episode10
あたいは走った。
久しぶりに外を走ったせいか、少々足が痛かったが、気にせず走った。
そして、目的地にたどり着いたのにゃ。
教会、いや魔術協会本部に。
幸いなことに扉は少し開いていたので、あたいはするりと中に入ることができたにゃ。
中は薄暗く、奥のステンドグラスから差し込む月明りが内部を照らす。
早朝というだけあって、礼拝する者もなく静かにゃ。
あたいは礼拝のために並べられた座席を通り抜け奥へと向かった。
すると右奥の扉から誰かがやってきたにゃ。
「おや、誰かと思えばあいつの使い魔じゃないか。なんとも懐かしい」
その声は、聴いていて心地の良いものではなかったが、声の主はあたいのよく知る人物だった。
「司教、久しぶりにゃ」
「ああ、お前の元主人が私と喧嘩別れして以来だな」
「今でもお前のことは許してないにゃ……って。ん? 会話できてる?」
「別段不思議なことでもあるまい。ここは魔術協会本部。使い魔と会話できるよう特殊結界くらい張っておろう」
「そういうことかにゃ。でもちょうどいいのにゃ。では問うにゃ! あたいの元主人、パパさんはどこにいるのにゃ!」
あたいは右前足を突き出して言った。
すると、司教は白いローブをバサッとひるがえし、答えた。
「禁術を二度も使ったなれの果てか? もはやあいつとは別人であるが、一応そこに寝転がっておろう」
そう言って司教が指し示した先は、教会の最奥にある祭壇だった。
普段は神への供物などが置かれている場であるが、今は大きな棺が置かれており、周りを儀式用のろうそくが囲んでいた。
「あれが、最終譲渡用の棺にゃ?」
「その通り! 魔術師の一族の長が生命の危機に直面した際、持ち得るすべての魔力を譲渡する禁術、最終譲渡の棺だ。魔術師の魔力は生命力と直結している。そのすべてを譲渡すれば、当然死に至るわけだ」
淡々と説明する司教。
この男は魔術というものを恐ろしく冷静に認識する。
それが、命に係わる術であったとしてもにゃ。
冷静を通り越して冷酷。
だからこそ、魔術協会の長というポストは、この男にぴったりなのだろう。
魔術協会とはそういうものなのにゃ。
「なぜ止めなかったのにゃ!」
「止めるだと? 面白いことを言う。仮に止めた場合、あいつの娘はどうやって助ける? これでも譲歩しているのだよ。本来なら魔術協会の長として止めなくてはならないだろう。しかし止めなかった。あいつ……いや、あの若者に頼まれたからな。それに禁術の連続使用で、死ぬのは予想できていたからな」
ああ、一言ひとこと腹が立つにゃ。
こいつは人の命を何だと思っているのにゃ。
「だからって、見殺しにして良い理由にはならないにゃ!」
あたいは必死に反論したが、司教には届かない。
「詭弁だな。人の命を助けるのに、人に命が必要なのは当然だろう。魔術を行使するだけで、生命を操作できてしまったらそれこそ大問題だ。お前ならその辺りよく分かっているはずだが」
気に食わないが、その通りにゃ。
強大な魔術にはそれ相応の対価が必要になってくる。
「言ってることは十分理解できるにゃ。でも、理解したうえでも何だか納得できないのにゃ。人の死に直面すれば、誰しもがそう思うのにゃ」
「難儀な性格だな。しかし、一つ早とちりしているぞ」
「何なのにゃ?」
「私は、そいつが死んだとは一言も言っていないぞ」
司教の言葉にあたいは驚いた。
禁術が成功していたのなら、すでに絶命しているはずにゃ。
しかし、司教の言葉が本当ならば……。
あたいは急いで祭壇に駆け上り、棺の中を覗いた。
「にゃ!?」
「驚いたか。最終譲渡は本来、実子に対して行うものだ。しかし今回は他人であり、なおかつ魔術師の家系でもないものを対象とした。ゆえに、成功とはいえるレベルだが、完全なる譲渡には至らなかったわけだ。そして、残った生命力がそれというわけだよ」
棺の中には、確かに生命を持った人間がいたにゃ。
しかし、あのお兄さんとは異なる姿だった。
「わぁ、ねこさんだぁ~」
棺の中で横たわる五歳くらいの男の子が、こちらに手を広げて言った。
あたいはその子をじっと見つめたにゃ。
やっぱり、よく似ている。
いや、当然か。
だって、この子はあのお兄さんなのだから。
「生き残ったとはいえ、もう残された時間は少なかろう。せっかくだ、二人きりで別れの会話でもするがいい」
そう言って司教は教会の隅に行くと壁に背をつけて目をつむる。
気を利かせたつもりなのだろう。
正直なところ、出ていってほしいところだが、あれでも司教なのにゃ。
厄介者を自由にさせておくわけにはいかないのだろうにゃ。
「ねこさん、ねこさんっ!」
「どうしたにゃ、坊や」
「あ、ねこさんも話せるんだね」
「使い魔だからにゃ。その様子だと、他の使い魔とも話したのにゃ?」
「うん。でもね、ねこさんが一番可愛いね。他のは、なんか怖いの」
「にゃはは。そうなのにゃ?」
本部に集まる魔術師たちの使い魔なのだろう。
それは確かに、恐ろしい姿のものが多いだろうにゃ。
「もっとこっちに来てよ。お話ししよう?」
「分かったにゃ」
あたいは棺の中に飛び込んだ。
すると坊やが手を伸ばして胸の方へ抱き寄せた。
