第333話 アレジーン
あとがきに新刊のお知らせがあります。
アレジーンという城塞都市は、まあ確かに偏執病の気を感じるような都市だった。
上空から見ると、小さな市街地を場違いなほどに分厚い城壁が囲っている。どう見ても釣り合いが取れていないせいで、適度という枠を大幅に逸脱した過剰さを感じさせた。本来は荘厳さや華麗さを感じるはずの城壁からは、むしろそれを計画した者が抱いていた恐怖が伝わってくる。
城壁は背にした山を半分抱き込んでいて、建築コストの高いそちらの部分は、さすがに薄くなっている。しかし、そもそも攻城兵器を急峻な山の斜面で使うことは極めて難しい。現実的にはハシゴをかけて登るくらいしか対策がない箇所を、わざわざ鎧う城壁としては、やはり過剰な厚みであった。
アルフレッドの軍は既にアレジーンに入市し、備蓄の食料を食いつぶす非戦闘員――つまり市民を当然のように追い出し、中に居座っている。
城壁が厚いことは、破壊が難しいこと以外にも厄介な点がある。厚ければ、守備兵が立って防衛戦を繰り広げる城壁上の通路が物理的に広くなる。つまり、多数の兵を配置することができるわけだ。ハシゴや攻城塔で城壁を乗り越えたとき、敵兵が十人いるか、百人ひしめいているかでは、話が全然違ってくる。
そして、現在そこには大勢の兵がいた。そりゃそうだ。元々、こちらと野戦で伍するほどの数が籠もっているのだ。守備兵の数に不足があろうはずもない。
加えて言えば、こちらは強行軍で砲の用意はないし、兵糧攻めや坑道戦のような時間のかかる戦術をする猶予もない。そんなことをしているうちに、援軍は到着してしまうだろう。
さて、どうしようか。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「空から見てみたが、妙案は浮かばなかった」
定例軍議の場で俺は言った。
ここに来るまでの間でも色々考えてきたが、やはり攻城戦は野戦とはまるで違う性質を帯びている。
歴史上の戦いでは、城壁と同じ高さのハシゴを五千本用意し、一斉に登り上がって攻略した戦いもあれば、坑道を百メートル以上掘って城壁下に空洞を作り、支持柱を燃やすことで城壁ごと崩落させた戦いもある。
古代の戦いでは、木が一本も生えていない急峻な台地の上にある要塞を攻略するために、台地そのものに攻城塔が登れるスロープを建設した大掛かりな戦いもあった。その高低差は四百メートルにも及び、自然ではありえない人の手で作られた異様な景色は、現地では観光名所になっているという。
様々な創意工夫、既存技術の転用、工兵の努力。将が用兵を以て争う野戦と違って、攻城戦はそういった異質な要素が大いに活躍する。
そして、そのどれについても、アレジーンはそれなりの対策をしているように思えた。
「攻城戦の手管については、アンジェ殿のほうが詳しそうだが」
「私は……もし、この城塞を犠牲少なく短時間で陥落させるなら、心理戦が有効と思う」
アンジェは意を決したように言った。
「心理戦……?」
軍議に参加している諸侯が、疑念のつぶやきを口にした。
心理戦。なにかしらの手段で内部の人間と通じ、甘言を弄し、あるいは報酬を約束して裏切らせる。攻城戦では昔ながらの常套手段だ。
城は長く籠もれば籠もるほど、攻め手の憎悪の対象となる。散々自分を手間取らせた相手に、紳士的な態度を取る指揮官は少ない。開城すれば殺される状況で、こっそりと門を開ければお前だけは厚遇してやると囁かれ、転ぶ人間が現れるのは当然のことである。
ただし、シャン人にとっては耳馴染みのない戦法でもあった。侵略してくるクラ人に対しては交渉の余地がなく、徹底抗戦しか選択肢がなかったからだ。
「誰か、寝返りそうな奴に心当たりがあるのか?」
「いいえ。そうではなく、洪水の件で叛乱を促す」
「そんなの、しらばっくれるだけだろう。あれは事実起きたことだが、城壁越しに証拠をつきつける手段はない」
実際に見せてやれば納得もするだろうし、ドン引きしたあと激怒もするだろうが、それを実現する方法がない。
「私もそう思います」ディミトリが言った。「それは我が軍に、ユーリ閣下がシビャクの市民を唐突に虐殺した、と空言を広めるようなものでしょう。証拠がなければ兵は信じず、ただの怪情報で終わるはず。それで軍が瓦解するとは……」
「いいえ、兄は否定しないと思う」
アンジェは言った。
「おそらく兄は、あれを非難に値する行為だとは考えていない。もし、自分で自分の首を絞める、不利を招く行為であると認識していたなら、あれは実行しなかったはずだ」
