傷心の令嬢は、恋心の自覚をしてしまう(2/2)
「エドウィン様はそういう荒々しいことよりも、絵を描いている方が似合いますよ」
私は細心の注意を払ってこの話題を終了させる。これ以上余計なことを知ったら、取り返しがつかなくなるような気がしていた。
「ほら、早く完成させてください。『美しい女の肖像画』でしたっけ?」
普段だったら絶対に言わないような冗談も交えてみた。その甲斐あって、眉間にシワが寄っていたエドウィン様の表情が緩む。
「そうだな。芸術鑑賞は楽しいからな」
エドウィン様の視線がスケッチブックに落ちる。私は肩の力を抜いた。
「それにしても……『美しい女の肖像画』か。はは……。……クリスタ、もし君が絵を描くとしたら誰をモデルにしたい? タイトルを『美しい男の肖像画』にする前提で」
「美しい男? 宮内大臣のロナルト様ですね」
何のためらいもなく言った。途端にドゴンッと音がして、エドウィン様が盛大にテーブルに額を打ちつける。
「クリスタぁ……。そこは嘘でも俺の名前を出すところだぞぉ……」
「……あっ、すみません」
どうやらエドウィン様は恋人っぽいやり取りを望んでいたらしい。
それなのに私は、うっかりと真っ先に思い浮かんだ人のことを口にしてしまったんだ。どっちが世間知らずなのか分かったものじゃない。
「まったく……。よりにもよって反論の余地もない相手を出してきて……。……あの人たらしめ。君は年上が好きなのか?」
エドウィン様の声には少々の嫉妬が感じられる。彼の悪いところだ。私が好意的に感じている人を皆ライバル視するんだから。
「そんなことはありませんよ。それにエドウィン様が妬く必要はないでしょう。ロナルト様は既婚者なんで……ああ、第一子の出産の際に奥さんを亡くされて以来、独身なんでしたっけ」
最低男から聞いた情報だ。でも、エドウィン様が眉を吊り上げたのを見て、言わなかったらよかったと後悔する。
「大臣に言い寄られても無視するんだぞ、クリスタ。あの人は君をつけ狙っているようだからな」
エドウィン様が警戒心たっぷりに言った。
「実は昨日、見てしまったんだ。大臣の懐中時計の蓋の裏側に、君の肖像画がはめ込まれているのを」
「そんなバカな。見間違いでしょう」
「いいや、そんなわけない。栗色の何かの絵が見えた。今思い返せば……あれはクリスタの髪と同じ色だった! つまり、あそこにあったのは君の絵だ! 大臣は実はクリスタに夢中になっているに違いない!」
ダメだわ。エドウィン様、すっかり妄想に取り憑かれちゃってる。ロナルト様が私の肖像画なんか持ってるはずないのに。
その時、私の頭に閃くものがあった。文具箱に描かれていた貝のマーク。ロナルト様の懐中時計にも、これと同じチャームがついていたはずだ。
ということは、この文具箱はロナルト様に借りたってことなんだろう。二人は仲がいいみたいだ。
それなのに私の迂闊な一言のせいで関係にヒビが入ったりしたらたまらない。どうしよう……。「ロナルト様って、よく見るとイマイチですよね」とか言ってみる?
……いや、それは白々しすぎるか。あの人が「イマイチ」なら、美しいものなんかこの世からなくなってしまう。
どうするべきか少し迷った末、ロナルト様個人のことではなく、宮内大臣としての彼の顔を強調する方向で行こうと結論付けた。
「ロナルト様のこと、クビになるように仕向けないでくださいね?」
「しない。というよりもできない。あの人がいなくなったら、次は最低男が後釜に座るんだぞ? それは嫌だ」
エドウィン様はブスッとしている。
「大臣が好感を持てる奴だというのは認める。でも、クリスタはやらないからな」
エドウィン様にしては珍しいほどの譲歩だ。確かにロナルト様はいい人だけど。最低男が「クソ親父」と呼んでいた理由が未だによく分からない。
「……クリスタ、手を握ってもいいか?」
恋人の気持ちが余所に移ってしまう危険性に気付いたように、エドウィン様がそんなことを言い出した。それで気が済むならと、私は黙ってテーブルの上に手を置く。
エドウィン様の手が私の手の甲を包み込む。大きくて硬くて、しっかりとした感触だ。マメもできているみたい。武器を握った跡かしら? エドウィン様、本当に傭兵になろうとしていたんだ……。
もしその未来が現実のものとなっていたら、エドウィン様と私はきっと出会うことはなかっただろう。そうならなくてよかったと心から安堵する。
「……クリスタ」
エドウィン様が私の手を持ち上げ、身を乗り出した。彼の唇が私の指先に触れる。
その瞬間、背筋に電流が走ったような感覚がした。
心の奥に厳重にしまいこむことに決めていた何かが溢れてくる。体温が上がってきて、体がじっとりと汗ばんだ。
いけない。
頭の片隅で警告音が発せられるのを聞いた。ダメだ。いけない。気付いてはいけない。
私が本当はエドウィン様をどう思っているのかなんて、絶対に知ってはいけない。
分からないふりをするんだ。分からないふりを……。
なのに、エドウィン様が私の気持ちを代弁してしまった。
「好きだよ」
私もです。
もう少しでそう返事をするところだった。緊張で喉が締め付けられていなかったら、実際に口にしていたかもしれない。
自分が嫌になる。あの日、恋はしないと誓ったはず。それなのに半年も経つ頃にはもう誓いを破り、誰かを好きになっていたなんて。
こんなことがあっていいわけがない。でも、これは事実だ。
私はエドウィン様が好き。いつの間にか彼に恋をしていたんだ。




