第13話 宮将軍の末裔
綾と再会し、戦場を抜けたあと、結婚式を開いた。
世評のこともあるので、太郎と綾、そして左衛門尉や長秀、長野殿らの5人で密かにやることとなった。
細やかながらも、宴は盛り上がった。左衛門尉と出会った日のこと、清水寺での出来事、綾との馴れ初め、病んでいたときの事。太郎に関する様々なことが、他の人の口から語られた。
気恥ずかしくもあり、うれしくもある。細やかではあるが、暖かで幸せな時間が続いていった。
結婚してから2月ほどが経った頃、太郎の住まう屋敷にある男がやってきた。
男はボロボロの墨染めの衣を着て、太郎の住まう屋敷の門前をウロウロしている。
「あ、貴方はもしや!」
外出しようとしていた太郎は、墨染めの衣を着た法師の顔に見覚えがあった。その僧侶は、綾の養父である大内盛見その人であった。
目を見開いたまま、凍り付く盛見。
「もしかして、綾さんのことが気になるのですか?」
太郎は少しバツが悪そうな盛見に、笑顔で聞いた。
「べ、別に、目の前を通りかかっただけだからな。そんなわけじゃない」
「今家にいますから、呼んできましょうか?」
「今日は用事があるからいい」
「まあそう言わず」
太郎は盛見を家に入れ、招き入れようとしたときに、ちょうど綾が出てきた。
「あら、お父様でありませんか」
「おお、綾!」
満面の笑みを浮かべ、盛見は綾に近づいた。
「来ているなら言えばいいのに」
久しぶりの育ての父と会って、楽しそうな笑顔を浮かべる綾。
「ちゃんと食べているか? あの男に変なことをされていないか?」
盛見は心配していることをこれでもかと綾に聞いた。
「おかげさまで食べるのにも困っていませんし、変なこともされてません。幸せに過ごしてますよ」
「よかった!!」
安堵の吐息を漏らしたあと、盛見は鬼の形相になって太郎の方を向いて、
「綾を不幸にしたら、今度こそお前のことを殺すからな!!」
と太郎にそう言い残し、何度も振り返りながら走り去っていった。
守邦親王の形見である金造りの太刀を、太郎は帝に返した。
「いいのか、武士の魂を私に返して?」
太郎から差し出された太刀を見て、帝は聞いた。大事な祖父母や両親の形見。
「私にはこれはもう必要ございませぬ」
「そうか」
帝はそう言ってしばらく考えたあと、
「更級源朝臣義勝。そなたに改めて、従四位の位と右近の中将の職を与えよう」
と言った。
「そればかりは遠慮させていただきます。私は人から与えてもらってばかりの人生を歩んできました。最初は純粋に楽しいと感じていました。ですが、自分の力で生きられるようになってから、自分ばかり何かを貰ってなのはどうなのか? 与えてくれた人たちのために自分は何が出来るのか? と考えるようになっていたのです」
素直な気持ちを太郎は伝えた。
左衛門尉と出会ってから、誰かに何かを与えてもらってばかりいた。いつかはその恩に報いるべく、何かしらの形で返そう。そう思っていたけれど、なかなか機会が無くてできずにいる。そこに帝から位階と官職をもらうとなっては、とてつもない災いが後で起こるのではないかと少し恐ろしくなってしまう。
「君の思っていることはよくわかった。けれども、朕は受け取ってほしい。婚姻の祝いと思って。立場が大きくなれば、社会的な信用も大きくなる。社会的な信用が大きくなれば、小笠原家のいち家臣である今以上に、やれることも増えてくる。どうかな?」
遠慮がちな太郎に、帝は背中を押した。
「それならば……」
太郎は承諾した。
「ありがとう」
帝は自らの手で、太郎に従四位と右近衛中将に任じる宣旨を書き、渡した。
右近衛中将となった太郎は、勤勉にその勤めを果たした。だが、大将などに出世することは無かった。
周りの公家たちから、大将へ昇進しようとか思わないのか? と聞かれることも度々あった。その度に太郎は、
「これでもう十分。もう十分自分には与えてもらったから。だから、自分の命を今日この日まで繋いだ人たちに恩を返したい」
と答えていた。太郎の無私の心は、公家や一部の有力な武家の心をつかんでいった。
また、太郎には和歌の才と綾から教えてもらった教養や管弦の演奏ができたことから、公家たちの遊び相手としても非常に可愛がられた。当然、定家以来古今伝授を代々継承している冷泉家や二条良基を出した二条家との交流もあったので、彼の歌才を伸ばすのに一役買った。
武家の方では、長秀のように太郎をよく知る者たちからは好かれていた。が、彼の出自や官位ゆえ、義満を中心とする足利一門からは、腫れ物のごとく扱われていた。
中将を数年務めたあと、太郎は甲斐・信濃守の位をもらい、綾と一緒に信濃へ帰った。そして筑摩郡にある所領の村に小さな館を構え、そこで慎ましく暮らした。
築いた財産は村のために堤を築いたり、かつての自分と同じ境遇の人たちや病気の人を保護する施設を作ったりするのに使った。もちろん地頭時代と同じように、年貢も他の誰の領地よりも安くしている。
また、自身の大恩人である左衛門尉を政所に任じ、かつての恩に報いた。
「こんな国司様がいてくれるから、助かるねぇ」
「国司様のおかげで安心して畑を耕し、家族を養える」
国司と言えば庶民から搾取するばかりで、人のためになる何かをしてあげるというのは、歴史上類を見ないことであった。それゆえ、信濃や甲斐の領民たちからは、畏敬の念で見られていた。国司となった後も、よき為政者であり続けたのである。
