episode09
結局、主人を救う解決策が見つからないまま時が過ぎていった。
二月の後半、すでに季節は冬。
「ネコさん、今日もそばにいてくれてるんだね」
主人があたいに言う。
その声はか細く、弱弱しいものだったにゃ。
あたいは机を前足で叩き一声鳴くと、ベッドの横に置かれたミネラルウォーターとビスケットの方へ注意を向けさせた。
「そうね、少しは食べて元気出さないと」
食料と水は主人が今よりは元気だったときに寝室にまとめて移動させてある。
主人はビスケットを手に取ると、これでもかというほど小さくかじり、そして水を飲んだ。
こんな量では到底食事とは言えないのだが、主人はミネラルウォーターの容器を机に置くと、また眠りについたにゃ。
「また寝ちゃったにゃ」
寝顔だけ見ていれば、可愛いものだがにゃ。
状況はかなりひどくなっている。
こんなことなら少年を追い出すんじゃなかったと少し後悔したにゃ。
ただ、少年がいたとしてもできることはほとんどないだろう。
最後の希望は、あのお兄さんくらいだろうかにゃ。
そういえば、あれからお兄さんには会っていない。
協力してくれるのは嬉しいが、危ない橋を渡ったりしてないだろうかにゃ?
心配にゃ。
あたいは何もできない自分に落胆しつつ、主人の寝室を後にして下の階へと降りた。
そして、定位置であるカウンターにのぼって座り込んだ。
するとどうだろう。
入り口近くのテーブルに白い封筒が置いてあるのが見えたにゃ。
「何だにゃ?」
あたいはそのテーブルへ飛び乗り、封筒を見た。
そこには『ネコさんへ』と書かれていた。
これは恐らく、お兄さんからの手紙だろう。
あたいは急いで封筒を開けようとしたにゃ。
「にゃ! 開くにゃ! もう、糊付けし過ぎにゃ。このっ、えいっ!」
封筒を開けるというのは猫にとってかなり難しい事にゃ。
ひらひらと前足をすり抜ける封筒と格闘することおよそ五分。
あたいは何とか中の手紙を取り出すことに成功した。
まあ、紙くずが舞い、手紙の一部が破れてしまったりはしたがにゃ。
読むのに支障はなく、内容も実に分かりやすいものだった。
ネコさんへ。
先日教会内の禁術書庫で、解呪に関する術式を見つけたよ。
内容はかなり難しいものだけど、道具や材料は教会内でこっそり拝借できそうだし、近いうちに実行できそうだ。
楽しみに待っていてくれ。
それまでお姉さんをよろしく!
お兄さんより。
「何が楽しみに待っていてくれだにゃ」
緊迫した状況において、この手紙が吉報であることは間違いないのだろうが、両手を上げて喜べる内容でもなかったにゃ。
禁術書庫。
それは教会内にある、禁術書を保管する場所。
存在するだけで危険であり、安易に破棄することもできない恐ろしい書物が保管されている。
当然禁術書というだけあって、閲覧はおろか、書庫への入室も禁じられているにゃ。
ただ、この手紙が届いているということは閲覧し、情報を取得したということなのだろう。
禁術かにゃ。
お兄さんは記憶を失っているとはいえ、一度禁術を使った身だにゃ。
もし、今回のことが司教にバレたとしたら、かなりまずい状況になるだろう。
それと、何と言っても禁術なのにゃ。
主人の呪いを解く効果があったとしても、まともな方法ではないはずだ。
術を使うものへの負担、支払うべき対価。
お兄さんが無事に術式を行使できる保証はないのにゃ。
あたいは不安になった。
しかし、今から止めに入ったところで事態はややこしくなるだけだろう。
そして、止める力もない。
あたいは不安を抱えたまま、主人の寝室へと向かい、仕方なく一緒に眠った。
――――翌朝。
まだ日が昇らぬ早朝。
お兄さんの行動の結果は、思わぬ形で舞い込んできた。
主人と共にすやすやと眠り、湯たんぽの役割を果たしていたあたいは、扉を開く大きな音と声に起こされたにゃ。
「ネ、ネコさ~ん! いますか~!」
その声は、しばらく聞いていなかった懐かしい声であり、そして聞けるはずのない声だった。
あたいは戸惑いつつも、急いで下の階へと向かった。
するとそこには、やはりあの人物がいたのにゃ。
「少年にゃ。何でいるのにゃ? あり得ないにゃ!」
