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1-1 夢の話

 目を開くとそこには天井が広がっていた。ぼんやりとした視界の中、知らない天井だ、とそう思う。ぱちくりと一度瞬きをしてみたが、目の前の景色は変わらない。天井の高さからおそらく今()はベッドの上に寝転んでいる。ここは一体、どこなのだろう。そんなことを考えていると


「お嬢様ぁ」


 と突如そんな声が、響いた。続け様にコンコンコンとドアをノックする音が三回、静かな部屋へと響き渡る。そしてもう一度お嬢様ぁ、とどこか間延びしたその声が私の耳に届いた瞬間、ガチャリ。そう扉の開く、音がした。

「お寝坊さんですかぁ?」

 と口に出しながら近付いてくる気配を一つ、確かに感じる。初めて聞く、はずなのに。鼓膜を揺らすその声はなんだかとても耳馴染みが良くて。何故だろう、と思う。誰なんだろう、とそう思う。

 ベッドのすぐ近くまで歩みを進めたその影が、ぴたりと動きを止めた。すぅっと、小さく聞こえてくるのは呼吸音。その人はもう一度お嬢様ぁ?とそう響かせると、そのまま勢いよく横たわっている私の顔を覗き込んで


「起きてくださぁい」


 もう朝ごはんできてますよぉと、朝の訪れを告げた。その口にした言葉に、その顔に、ううん、その画角に。思わず私はあ、と洩らし、理解した。これが夢であることを。

 重なった視線にあら、とそう呟いて

「なんだぁ、起きてるじゃあないですかぁ」

 私が愛して止まない乙女ゲームの登場人物である立花のどか、その人はにっこりと優しい笑みを浮かべてみせた。


 お嬢様、と呼ぶということはおそらく私は今あの乙女ゲームの主人公としてこの夢を見ているのだろう。さぁ早くご飯にしましょう、とのどかさんに連れられて自室を後にする。目の前で小さく揺れるメイド服を眺めながら、明晰夢なんて初めて見たなぁとそう思う。あれ、初めてのことだったっけ?なんだか記憶が曖昧だけれど、これも夢だからだろう。

「今日はチーズオムレツですよぉ」

 温め直すので少しお待ちくださいねぇ、そう言い残し台所へと消えるのどかさん。ありがとうとその背に告げて、私はリビングの椅子へとゆっくり腰を下ろした。この席が、食事の際の主人公の定位置だ。画面越しに何度も見ていた、シンプルなデザインの木製の椅子。こんな座り心地なんだなぁとなんだか感慨深くなる。いやまぁ正確にはこれは夢で、実際はどんな座り心地かなんてゲームの製作者に聞いてみないと分からないんだけれど。

「…製作者に聞いたところで、分からないという可能性もあるか」

 ぽつり、そう呟いた私にお待たせしましたぁと声が掛けられた。カタン、コトと机の上に並べられていく料理。サラダの盛られた小皿にチーズオムレツとベーコンが並ぶ中皿。バターの香りが漂ってくるのは平皿のパンからだ。

「今日はミルク、どうされますぅ?」

 そう言うのどかさんの手には、見慣れたデザインのマグカップ。カップの中身が何なのかは、その香りから予想が付く。

「そのままで、大丈夫」

「はぁい」

 どうぞと手渡されたマグカップを受け取り一度深く息を吸うと、芳醇なコーヒーの香りと共に立ち昇る柔らかな湯気が私の鼻先を温めた。

「…良い香り」

 そう零した私に、いつもと同じものですよぉ?とのどかさんは微笑みながら、彼女の前に置かれたマグカップに角砂糖を一つ落とした。ぽちゃん、と響いた水音がまた一つぽちゃんと続け様に鳴る。ぽちゃん、ぽちゃん。私の物とは色違いのカップの中へ次々と消えていくその塊。シュガートングが五つ目の角砂糖を摘んだタイミングで、思わず私は

「の、のどかさん」

 とそう彼女の名前を呼んで待ったをかけた。私からの呼びかけにその垂れ目が一瞬、驚いたように開かれる。そう言えば、彼女は極度の甘党だったなぁとゲーム内の設定を思い出しながら

「入れ過ぎだと、思うよ」

 そう告げた私に、まぁ!と驚嘆の声が短く響く。コトン、とのどかさんによって摘まれていたその塊が小瓶の中へと落下した。

「どうしたんですかぁ?」

 と投げ掛けられた疑問にそんなに驚くことかなぁと考えながら、流石に身体に悪いよと返した私にいえ、そうではなくぅと緩やかな否定が紡がれる。

「のどかさん、だなんて」

 そんな呼ばれ方をしたの6、7…10年ぶりじゃあないですかぁ?と、のどかさんはその指を折りながら数を数えると、両の手を大きく開いてばっ!と私に向けた。あぁ、そうだ。しまったなぁと私は眉を顰める。咄嗟にのどかさんと呼んでしまったけれどこれはゲームのプレイヤーとしての私がとっていた呼び方で、作中主人公はずっと彼女のことをのどかと呼んでいた。

 思わず小さく頬を掻きながらそうだっけと誤魔化しを試みた私にそうですよぉとのどかさんは間髪入れずに応える。

「初めてお嬢様とお会いしたその年以来のことですぅ」

 のどかさんはそう言うと

「ただの家事代行のわたしに、お嬢様は『家族みたいだなって思っているの』とそう告げてくださって。その日以降、わたしのことをのどか呼びするようになったんですよねぇ」

 その当時のことを想起したのか懐かしいですねぇ、としみじみした様子でそう語るのどかさん。ゲーム内では明かされることのなかったその情報に、私はそうなんだと新鮮な気持ちでその在りし日の出来事に耳を傾ける。夢というのは過去に自身が経験したこと、または目にした情報を元に脳が作り出すもの、らしい。覚えはないけれどもしかして、このゲームの二次創作を夜な夜な漁っていた際に、似たような設定をどこかで見かけたのかもなぁ、なんて。そんな風に考えている私に、目の前の彼女は

「のどかさん、のどかさん、ですかぁ」

 とそう小さくその響きを反芻させてなんだか、新鮮な響きですねぇとくすり、柔らかく微笑んだ。


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