「あはは、もふもふだぁ~」
「にゃうっ! ちょっとくすぐったいにゃ」
「えへへ~」
坊やはとても嬉しそうに笑った。
しかし、その笑みは少し無理をしているようにも見えたにゃ。
「坊やは、辛くないのにゃ?」
「僕? う~ん、ちょっと辛いかな?」
ちょっとどころではないのだろう。
あたいを包むその手は、すこし震えていた。
「やっぱりそうなのにゃ」
それを知ったところで、今更何かできるわけでもない。
「ねえ、ねこさん」
「どうしたにゃ?」
坊やは笑顔で聞いてきた。
「僕は、死んじゃうのかな?」
それは分かりきった質問だった。
小さな子供にその現実は重過ぎるとも思った。
でも、真っすぐにあたいを見つめる坊やの目は、すでにその重さを理解しているように感じたにゃ。
「そうにゃ、坊やはもうすぐ死ぬにゃ」
あたいは、正直に真実を告げることを選んだにゃ。
すると、坊やは予想外の返答をしてあたいを困らせた。
「ありがとう、ねこさん」
本当に困ったにゃ。
「にゃ? どうしてお礼を言われるのにゃ?」
「だって、ねこさんは本当のこと言うんだもん。すごく優しいんだもん。みんなね、嘘をつくんだ。眠って休んだら元気になるよって」
「そうなのにゃ?」
「眠ったら死んじゃうのにね」
坊やはあたいが答えるまでもなく、真実を知っていたにゃ。
「分かってたのにゃ?」
「うん。でも聞いてみたかったんだ。ねえ、ねこさん。もう一つ質問いい?」
「何でも聞くにゃ」
坊やはあたいを力のない手で撫でつけながら言った。
「ねこさんって、なんでこんなにもふもふなの?」
生き死にの話の後に来た質問は、拍子抜けするほど何気ないものだった。
そして、その答えをあたいは知らないにゃ。
「うぅ、なんでかにゃ? ごめん、それは分かんないにゃ」
「え~、そうなの? それは残念だな」
坊やはそう言うが、笑っていた。
そして、続けて話し出したにゃ。
「ねこさん知ってる? 死ぬのはね、やっぱり怖いんだ。でもね、よくは分かんないけど、僕が死ぬのには何か意味がある気がするんだ」
「そうにゃ、たくさんの人が助かるのにゃ」
「そうなの? だったら……嬉しいなぁ」
そう言って坊やは目をつむった。
「ねこさん、少しだけぎゅってして眠っていい?」
「構わないにゃ」
少し手を動かす坊や。
本人はぎゅっとしたつもりなのだろう。
しかし、ほとんどその力に変化はなかったにゃ。
「たくさんの人が助かるし、ねこさんももふもふだし。これだったら楽しく死ねそうだね」
「面白いこと言うのにゃ」
正直とても悲しいが、当の本人がこんな振る舞いをしているのにゃ。
泣き言は言えなかった。
「おやすみ、ねこさん。……ありがとう」
そう言って、坊やは眠った。
坊やの胸で、少しの間だけ吐息が聞こえたが、すぐに聞こえなくなったにゃ。
「こちらこそ、ありがとうにゃ。姿は変わっても、やっぱりあなたはすごい人間なのにゃ。そして、その意思はきっと少年が継いでくれるにゃ」
聞こえてはいないだろうが、あたいはそう言って棺の外に飛び出した。
「終わったか」
司教が言う。
そう、一つの命が終わりを告げた。
しかし、この男に簡素な言葉で要約されると無性に腹が立ったにゃ。
「司教」
「なんだその目は。私に敵意を向けても無意味だぞ」
「そんなこと分かってるにゃ。ただ一つお願いがあるにゃ」
「願いだと?」
「パパさんのことを忘れないでほしいにゃ。魔術師の視点から、パパさんのたどった道を理解しているのは他ならない司教だけにゃ。だから……」
「そのようなことか。しかし、良い。忘れようと思って忘れられるものでもなし。あの者は、魔術に対する考え方さえ違えねば、良き友となっただろうからな」
「約束にゃ。それじゃ、急ぐから失礼するにゃ」
しばし悲しみに浸りたい気分でもある。
でも、今は戻って主人を助けなければならないのにゃ。
「待て」
しかし、なぜか司教があたいを止める。
「何なのにゃ。急いでるのにゃ!」
「一つだけ問いたい」
あたいの発言を無視して司教は言う。
「なぜ、お前は力を隠しているのだ?」
「にゃ!?」
「お前はどう見ても普通の使い魔じゃない。他の者は気づいていないのかもしれないが、私の目には常に力を抑えているように見える」
「何のことにゃ!」
「いや、押さえているというよりかは、行使できないと言った方が正しいか? そもそもこの世界の存在ではないのだろう? さしずめ調律者といったところか」
「何が言いたいのにゃ!」
「まあ、そう怒るな。いや、お前ほどの存在なら高位の呪術すらも容易に解呪できるのではないかと思ってな。さすればあの者が死ぬこともなかっただろうに」
「憶測でものを言うんじゃないにゃ」
「憶測か。まあ、証明はできんからな。そう言われても仕方あるまいが。何せ、私は物事を純粋に見る才能があってな。見えないものも見えすぎる」
「それは厄介な才能をお持ちで。でも、そういうのは一人で頭の中でやってほしいにゃ。さらばにゃ!」
これ以上話していては時間の無駄にゃ。
それに知られてはいけないことを話してしまいそうな気がしたにゃ。
あたいは教会を出て、主人と少年のもとへ全力で疾走するのだった。