近づいて、そして一周ぐるりと見て回る。
そして、やはり少年なのだと認識したにゃ。
「どうやって入ってきたにゃ? 結界は? メンテ時間でもない、結界が張られたこの空間になんでにゃ? にゃ?」
理解できなかった。
ただこの状況が異常であるということだけは分かっていた。
「その、うまく説明できないんですが。僕……魔術師になったみたいです!」
困惑していたところに、さらに追い打ちをかけるようなセリフが少年の口から飛び出した。
「少年、話が見えてこないにゃ。一体何をしたのにゃ?」
魔術師になったから簡単に結界を突破できました、なんて安易に受け止められる内容ではない。
「実は昨日、あのお兄さんに呼ばれて教会に行ったんです。そこで魔術師であることを告げられて、お姉さんを魔術で治せるって言うので、協力することにしたんです。初めは突拍子もない話だと思ったんですが、嘘を言ってるようにも見えなくて」
「ううむ、どうしてそれが魔術師になることとつながるのにゃ?」
「お兄さんが言うには、お姉さんを治す術式はこの先ずっと寄り添っていくだろう人物がやるべきだとかで。僕が選ばれたみたいです。それで魔術師としての力の譲渡を……」
「待つにゃ! 今、力の譲渡って言ったかにゃ? もしかして二人で祭壇に寝そべって、儀式結界の中で一晩過ごしたのにゃ?」
「はい、その通りです。だから僕は今魔術師なんです」
やっと理解できてきた。
お兄さんは何かの術式を行使する予定だったが、自身の寿命が短いことを薄々感づいていたのだろう。
だから、少年に託したのにゃ。
ただ、一般人への力の譲渡もまた禁止された行為であり、それを教会内でやったとなれば大問題である。
司教も気づいているだろうにゃ。
少し嫌な予感がするにゃ。
「分かったにゃ。それで、お兄さんは少年にどんな術をさせるつもりなのにゃ?」
「それなんですけど、これ……分かりますか? ネコさんに聞けば分かるって言われたんですが」
少年はポケットから赤い宝石がついた指輪を見せてきた。
「これは、対呪術用の指輪にゃ。でも、それにしては素材が豪華すぎるにゃ。膨大な魔力にも耐えられるようにしてあるのかにゃ? そうか、呪いを根本的に解くのでなく、対呪術用の指輪の力で相殺するってことにゃ! 定期的に魔力を込めれば、半永続的に呪いを抑えられるのにゃ。少年、指輪に魔力を込めるのにゃ!」
あたいは少年にそう言ったが、少年は困っていた。
「魔力を込めるって、どうすればいいんでしょうか?」
そういえば、まだ魔術師になりたてだったにゃ。
「指輪を手で包んで、あとはイメージにゃ!」
「イメージですか?」
「そうにゃ」
「こんな感じですか?」
「そうにゃ! まだ、魔力の流れまでは見えてないみたいだにゃ。でも、ちゃんとできてるのにゃ。続けるにゃ!」
「わ、分かりました。ネコさん!」
懸命に魔力を込める少年。
しかし、あたいには一つ疑問に思う点があった。
主人の受けている呪いはかなり進行している。
呪いを受け始めた頃ならまだしも、今の段階から復帰するには魔力が足りない気がするのにゃ。
「頑張ってるところすまないが、少年。お兄さんは本当にこれでお姉さんを治せるって言ったんだにゃ?」
「はい、術を発動できるだけの十分な魔力を譲渡したって言ってましたよ」
ここで、あたいは重要なことを聞いてなかったことに気付いたにゃ。
「少年、一つ訊きたいにゃ。魔術師の力の譲渡にはいくつか種類があるにゃ。それについて、お兄さんは何か言ってなかったかにゃ?」
「う~ん、難しいことはよく分かりませんが。確か、最終譲渡って……」
「にゃっ!!」
あたいはそれを聞いて、全身の毛を一気に逆立た。
そして店の出入り口へと駆けた。
勘違いしていた。
まさか、最終譲渡を行ってたなんてにゃ。
「ネコさん?」
「少年! お兄さんは間違いなく最終譲渡と言ったのにゃ?」
「はい、確かにそう……」
「分かったにゃ! 少年はそのまま魔力を込めつつけるにゃ! あたいはちょっと出てくるにゃ!」
「え? ちょっと、ネコさん?」
突然の行動に少年は驚いているようだが、説明している暇はない。
あたいはあることを確認するため、店を飛び出したのにゃ!