「それは……まあ、うーむ」
ディミトリは唸った。よくわからないのだろう。ディミトリは真っ直ぐな人間だ。曲がったり歪んだりしている軍師のような人間よりも、愚直な武人のような人柄を好む。異常者の心理を理解できる精神性はない。
「可能性はあるかもな。俺はアルフレッドをろくに知らないが、なにもかもが破滅的な、損得勘定もできない人間であったら、アンジェ殿がここまで手を焼くこともなかっただろう。今だって、無策でこちらと野戦を繰り広げるのではなく、一応は戦略を立ててこうやって籠もっている。行動に知略がないわけじゃない。問題意識の焦点が狂っているだけでな。歯止めが効かなかったのは、その問題意識がズレていたからかもしれん」
「そう。兄は残忍なだけが取り柄の人間ではない。だが、その性から、正常な人間の心理を理解できない。私は、そこにつけ込む隙があると見た」
アルフレッドが狂人でも、兵まで全員が狂人なんてことはありえない。両者の間には、かならず意識の乖離がある。そこを明確にして、乖離の部分に楔を打ち込み、破断させようという狙いだろう。
しかし悲しいかな、そういった策謀は得てして成功率が低いのが現実だ。
「しかし、王の他にも人はいるでしょう」ディミトリが言う。「我々の場合であれば、仮にユーリ閣下が……仮にですよ、突如として狂を発したとしても、ミャロ殿のような知恵者がすぐさま動きだし、発狂を隠そうとするはずです。アルフレッドには、そういった存在はいないのですか」
「いる。ラインハルト・ディヴァーという男だ。ディヴァー家はアルフレッドの帝領伯で……あー、この戦争中に父が死んでから、正式に授爵されたのだったか、その辺りは分からないが、とにかく戦争以外の役割は一手に引き受けている」
帝領伯というのは、選帝選挙で先王の遺志の表明者として一票を持つ、王の代理人みたいな存在だ。言うまでもなく、最も信頼の置ける忠臣が任じられてきた。世襲ではないので家柄は関係なく、同じ乳母の乳を飲んで育った乳兄弟であるとか、そういった人物が任じられることが多かったようだ。
だが、今では選帝選挙という仕組み自体が崩壊している。これから戦況がどう転んだとしても、復活することはありそうにない。なので、帝領伯という爵位自体、選帝選挙もろとも役割を終えたポストであるともいえた。
「ラインハルトはアルフレッドの狂気を包み隠すのが上手い。当人や部下がなにか凶行を行うと、もっともらしい理由を取って付けて、対外的に説明しようとする。もちろん誰もが納得するわけではないが、説明があるのとないのとでは大違いだ」
アンジェは憎々しげに言った。そういった言葉遊び、取り繕いが上手い人間なのだろう。いや、主人のやらかしが多すぎて、悲しいかな上手くなってしまったのか。
「そいつが常識人として向こうを支えているわけか」
「忌々しいことにな。ラインハルト自身は凡人だが、向こうでは貴重な人材だ。内政面での支えというのかな。いっそ、常識面での柱といってもいいかもしれない。向こうでなにかが起こって不満が高まると、まず最初にラインハルトに苦情が行く。やつは親身になって話を聞き、身を挺して主君を諌めることを約束する。実際に諌めもするが、それで兄が正気に戻ることはない。それでも王まで苦情が伝わったとなれば、それで一定の溜飲は下がる。少なくとも、何もしないのと比べれば雲泥の差がある」
それは確かにそうだろう。人間にはそういうバイアスが備わっている。こっちではその辺はミャロが大得意な分野だが、適切な理屈をポンと放り投げてやると、人々はそれを吸い込んで納得しようとする。
「なら、そいつを不在にしたら面白そうだな」
俺がそう言うと、
「殺すのか?」
と、アンジェは言った。その視線からは、倫理を問うというよりも、暗殺できるのか? その手段があるのか? という疑念が感じられた。
無論のこと、そんな手段はなかった。寝ている場所を空襲できれば話は違うが、顔も知らない相手の寝床を特定する情報網なんて持っていないし、おそらくは城のほうで寝ているだろう。
「殺す方法はない。だが、もっとも必要とされる肝心要の時に動けないようにしておけば、死んでいるのと同じことだ。ちょっと用意が必要だな」
久々の悪巧みに、頭が回転しはじめる。詐欺の計画を練る詐欺師とは、こういう気分なのだろうか。
「どういうことだ?」
わけのわかっていないアンジェが、声をあげた。
「アンジェ、お前、長話は得意か?」
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