傷心の令嬢は、恋心の自覚をしてしまう(1/2)
「クリスタ……綺麗だよ……」
城の中庭に設置されたカフェスペース。私の反対側に座っているエドウィン様は、スケッチブックの上にペンを走らせていた。
「どうして君はこんなに可憐なんだろうな。この感動を形にして残しておきたいけれど、とても絵なんかじゃ表現しきれない……」
大げさなセリフを聞きながら、私は紅茶のカップを傾ける。正直に言って、ちょっと恥ずかしい。
私たちが恋人になって一月以上が経った。その間、エドウィン様はずっとこんな調子だ。完全に浮かれてしまっている。
いかにも「幸せです」って顔のエドウィン様は、私を色々な場所へ連れ出すようになっていた。どうやらデートのつもりらしい。
前は人前に出るのに抵抗があった私だけど、今では何とも思わなくなってしまった。きっと、一番の恐怖の対象だった最低男にエドウィン様が鉄槌を下してくれたからだろう。
あれは私が前に進むために必要なことだった。そのお陰か、もう周りの好奇の目も怖くない。どこへデートに連れて行かれたってへっちゃらだ。
と言っても、エドウィン様が選ぶのは帝都の近くにある日帰りできるところばかりだった。どこか遠くの人目につかない場所で私と密な時を過ごそうという発想は彼にはないらしい。
あの抱擁以来、恋人らしい触れ合いも特にしていないし、エドウィン様がどれだけ純朴なのか思い知らされたような気分だった。それとも、単に世間知らずなだけなのか。
「そんなところにホクロがあったのか。毎日発見の連続だ。面白いなぁ……」
エドウィン様は一人で呟きながら熱心にスケッチブックと向き合っていた。
私を眺めるのと手を動かすの、両立させるのは難しいのか、絵の方が若干おざなりになってしまっている。私の髪、そんなにうねってないわよ?
「エドウィン様は絵を描くのがお好きなんですか?」
すっかり冷たくなっている彼のカップの中身を見ながら尋ねた。
「随分と色々な道具を持っているみたいですけど」
テーブルの上にはエドウィン様が持参してきた大きな文具箱が置いてある。その中には、何本もの鉛筆や絵筆や綺麗な色紙、その他にもハサミやルーペなんかの創作活動に使えそうな道具が色々と入っていた。
「いや、これは俺のじゃなくて借り物だ。クリスタの絵を描きたかったけど、ちょうどいい道具を持っていなくて……」
よく見ると、箱にも文具にも貝殻のマークの中に「M」という字が書かれていた。多分、持ち主のイニシャルだろう。
……あれ? これと同じようなのをどこかで見たような……。
「そうだ、絵を描くのに夢中ですっかり忘れていた」
エドウィン様がハッとしたような声を出したので、私は考え事を中断した。
「母上から君に伝言を預かっている。『あなたが息子と仲良くしてくれるなんて夢のようだ』と仰っていたぞ」
「それは……恐れ多いですね」
エドウィン様は恋人ができたら親に報告するタイプなのね。私だったら絶対に黙っておくけど。皇太后陛下の公認の仲だなんて、何だか緊張してしまう。
「そう言えば、私とエドウィン様の境遇って逆なんですね」
ふと思い当たってそんなことを口にした。
「二人とも片親だけど、私にはお父様がいて、エドウィン様にはお母様がいる。皇太后陛下は子どもの恋愛には寛容だけど、私のお父様は厳しいですから」
最低男の時もそうだったけど、エドウィン様の恋人になったことも私はお父様に言う気はない。まあ、エドウィン様がこんなデレデレじゃ、あっという間にバレそうな気もするけど……。
「母上が俺に甘くなるのは仕方ない。生まれてすぐに引き離された息子とようやく会えたんだから。周りも、俺の振る舞いに関して特にうるさいことは言ってこないしな」
同情ということなんだろうか。本来なら皇位継承権第一位であったはずの皇子。けれど、病のために長い間後継者に任命されず、離宮暮らしを余儀なくされてきた。皆が気を使うのも無理はない。
「皇太后陛下が離宮へお見舞いにいらしたことは?」
「ない。父が許可しなかったらしい」
病気がうつったら困るからってこと? だけど、エドウィン様の病気って……。
繊細な話題につい触れてしまいそうになり、私は慌ててお茶請けを口に入れて言葉を飲み込む。
私はかつて、「エドウィン様は実は病気じゃなかったかもしれない」という想像をしたことがあった。
でも、それは推測でしかない。それに本当だったとしても、私が知っていていいことなのかどうかは分からないから、黙っておく方が賢明だ。
私は急いで話題を変えた。
「先帝陛下がもしご存命でしたら、エドウィン様が帝都に帰ってきたことを喜ばれたでしょうね」
「どうかな」
エドウィン様の気に入りそうな話を選んだつもりだった。だから、返ってきた無感動な声に驚いてしまう。
「父は叔父上に自分の後を継がせることにした。だから俺がいなくたって別に問題はなかったと思うが」
「そんなことありませんよ」
どうしてエドウィン様がそんな言い方をするのか分からず、私は困惑する。
「知らないんですか? エドウィン様は、先帝陛下が六十歳を超えてやっと授かった初めての子どもなんですよ? 可愛がるに決まってるじゃないですか」
「そうか? でも、俺は父のせいで離宮送りになる病気に罹ったようなものだ。それに病が癒えたのだって、父がいなくなったからだしな」
「え……」
「なあ、クリスタ。俺は別に皇太子として認められなくてもよかったんだ。いつか見切りをつけられて離宮から追い出されるのも覚悟していた。その時は傭兵にでもなって生きていくつもりだった。城の使用人に退役した元兵士がいてな。彼から武術を教わっていたんだ」
武術? エドウィン様が体を鍛えているように見えたのはそのせい? 身を立てるための準備をしていたってこと? でも、皇族が傭兵だなんて……。
やっぱり何かがおかしい。エドウィン様には秘密がある。多分、うかつに漏らしちゃいけないようなタイプの。
エドウィン様は、自分がずっと口を滑らしっぱなしだと気付いていないんだろうか。世情に疎いというのは本当に厄介だ。




