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波乱のあとでⅠ

♢♢♢♢♢♢



 東の宮を辞した馬車の中。


 流れる景色をぼんやりと目の端に見ながら、考えるのはレイ様の事。

 ひとしきり泣いてしばらくたった頃、思い立ったが吉日とばかりに「西の宮に先触れを出してあげるわよ」と言ってくださいました。

 さすがにこれには慌てふためき、急すぎる対応に気持ちがついて行けず辞退することに。


 泣きすぎたせいで目が赤いし、腫れぼったい気がして、とてもではないけれど、お会いできる状態ではないでしょう。

「目を冷やして、少し休めば大丈夫よ」ともおっしゃったアンジェラ様の張り切りように、若干むずがゆさを覚えてしまいました。


『そうよね。善は急げというけれど、急がば回れという諺もあるわね。あちらの準備もあるでしょうし、一生に一度の事ですものね。最高のコンディションと最高のシチュエーションがベストよね。フローラちゃん、来週会えるように連絡をしておくから頑張って。体調も整えておくのよ』


 私の両手を握りしめて激励してくださるアンジェラ様。

 張り切りすぎではと思ったものの、そんなことを面と向かって言えるはずもなくて、喉まで出かかったそれを飲み込みました。


 私のために心を砕いてお世話してくださる優しいアンジェラ様。


 ところで、どうしましょう。

 来週はレイ様とお会いするとか……

 会ってくださるかしら? 目的が目的だけに今から胸がドキドキしてきます。 

 


『レイニーを信じなさい』


『二人が想い合う気持ちが大事よ。自分の気持ちを大事にしてね』


『後悔しないように』


 ディアナとアンジェラ様の言葉がぐるぐると心の中を駆け巡っていきました。

 夢を見るかの如く、近く訪れるだろう日に思いを馳せていると、馬のいななきが聞こえて、馬車が大きく揺れました。

 急ブレーキをかけた馬車が止まり、とっさに手摺を掴んで床底に投げ出されたのを防ぎました。


「どうしたのかしら?」


 まだ、街中。邸まではもう少し時間がかかります。いきなり止まってしまったことを不思議に思っていると、


「お嬢様。申し訳ございません」


 御者のヨハンの声がして、ドアが開きました。


「どうしたの?」


「リンゴを積んだ荷車が荷崩れを起こしまして、道路に転がっているようで、拾い終えるまで今しばらくお待ちいただけますか?」


「ええ。大丈夫よ。それにしても大変ね。私も手伝おうかしら」


「いえ、いえ。お嬢様にそんなことはさせられません。ワシも手伝いますんで、お嬢様はここでお待ちください」


 恐縮するヨハンにかえって足手まといになるかもと思って諦めました。人手は多い方がいいでしょうから、名案だと思ったのですけれど、残念です。


 窓から外を覗くとリンゴを拾っている姿が目に入りました。道路いっぱいに広がったリンゴたち。二人の護衛騎士も馬から下りて手伝いを始めたようです。


 投げ出されたリンゴは傷んでいるのではないかしら? 廃棄されそうならこちらで買い取ってもいいかもしれないわ。加工用に回せば使い道はあるものね。

 馬車の中でのんびりとそんなことを考えている時でした。


「うわっ、何をするんだ」


 護衛騎士の声が聞こえて、彼らめがけてリンゴを投げつける農民。


「おい、何を考えているんだ」


 身を守るように手で顔を庇っている騎士たちに容赦なくリンゴを投げつけていました。

 相手は農民です。剣を抜くことも憚られるのでしょう。無残にも石畳の道路にたたきつけられたリンゴはつぶれて果汁がどこそこに飛び散っています。一人の騎士が馬に乗り駆けていきました。

 なぜこんなことをするのか。目の前で起こっている惨事に体が強張って頭が働きません。


 何が起きたのか理解する間もなくバンッと乱暴に馬車のドアが開け放たれました。


 驚いて音がした方に顔を向けると見たこともない男が、馬車の中に入ってくるところでした。


「どなたですか?」


 かろうじて声を出すことが出来ました。

 ぼさぼさとした髪に無精ひげ、浅黒い肌、服は所々擦り切れていていました。見るからに真っ当な風貌には見えません。


「やっぱ、貴族のお姫様は違うねえ。身なりもいいが、いい匂いがするぜ」


 へへへっ。下品に笑う男は血走った眼で私を舐めるように見回して品定めをしているように見えました。


「い、いや」


 少しでも離れようとシートの隅に身を寄せます。自分の身を守るように腕を抱きしめました。その間にも男は私へとにじり寄り荒んで濁った目が私を視界に捉えると私の顎を掴むと上向かせ、分厚い唇をゆがませて口の端を上げました。


「誘拐するだけじゃあ、もったいねえな。すべすべの白い肌に清純で可愛らしい顔。体つきもまあまあよさそうだしな」


 下品な笑いといやらしい目つきで眺めまわした男は、私の身体を捕まえると外へと引きずり出そうとしました。


「た、たす……」


 声を出そうとした時、口を手で塞がれてしまい言葉になりませんでした。何とか連れ去られまいともがきますが、ズルズルとシートの上を滑るばかり。


「お頭、早くしねえと警備隊が来ますぜ。早く、ずらかりましょう」


「わかっている。みんな急ぐぞ」


 剣がぶつかる音も聞こえてきます。その間にとうとう馬車から引きずり出されてしまいました。男の腕から逃れようと動きますが男の身体はびくともしません。足をバタバタさせた拍子にヒールが石畳の溝にはまってしまって、抜けなくなりました。どうにかして靴を取ろうと捩っているとぐきっと足首に痛みが奔りました。


「やべ、警備隊が来ましたぜ。おい、ずらかるぞ。急げ」


「悪く思うなよ。お嬢ちゃん」


 目の端に幌馬車が映りました。仲間だと思われる男達が乗り込んで、私を捕まえたお頭と呼ばれた男を待っているようでした。


 ジタバタと足を動かしようにもすごい力で押さえつけられて動きが取れず。


「大人しくしな。そうすりゃ、無傷のまま匿ってやるからよ。なんせ、大切な金づるだからな」


 酷薄に顔を歪めた男にゾゾッと寒気が襲い硬直して頭が真っ白になりました。

 このまま連れ去られる。待っているのは生か死か。命があったとしても、これから先、まともな人生など送れないであろう恐怖に戦慄して、走馬灯のように頭に浮かんできたのはレイ様の顔。レイ様の熱い眼差し。レイ様。


 助けて。


 抗うことも出来ない無力な自分に絶望しかけていた時に

 

「フローラ様に触んじゃねー。手を離しやがれ。汚らわしい。この外道がー」


 天を劈く怒声が聞こえたと同時に


「グ、グエッ」


 男の呻き声がしました。

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