づくログへ目を留める。
――あの年の夏、佐々木とふたりで駅まで歩いた日。
急な豪雨に見舞われ、二人は古びたコンビニの軒下でずぶ濡れになりながら雨宿りをした。靴下まで水が染み込み、冷え切った足先でアスファルトを見つめていたあの日の感触が、今でも生々しく残っている。
だが、画面に表示されているその日の記録は、仁の記憶とは完全に違っていた。
『天候:晴れ。最高気温 31度。特異な事象なし』
「……待て」
仁は画面に顔を近づけた。
記録だけではない。仁が目を凝らしている、その目の前で、古いログの文字がわずかに揺らいだ。
さっきまでそこにあった「豪雨による足止め」の記述が、まるで砂のようにサラサラと音もなく崩れ、新しい文字へ塗り替えられていく。
『天候:晴れ。野外イベント盛況のうちに終了』
仁は思わず自分の袖口を見た。あのとき濡れたはずの布地はすでに乾いていたが、肌の奥には冷たい雨の感触が居座ったままだった。
世界が変わったのではない。
「俺の記憶の方が、間違いだったことにされている……?」
仁の背筋に、氷を這い回されたような悪寒が走る。
選択肢そのものを消去し、衝突や矛盾ごと未来を直線に均す。父・惣一がたどり着いたのは、人間から迷いを奪う代わりに、世界の複雑さを根底から殺すシステムだった。
画面の奥で、その一本の黒い線が、わずかに震えたように見えた。
「……これが、槍か」
仁がその場から立ち上がろうとした瞬間、研究室のドアノブが回った。
金属が擦れる冷たい音が、静まり返った部屋に響き渡った。