太郎が中年から老人になりはじめた頃から、世の中は大きく動き始めた。
まず、関東で足利持氏が乱を起こした。同じ足利の血を引いていてかつ俗人であった自分ではなく、かつて天台座主であった義教に不満を持って起こした。
乱は鎮圧された。が、その後も関東管領の上杉家が分裂したり、下野の結城家が春王丸と安王丸を擁立して乱を起こしたり、鎌倉公方成氏が古河へ逃げたりと混沌とした状況が続いた。
また、中央でも、義教が赤松満祐に殺されたり、京都周辺の村落に住む住民が一揆を起こしたりなど、不穏な空気が漂っていた。
各地で起こる暗雲。それが爆発した。京都で応仁の乱が起きた。
応仁の乱で住むところを失った公家たちが、戦火を逃れるために地方にある領地へ逃げてきた。そんな公家たちも、太郎は快く受け入れた。
「中将殿がいてくれて助かる」
新村で安全な生活を保障してくれた公家たちは、満面の笑みでそう答えてくれた。
自分を必要としてくれる彼らに全力で応えるべく、太郎は退屈しないようにと連歌の会などを開いた。そこには、侍や僧侶だけでなく、農民や商人といった一般階層も参加していた。
公家たちは最初、彼らをバカにしていたが、いざ挑んでみると、まあすらりと返す。民間人だからダメという見方から、次第に忙しいながらもここまで歌道を極められるのは素晴らしい、と実力を認めるようになっていった。
公家と田舎の民間人。異なる世界の住人ではあるが、太郎の連歌の会では、その心は一つになっていた。
太郎は夫婦仲は良かったが、子宝には恵まれなかった。何人か息子や娘が生まれたこともあったが、みんな病気や戦乱で早逝してしまった。残ったのは娘一人であった。
彼ほどの身分の者となると、側室や妾も何人か娶れる。その側室や妾が男児を産めば解決できる。が、太郎は綾一人を一途に愛し続けたので、それをしなかった。
これでは太郎の家が途絶えるということで、左衛門尉の孫信光は、自身の子信興を婿養子として入れ、名跡を継がせた。
血は繋がっていないが、太郎夫妻は信興を我が子のように可愛がった。更科家の家督は、信興の子、そして孫へと受け継がれていった。太郎の男系子孫は残らなかったが、その娘の血を引く一族は残ったのである。
山城国一揆、加賀の一向一揆、明応の政変、伊勢宗瑞の伊豆奪取……。各地でこれでもかと言わんばかりに争いが起こり始めた。世の中が不穏な空気を纏いつつも平穏であった室町時代から、各地で争いの絶えない戦国時代へ大きく変わりつつあった。
信濃国も少し少しであるが、隣の武田家が攻めてきたりなど、時代の大きなうねりの中に巻き込まれつつある。
その頃には太郎は、100歳を超え、シワと白髪の目立つおじいちゃんとなっていた。
ある日堤で休憩をしているとき、信興の孫、太郎の曾孫にあたる信守は、曽祖父である太郎と散歩をしていた。そのとき、信守は、
「ひいおじい様、地頭様から聞いたのですが、昔は『ものぐさ太郎』と呼ばれてたのは本当ですか?」
と聞いた。
「『ものぐさ太郎』か。懐かしいなぁ……」
太郎は信守に、自身の若いころの話をした。かつて市の建物に勝手に住み着いていたこと。地頭様とあった日のこと。名主様に京へ下るよう言われたこと。連歌の会で見事な歌を詠んで宗方に褒められたこと。清水寺でナンパ活動をし、綾と出会ったこと。綾にいろんなことを教えてもらったこと。盛見と初めて出会って自分の出自が答えられず袋叩きにされたこと。高野山でいじめられたこと。立ち直ったこと。帝と謁見したこと。綾の父盛見と戦ったこと……。もう50年以上も前の話だが、つい最近のことのように感じる。
「みんな、いなくなってしまった……」
太郎は涙を流した。左衛門尉も、長秀も、義父の盛見も、この世にはもういない。昔の自分のことを知っているのは、もう誰もいない。
懐かしくて、涙が流れてしまった。自分だけが、現世に取り残された。もう若いときを知る者がいなくなった。
「ひいおじいさま、泣いては衣が濡れてしまいます」
信守は涙を流す曽祖父に手拭いを渡した。
「ありがとう」
自分だけが取り残された悲しみに涙する太郎は、信守から手拭いを受け取り、それで涙をぬぐった。
明応七年三月、太郎はこの世を去った。享年120歳。現代でも大往生である。
太郎の葬儀は、村を挙げて行われた。
更科家の家督は、信興の系統が続いた。信守の子や孫の代になると、更科家は没落していて、信濃国のいち国人勢力となっていた。太郎から数えて8代となる勝信の代になると、戦国の争いは各地に広がり、信濃もその渦中に巻き込まれた。そして甲斐の武田信玄から猛攻を受け、更科家は滅びた。
更科家が滅びてもなお、村人たちは密かにこの村の英雄である太郎の存在を語り継いだ。侵略者である武田の者たちに悟られないよう、太郎の話を事実とは異なる設定に変えたり、妻であった綾と共に地元の神社である穂高神社の神の一柱として祀ったりして。
時代の流れの中で、更科太郎義勝という一人の貴種であり、鎌倉幕府の皇族将軍の後裔であった男の存在は、歴史の彼方へ忘れ去られていった。が、その生き様や志は、形を変えながらも時代を越え、語り継がれている。
─終わり─




