7 口論
ディムをあらかじめ紹介しておく。彼は40代後半で、この土地で数少ない医者の1人だ。医学的見地があり、施術も出来るらしく、専門は外科らしい。その診療所は俺達の住処から最も近かった。
俺が初めて彼に会ったのは、漂流してミゼールに助けられた後だ。生還処置をしてくれたから、彼も一応は命の恩人である。もし、そのまま命の恩人であり続けたなら、俺はアタルの保護をした後、彼に任せていただろう。しかし、俺が彼を信用ならんヤツとしているのは、恩人であることも忘れたくなる理由があるからだ。果たしてヤツをこの土地の医者にしておいて良いのか。俺はそう思っていた。
さて、車は診療所の前に到着した。俺はその白壁を見上げ、顔をしかめていた。俺の身が裂けようと、内臓に腫瘍が出来ようとも、俺はここの門を叩く気は無かった。
「どうする。導師。お前が嫌なら、ここで待っていても良いけど」
「うむ。アタルをヤツに見せるのか?」
「ああ、そうだな。義肢は特注なんだ。医者が義肢屋に使用者の状況を伝えて、それから作るもんだ。だからアタルを連れて行く」
ミゼールの口からそんな雑学が聞けたところで彼女は再び俺に問うた。
「で、どうするんだ?」
「もちろん行く。心配でならんからな」
即答だった。ヤツが俺の姿を見て怒声を上げようがなんだろうが、俺がヤツの一部始終を見守らんことには、気が気でないからだ。
「まあ、オレだけでも良いんだけどな。あいつが何を言ったって、お前の責任だぜ?」
ミゼールは苦笑いを浮かべながら忠告した。俺は真面目な顔で頷いた。俺はアタルを、ミゼールは紙袋を右腕に抱え、車から降りた。診療所の前に立ち、俺は今一度あの日のことを思い出していた。
「いしゃ?」
「ああ、そうだぜ。とは言っても痛いことはしない。せいぜいお前の腕回りとか、脚の長さとかメジャーで測って、それからどれだけの身体機能を備えているかチェックするくらいだ」
「んー」
アタルが不満の声を漏らした。義肢を作るのに医者が登場することを彼女も知らなかったらしい。
「アタルよ。少し面倒かも知れないが、これは君の友のためであり、君のためでもある。体に合うものを作っておけば、旅も快適になるだろう」
俺はアタルを説得した。アタルはなおも首を傾げ、思考を巡らせていたが、突如何かを思い出したかのように目を見開いた。
「ではおねがいする」
「よっしゃ。その言葉が聞けたことだし、入るとするか」
俺は入り口のガラス扉を開いた。蝶番がきしむ音を立て重々しく開かれた。
診療所内には待合の患者はいなかった。昼過ぎという時間もあり、これは幸いであった。さらに受付にも誰もいない。俺の記憶では、事務員か看護婦のどちらかを担当する20代後半の女性がいたはずだ。
するとその状況を受け、ミゼールが診察室をノックし、返答も無いまま扉を小さく開いた。隙間に顔を突っ込んで、室内を見渡していた。
「おーい。ディム。いるか。ちょっと診て欲しいんだけど」
ミゼールの行動は実に非常識だが、彼女はディムに対しこのようなことをしても良い間柄にあるらしい。すると、診察室内から痰が絡んだような咳払いが聞こえた。
「おいこの鉄錆。今診療時間外だ」
診察室内からディムの声が聞こえた。その声は酷くイラついていて、まるで喉が焼けてしまったかのようにかすれて、低い声をしている。地獄の荒野の住人は皆このような声だろうと思わせる響きである。俺はその声を聞いて、頭痛がし始めた。天候の影響に加え、またヤツと口論になるのだろうと思うとそうならざるを得なかった。
「時間内でもどうせ患者は来ねえだろ? これやるからさ」
鉄錆と呼ばれたミゼールが、右腕に抱えた紙袋から札束を取り出し、そのまま扉の向こうにいると思われるディムに渡した。これで特別に、とでも言うのだろうか。
「ふん。で、誰だ。お前は腹立たしいほどに相変わらず無傷なみたいだが?」
ディムは腹立たしいほどに相変わらずな、医者に相応しくない口調であった。どうやら帰れと言わない辺り、特別報酬に甘んじたらしい。その後、ミゼールが顔をこちらに戻し、俺達を指で招いた。俺は少しばかり体を強張らせ、1歩を半歩にしながら診察室へと近づいていった。
