第五話 裏切りは、正論の顔をしてやってくる
裏切りは、刃物みたいな顔をしていない。
怒鳴らない。
殴らない。
責めもしない。
ただ、正しいことを言う。
それだけだ。
その日の午後、
俺は自分の端末に届いた通知を見て、
一瞬、意味が分からなかった。
――業務権限の一部変更について
文書管理課・主任。
霧島悠真。
変更内容:
特定制度文書への直接修正権限の停止。
「……は?」
声が、思ったより低く出た。
間違いじゃない。
通知は正式なものだ。
電子署名も、決裁ログも、すべて揃っている。
俺は急いで詳細を開いた。
理由欄には、こう書かれていた。
組織全体の安定的運用を目的とした、
権限の一時的整理。
一時的。
整理。
どちらも、便利な言葉だ。
「……面倒くせぇな」
俺は椅子に深く腰掛けた。
処分じゃない。
降格でもない。
責任追及もない。
だからこそ、
きれいに切られている。
俺は立ち上がり、
課長席の前に立った。
「……どういうことですか」
課長は、目を合わせなかった。
いや、
合わせられなかった、が正しい。
「上からの判断だ」
「査察の結果ですか」
「……それも含めてな」
課長は、苦しそうに言った。
「霧島、お前は間違ってない」
その言葉で、
全部、分かった。
「でも、
お前のやり方は――」
「効率が良すぎる?」
課長は、黙った。
肯定だ。
「制度ってのはな」
課長は、机を見つめたまま続ける。
「“ゆっくり壊れる”前提で作られてる」
「……」
「急に正されると、
周りが耐えられない」
俺は、笑った。
「それで、
俺だけ切るんですか」
「切るんじゃない」
課長は、言い直す。
「守るんだ」
自分を。
部署を。
組織を。
つまり――
世界を。
「……了解です」
それ以上、言うことはなかった。
俺は自席に戻り、
端末を見た。
修正権限は、
本当に消えている。
グレーアウトしたボタンが、
やけに目立つ。
俺は、
初めて自覚した。
自分が、
“危険な存在”になっていたことを。
夕方、
星野から連絡が来た。
「……権限、止められた?」
「噂、早いな」
「内部は、全部繋がってる」
星野の声は、
怒っていなかった。
むしろ――
静かすぎた。
「誰がやったの」
「誰でもない」
俺は正直に言った。
「正論が、やった」
沈黙。
「……私のせい?」
「違う」
即答だった。
「俺のせいだ」
星野は、息を吸った。
「霧島」
「分かってる」
俺は、先に言った。
「これ以上、
内部からは動けない」
「じゃあ――」
「でも」
一拍。
「書類は、
俺の頭からは消えない」
星野が、
小さく笑った。
「……本当に、
効率悪い人」
「今さらだろ」
電話の向こうで、
星野が言った。
「じゃあ、
次は“外”ね」
その言葉が、
妙に重く響いた。
俺は、端末を閉じた。
組織は、
俺を守るために、
俺を排除した。
それは、
裏切りじゃない。
正しい選択だ。
だからこそ――
たちが悪い。
夜、
自宅で一人、
紙にペンを走らせる。
電子じゃない。
承認も、ログもない。
ただの紙。
だが、
書き方は知っている。
規則は、
まだ、そこにある。
俺は、呟いた。
「……面倒くせぇな」
それでも、
止まれなかった。




