第3話「更地に描く夢の始まり」
領地の外れ。
かつて魔石の加工場として使われていたというその場所は、見るも無残な有様だった。
赤錆に覆われた鉄柱が墓標のように立ち並び、足元には大人の背丈ほどもある雑草が生い茂っている。
鼻を突くのは、雨上がりの泥の匂いと、朽ちた木材のすえた臭いだ。
シエルは腰に手を当て、広大な更地を見渡した。
「さて、どこから手をつけるか」
つぶやいた声は、夏の風に吹かれて乾いた空へ吸い込まれていく。
公爵家から支給された初期資金は、決して十分とは言えない額だった。
それでも、前世の記憶を持つシエルにとっては、世界をひっくり返すには十分な武器だ。
まずは人手が必要だった。
シエルが足を運んだのは、街の裏通りにある薄暗い酒場だった。
昼間から安いエールを煽り、管を巻いている男たち。
彼らの大半は、仕事にあぶれたベータや、偏見によってまともな職に就けないオメガの職人たちだ。
シエルは酒場の中心にある木箱の上に立ち、声を張り上げた。
「仕事を探している奴はいないか! 見たこともないものを作る仕事だ。日当は相場の倍出す!」
男たちが胡散臭そうな目を向ける。
「オメガのガキが、何言ってやがる」
「相場の倍だと? そんな金がどこにある」
野次が飛ぶなか、シエルは懐から革袋を取り出し、中の銀貨をテーブルの上にじゃらりとぶちまけた。
銀の輝きに、男たちの目の色が変わる。
「金は公爵家から出ている。木工細工が得意な奴、魔力回路が組める奴、力仕事に自信がある奴。誰でもいい、僕に力を貸してくれ!」
その日のうちに、十数人の荒くれ者たちが廃工場に集まった。
彼らは半信半疑のまま、シエルが地面に引いた線の通りに作業を始める。
草を刈り、地面を均し、腐った木材を撤去する。
シエル自身も泥まみれになりながら、彼らの先頭に立ち、自らつるはしを振るった。
数日が過ぎる頃には、現場の空気は劇的に変わっていた。
シエルの指示は的確で、無駄がない。
彼が前世の知識で引いた三次元的な設計図は、驚くほどこの世界の魔法陣と相性が良かった。
ルクスからの資金で雇い入れた有能な魔術師が図面通りに魔力を流し込むと、切り出された木材や鉄が、まるで見えない巨人の手によって組み立てられるかのように自動で組み上がっていく。
完成する部品の精密さと、常識外れの異常な建築スピードに、職人たちは舌を巻いた。
「おいシエル、この歯車の噛み合わせ、これでいいのか?」
「完璧です。次はそこの魔石を組み込んでください。魔力の流れを逆転させて、回転の動力を生み出します」
身分も性別も関係ない。
ただ一つの巨大な構造物を作り上げるという熱気だけが、更地を包み込んでいた。
木槌の音がリズムを刻み、魔石を削る火花が散る。
少しずつ組み上がっていくのは、巨大な円形の土台と、精巧に彫られた木馬の群れだ。
魔力駆動の回転木馬、メリーゴーランドの基礎部分だ。
作業開始から1ヶ月が経ったある日の午後。
規則正しい馬の蹄の音が、作業場の入り口で止まった。
土煙の向こうから現れたのは、黒い毛並みの駿馬に跨がったルクス・ヴァルディアだった。
供回りも連れず、単騎での視察だ。
現場の空気が一瞬にして凍りつく。
職人たちが慌てて工具を置き、地面に膝をついた。
シエルだけが、木材の山の上から飛び降りて、ルクスの前へ歩み寄る。
「視察ですか、閣下」
ルクスは馬から降り、冷たい目で建設途中のメリーゴーランドを見上げた。
「ただの木組みのようだが」
「今はまだ骨組みだけですから。ここに装飾を施し、音楽を鳴らせば、見違えるようになります」
「ずいぶんと泥まみれだな。貴族の次男がする格好ではない」
ルクスの視線が、シエルの汚れた作業着と、擦り傷だらけの頬に向けられる。
「現場の責任者が汗を流さなくて、誰がついてきてくれますか」
シエルは袖で顔の汗を拭いながら、誇らしげに笑った。
ルクスは無言のまま、土台の周りをゆっくりと歩く。
職人たちが怯えたように息を殺すなか、ルクスは彫りかけの木馬の首筋に、手袋越しにそっと触れた。
「……無駄な装飾が多い」
「それは『遊び心』というものです。無駄がないと、人は夢を見られませんから」
シエルの即答に、ルクスが足を止める。
振り返った藍色の瞳が、シエルの顔をじっと見つめた。
「人が笑う場所を作りたいと言っていたな」
「はい」
「なぜだ」
ルクスの声は、尋問のようでもあり、どこか別の答えを探しているようでもあった。
シエルは風の匂いを嗅ぐように、少しだけ目を細めた。
「……前の人生で、僕自身がそういう場所に救われたことがあるからです」
ルクスは眉間にしわを寄せる。
「前の人生?」
「比喩です。つらくてどうしようもなかった時に、ただ無条件に楽しいと思える場所があったから、僕は前を向けました。だから今度は、僕がその場所を作りたいんです」
真っ直ぐなシエルの言葉だった。
ルクスは何も言わなかった。
ただ、もう一度木馬を見上げ、それから静かに馬の背に乗る。
手綱を引く直前、ルクスは前を向いたまま小声で告げた。
「追加の木材と魔石を手配させる。予算の超過は許さん」
それだけ言い残して、ルクスは馬を走らせた。
遠ざかる背中を見送りながら、シエルは口角を上げる。
「ツンデレめ」
前世の言葉で小さくつぶやくと、シエルは職人たちを振り返って手を叩いた。
「休憩終わり! 公爵様から追加の資材が届くぞ! 気合い入れて仕上げるぞ!」
「おーっ」という野太い歓声が、夏の空に響き渡った。
更地に描かれた夢の輪郭が、少しずつ、しかし確実に色を帯び始めていた。