すると、突然勢いよく診察室の扉が開いた。そこから現れたヤツは猫背で、白衣のポケットに手を突っ込み、弱った魚のような表情であった。しかし、俺の顔をみるやいなやどんどんその顔に血が戻っていき、憤怒を現していった。
「貴様また来たかこのインチキ野郎。てめえ今度会ったらその口縫い合わして、喉を開きにしてやるっつったよなあ!」
「やめないか」
いったいどういう思考回路をもってすればそこまでの罵詈雑言が思いつくのか。それくらい俺のことを嫌悪しているようだ。俺だってこんな言葉を使う医者とはもう出来れば会いたくない。
「俺の腕にいるこの子が見えないのか。俺のことはどのようにも言うがいい。しかし、子供にそのような言葉を聞かせるのは罪ぞ」
「うるせえ。てめえの所為で、患者が減った。てめえが市民にデタラメを吹き込んだ所為で、どいつもこいつも血気が無くなった。俺の施術を受けるヤツが多いってことは、この町が血気盛んだってことだ。その血気をお前が奪ったんだこの野郎」
またその話かと俺は思った。俺がこの医者と二度と会うまいと思ったのはこの発言を聞いたからである。彼の言い分は、まるで町の発展や活性化には怪我や病気が必須であるというように捉えられる。このような思想では俺だけでなく、他の市民からも信用されまい。ため息をつき反論した。
「俺は人々によりよく生きるための知恵を授けただけだ。知恵によって人々は無理をせず、正しく、健康を損なわないように気をつけることができるようになった。それはあなたの言うように、ある側面では血気を失ったように見えるかもしれない。しかし」
そこで俺の言葉は遮られた。ディムが右の拳で診察室の扉を殴ったのだ。ディムは憎悪の目をして、重々しく口を開いた。
「お前は確か、市民に対し、食事は少なくてもよく味わって食えば満腹になるなんて言ったそうだな。それはお前、自分が本当に飢えたことがないから言えることだぞ」
ヤツの言うことに付け加えると、「食事は少なくても、食事が出来るまでに関わった人々や生命のことを想って、よく味わって食べれば満腹になる」である。
そして、俺は察した。どうやらこの医者の生活は傾いている。もしくは、そうなってしまうかもしれないほど、仕事のない状態だ。見た目は言うほどやせ細っていないが、その顔色は一種の不安を抱えている。
「あなたの仕事が俺の行いによって減ったということは、あなたの生活を脅かすことだ。不安や怒りが生まれるのも仕方の無いことだ。しかし、それでもいつか、奇病、大怪我をした患者が訪れる。その時まで静かに、それでいて熱心に鍛錬し、備えるべきではないか?」
「ぎぎぎ……」
ディムは歯を食いしばり、20歳以上年下の若造に諭されて言葉の行き場を失っている。そこで俺は抱えているアタルを上から見た。アタルは特に表情を変えず、まるで先ほどの口論が聞こえていないようだった。そして右を見ると、ミゼールがにやけ面をしていた。俺達は真剣に討論しているのだが、彼女にとっては喜劇の一幕であるらしい。男って本当にバカだなあ。そんなことを考えていることが丸分かりだ。
そして、彼女は鼻で笑った後、近寄ってきて俺の右肩に手を乗せた。
「んで、導師の言ういつか訪れる患者がこの子だ。患者と言っても、外観補整用の義肢を作りたいから、その測定をして欲しいんだよ」
「ん? この子?」
ディムは今までアタルのことなど一切眼中になかったかのように、疑問を含めてそう言った。
「お前らその子をどうした。いったいどこで……」
「知りたければ1束だ」
ミゼールはそう言うと、ディムの右ポケットに視線をわざとらしく向けた。教えて欲しけりゃ先ほどの特別報酬と同じ値段をよこせという意味である。それを受けたディムは鼻筋に皺を寄せ、しばらく考え込んでいた。
「わかった。詳しくは聞かん。とにかく、義肢の依頼だな。こっちへ来い。製作に必要な身体測定を行う」
「急いでるんだ。プロトコフのところへは俺が用件付けておく。電話借りるぜ」
ミゼールはそう言っては受付にある電話で通信を始めた。プロトコフとは誰か。恐らくミゼールの知人で、この義肢製作に関わる人物だろう。
棒立ちになっている俺をディムが睨んでいることに気づき、俺はアタルと共に診察室へ入った。
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