第8話「終焉と継承」
石板から手を離すと、静寂が戻った。
だが、頭の奥には確かな感覚が残っている。
――動かせる。
この迷宮を。
その事実を、ゆっくりと受け入れたときだった。
「……まだ、終わっては……おらん……」
かすれた声。
振り返る。
赤い竜が、こちらを見ていた。
その瞳は、すでに半分ほど閉じかけている。
だが――意志は、はっきりと残っていた。
「……一つ……頼みがある……」
「……なんだ」
自然と、言葉が出る。
竜は、ゆっくりと息を吐いた。
「……我に……止めをさせ……」
「……は?」
予想外の言葉だった。
「……寿命で死ねば……我の魂は……天へ昇る……」
途切れ途切れの声。
「……だが……冒険者に……殺されれば……」
わずかに、目に光が宿る。
「……復活の可能性が……残る……」
「……そんなの、確証ないだろ」
「……ああ……ない……」
あっさりと、認めた。
「……だが……それでも……」
静かに。
確かに。
「……可能性に……賭けたい……」
沈黙が落ちる。
嘘はない。
そう感じた。
長い時を生きた存在の、最後の願い。
「……頼む……」
かすれた声。
その重みは、十分すぎるほど伝わってきた。
「……」
俺は、少しだけ目を伏せた。
そして――歩き出す。
竜の前へ。
背中の刀に手をかける。
抜く。
刃が、静かに光を返す。
「……痛いぞ」
思わず、そんな言葉が出た。
意味があるのかも分からない一言。
だが――
「……かまわん……」
竜は、わずかに口を開いた。
覚悟は、決まっている。
「……行くぞ」
踏み込む。
迷いはない。
一閃。
刃が走る。
空気が裂ける。
そして――
首が、落ちた。
重い音を立てて、地に転がる。
その瞬間。
「――っ!?」
体の奥で、何かが爆ぜた。
熱。
力。
情報。
すべてが一気に流れ込んでくる。
視界が揺れる。
足元がぐらつく。
だが、倒れない。
むしろ――
満ちていく。
「……なんだ、これ……」
息が荒くなる。
内側から、何かが膨れ上がる。
理解する。
これは――
成長。
「……レベル……?」
なぜか、その概念も分かる。
そして、その数値が――
跳ね上がる。
355。
そこから。
400。
500。
700。
900。
1000を超え――
「……1222……?」
思わず呟く。
桁が違う。
今までとは、まるで別の領域。
「……はは」
乾いた笑いが漏れる。
だが、不思議と恐怖はない。
むしろ――
妙な納得があった。
これでいい、と。
その時、ふと視線が落ちる。
そこにあるのは――
竜の体。
切断された首。
露わになった断面。
赤い肉。
白い脂。
「……」
じっと見る。
なぜか。
本当に、なぜか。
「……うまそうだな」
そんな感想が、自然に浮かんだ。
人間で、竜を食ったことがあるやつなんているのか。
そんな疑問すら、どうでもよくなる。
俺はしゃがみ込み、刀で少しだけ肉を削り取った。
指でつまむ。
柔らかい。
脂が程よく乗っている。
それを、そのまま口へ――
入れた。
――とろり。
舌の上で、溶ける。
カニとは、まるで違う。
濃厚。
圧倒的な旨味。
深いコク。
そして――
何かが、流れ込んでくる。
「……っ!?」
一瞬、視界が歪む。
熱が、体中を駆け巡る。
だが、それはすぐに収まった。
「……なんだ、今の……」
分からない。
だが――
ただの肉じゃない。
それだけは、はっきりしている。
俺はゆっくりと立ち上がった。
振り返る。
石板の部屋。
迷宮の中枢。
そして――
静かに横たわる竜の体。
「……継いだ、ってことか」
誰に言うでもなく、呟く。
答えはない。
だが、もういい。
理解している。
ここからは――
自分の迷宮だ。
俺は石板へと視線を戻した。
次にやるべきことは、もう分かっている。




