第十話 絵空事
戦闘が開始された。
それは他人行儀な言葉かもしれないけれど、戦闘に直接関係ない兵士からしてみればたったそんな程度の言葉になってしまう。
「……平和な世界だよな」
テレビ画面から戦争の映像を見つめながら、俺はそう呟いた。
「そう? 私は、そうは思わないけれどな」
答えたのは、俺の向かいに座っていたアンナだった。アンナに限った話では無いが、戦闘に直接関係の無い兵士は基本的に待機となる。勝手にどこかに出て行って怪我をしてしまう危険性があるためだ。一応、基本的な戦闘は出来るようになっているとはいえ、ネフィリム同士の戦争が広まりつつある今では、人間の兵士など戦場には必要ない。寧ろ今は周囲の環境を整えることと、ネフィリムの保全のために人間が必要になっている状態だ。
そしてそういった兵士はネフィリムの戦闘中は必要ない。言い方は良くないのかもしれないが、一言で言ってしまえばその言葉に収まる。
テレビ画面の向こうでは、ブランが攻撃を開始していた。
胸部装甲を観音開きした形で、そこからたくさんのレーザーを撃ち出している。
相手のネフィリムにはそこそこのダメージが与えられているようで、ネフィリムからは煙が出ていた。
戦闘に関係ない兵士が、戦闘中も飽きないために戦場の様子がリアルタイムでモニタリングすることが出来る。それもまた、戦場に簡易アンテナを張り巡らせていることが原因だ。もともと戦場での通信を行うために『通信に国境無し』という名前の組織が配置していった。因みに保全もその組織が行っているため、実は兵士の次に死亡率が高い職種だといわれている。
しかしながら、『通信に国境無し』といえど保全に出向くことの出来ないエリアだって存在する。確かに目的としては戦場での安定した通信を実現するためではあるが、それ以前に人員の生命を保護する必要もある。
結果的に戦場の中でも激化している戦争中の戦場については保全範囲の例外とする条約が各国の間で結ばれており、その間は各国情報部の兵士が保全活動を実施することとなっている。
「今じゃ、世界のどこからでも月額課金さえすれば戦場の映像が見られるんだっけ? それを考えると、戦争ってほんとうにエンターテインメントたる時代に成り下がってしまったのよね。ということは、戦場に居る兵士は芸能人ということになるのかしら?」
「……そうなるのだろうな」
コーヒーカップを持ち、俺はコーヒーを一口啜った。
愚痴になるが、戦場のコーヒーは非常に不味い。理由は単純明快、水が不味いからだ。コーヒー豆は首都でも販売されている一般的なものだが、水は戦場で現地調達しているためか、美味しいものではない。浄水機能のついた蛇口でもあれば良いのだが、それは数が限られていて、しかも大尉以上の兵士しか使うことを許されない。立派な格差ではあるが、これを無くそうとは誰も思わない。
兵士の観点から見れば、戦争で死なないだけで問題ない――そういった考えなのだろう。そしてそれは俺も考えていた。
しかしながら、普通に考えてみれば休息中のコーヒーが不味いというのは気持ちが落ち着かないといっても些か間違いでは無いだろう。
一流のコーヒーを提供してほしい、とまでは言わないが、せめて水が美味しければ良いのだが――そう考えている兵士は少なくない。
「……しっかしまあ、あんたはほんとうにコーヒーが好きよね。戦場でもコーヒーを飲まなくても良いと思うけれど?」
アンナが茶々を入れてきたので、俺はコーヒーカップを机上に置いた。
「別に良いだろ。確かに戦場のコーヒーは美味しくないけれどさ、コーヒーを飲まないと落ち着かないんだよ」
「それって立派なカフェイン中毒よね」
アンナが軽口を叩きながら、マグカップを傾ける。
「……ってか、お前の飲んでいる飲み物は何だよ? ここに来て、自分もコーヒーを飲んでいます、なんて言わないだろうな?」
「そんなわけないじゃない。私が飲んでいるのは、アイスミルク。牛乳は新鮮なものを常に持ってきているから美味しいのよ。……ま、物流網が断たれたらいち早く飲めなくなるものではあるけれど、別にあんたみたく中毒でも無いしね」
「別に俺はカフェイン中毒になっているつもりはないぞ」
「自覚が無い時点で立派な中毒よ。それって」
ズドン、という音がテレビの向こうから聞こえてきた。
視線を移すと、テレビの画面にはブランがちょうど敵のネフィリムを倒した様子が映し出されていた。
「……あら、案外早かったわね。一時間かからないくらい? 最速記録とまではいかなかったけれど、それでも十分早いほうよね」
マグカップに残っていたアイスミルクを飲み干して、アンナはマグカップを机上に置いた。
ネフィリム同士の戦争に変化してから、一回の戦闘時間が大きく減少した。
かつては一日まるまる戦闘に費やしていた時代があったが、今では長くて数時間程度に収まっている。今みたいに一時間かからないくらいで終わってしまうこともざらにある。その後は何をするか、って? 簡単なことだ。戦闘の事後処理と今後の対策を練る。それも終わったら後は硝煙の香りと煙だらけの楽しいバカンスの始まりだ。