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2-1 夢の続き

 目を開くとそこには天井が広がっていた。ぱちくりと一度瞬きをしてみたが、目の前の景色は変わらない。その景色に私はゆっくりと体を起こし、思う。一体これはどういうことなのだろう、と。ここはつい先ほどまで、私が見ていた夢の中のあの部屋ではないか。

「えぇ…?」

 そう困惑を響かせる。夢の中で眠るという行為は私にとっては初めてのことだったけれど、決して経験談として耳にしない話ではない、だけれど。夢の中で一度眠り、その眠りから覚めた時に、そこがまだ夢の中であるなんてことは、しかもそれが同じ夢の中であるだなんてことは

「有り得るの、かな」

 言いようのない漠然とした不安を抱きながら、辺りを見渡した。壁には制服が掛けられ、そのすぐ隣にはクローゼットが備え付けてある。ベッドの近くには白を基調にした机と椅子。ゲームを通じて、何度も目にした画角だ。ごくりと一度喉を鳴らして、私はゆっくりと右足を白いカーペットの上へと下ろした。そのまま、ふらふらと制服の元へと近寄っていく。目の当たりにして改めて私は思った、あぁ同じだと。


 私が愛してやまないこの乙女ゲームの名前は『百花繚乱 八重咲学院』。現代日本の学校を舞台にした作品だ。主人公(プレイヤー)が八重咲学院に入学にする、その前日から物語は開始する。入学後、主人公は学院で出会った様々なキャラクター達と多種多様なイベントをこなしながら、恋に友情にと忙しない一年を過ごしていくこととなる。

 その『八重咲学院』の制服が確かに今、目の前にある。すっと、その制服に向けて手を伸ばした。皺一つない、スカート。ブレザーに鼻を近付けるとほんのりと新品の服特有の糊の香りを感じる。その生地の感触から、肌感ながらこれはコスプレなどではなく本物の学生服だ、とそう思う。眠りにつく前、のどかさんは私に言った

「春休みが終わるまで後、七日…」

 つまり私が今見ているこの『夢』は、ゲームが始まる前の『百花繚乱 八重咲学院』の世界。そう、本来ならプレイヤーがまだ存在していない軸の出来事だということになる。夢というのは過去に自身が経験したこと、または目にした情報を元に脳が作り出すもの、なのだ。だから画面を通じて何度も見た、部屋の作りや制服のデザインがこれほど鮮明に再現されていてもおかしなことでは、ない。あぁ、だけれど。ぎゅっとその制服の裾を掴んで、思う。ここは『夢の中』のはずなのに、当たり前のように五感が作用しているのは何故だろう。コーヒーの温かさ、バターの香り、抱きしめられた時に感じたのどかさんの体温。たった一度きりの夢ならば不思議なこともあるんだな、と良い思い出として受け入れることができたのに。その続きが存在するとなると、話は別だ。感じるもの全てに、気味の悪さが付き纏う。


 制服をじっと見つめていると、チカリ。何かが反射したかのような光を私は捉えた。

「…あれ」

 その時になって初めて気が付いた。クローゼットの向こう側に、何かある。ゲーム内では描かれることのなかったその光源へと一歩、私は足を進める。壁に掛けられたそれは、一枚の絵画だった。丸い額縁の中に、黒髪の少女が描かれている。

「綺麗な、女の子」

 そうぽつり、感想を溢した瞬間、その絵の口元が、動いた。えっ、と小さく発した驚嘆に合わせて再びその絵画が動く。後退りをした分、遠くなっていくその額縁の中の影。

「も、もしかして」

 これは、鏡なのだろうか。そんな疑問と共に再びゆっくりと、その光の元へと歩みを進めた。少しずつ大きく、鮮明になっていくその少女の絵。私の身体の動きに合わせて、額縁の向こうの黒髪が確かに揺れる。私が小さく口角を上げると、目の前の少女も微笑んだ。私が右目を閉じると、少女は左目を閉じている。なるほど、これは鏡だ。つまり、今映り込んでいるこの少女こそがゲームの主人公である、雪代華(ゆきしろはな)だということになる。


 『百花繚乱 八重咲学院』は、所謂一人称視点の乙女ゲームだ。プレイヤーが主人公を操作し、その主人公の視点で物語が展開されていく。その為システム上、主人公の容姿が画面上に描かれることはない。キャラクター同士の会話からその容姿をある程度想像することはできたけれど、うん、これは確かに、まごうことない美少女だ。胸元まで綺麗に伸びた黒蜜のような髪、小さなおでこを覆うドーリーバング。その前髪の下からは綺麗なアーチが覗いている。幅の揃った二重。瞳の中にはまるで夜空を閉じ込めたかのような黒が広がり、その肌の白さを際立たせている。真っ直ぐに伸びている綺麗な鼻筋、少し小さめの桜色の唇。鏡越しとはいえこの至近距離からでも、毛穴の一つも見つからない。   

 これが、雪代華。これがあの、ゲームの主人公の御尊顔。

「描かれた手や、脚しか見たことがなかったからなぁ…」

 そう小さく口にして苦笑いを浮かべる。その様子が目の前の鏡にも反映されて、あぁ、本当

「気持ちが、悪い」

 私はこの鏡に映っている少女を知らない。状況的に、理解はしているのだ。たった今初めて目にしたばかりだけれど、この少女が、この顔が、雪代華であることを。そして今、夢の中で私が雪代華の身体を動かしているということを。私はちゃんと、理解している。そう、だけれど

「私は、私なのよ」

 当たり前のことではあるけれど、私はあくまで私であって雪代華その人ではない。私には決して、鏡に映るこの少女が私であるとは思えない、それなのに。思わずハの字に下げた眉、細めた双眸、強く結んだ唇。目の前の少女は、一寸も違うことなく私の動きに呼応する。そのどうしようもないほどの、違和感。もう一度小さく気持ちが悪いと口にした。鏡に映る少女の顔はその悍ましさに歪んだ表情でさえ美しくて。私は目を背けるようにそっと鏡に背を向けた。

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