第330話 叱責
空が白みがかった早朝、俺は移動中の本隊を探し当てて降下していった。
起床の号令がかかったばかりの寝起きの軍は、のっそりと今日の活動を始めようとしている。総本部となるディミトリの本陣に降下していった。
白暮を預け、顔パスで本陣に入ってみると、酷いしかめっつらでモシャモシャと朝食を口にしているディミトリがいた。
俺の顔を認めると、まずは突然俺が現れたことに驚き、そして頬を見て訝しげな表情をした。
「閣下、その顔は一体……?」
「あの女に引っ叩かれた」
今や触れたくないくらい腫れている。普通に怪我だ。これが終わったら軍医のところに行かないと。
「一体それは、どういう経緯で?」
「モノにしてやろうとベッドに押し倒したら、このザマだ。同盟は決裂した。軍は引き返せ」
「……閣下」
ディミトリは落ち着いた様子で、ハンカチを取り出すと口を拭った。
「諸君、席を外してくれ」
「ハッ!」
近習や警護の者たちが、返事をするやいなや迅速に天幕から出ていった。
教育が行き届いている。
「で、どういうことですか」
「どういうこともなにも、さっき言ったとおりだ」
「……信じかねますな」
なんでだよ。珍しいな。
「閣下が、女性とあらば手当たり次第に手を出すような漁色家なら、我々ホウ家の郎党は跡継ぎの心配などせずに済みました。シャム様どころか、家人にも部下にも社員にも、一度たりともお手を付けることのなかった閣下が、よりにもよって昨日今日会ったばかりのクラ人女を手籠めにしようとしたと? 到底、信じかねますな」
あー、まあ……そりゃそうなるか。
ディミトリはアレの容姿を知らないしな。
「事情が変わってな。このまんま行くと大変なことになることが分かった。引き返す理由が必要だ」
「我々まで騙す必要が?」
「理由なしに撤退してる、ってのが一番まずい。醜聞だから大っぴらに言いふらす必要はないが、一応の理由はないと変だろ」
「はあ……」
ディミトリはため息を吐いた。
「分かりました。とにかく、今朝の号令で急ぎ退却を伝えましょう」
「そうしてくれ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
偽装を徹底するため、アンジェのところに貸していた鷲は、即日すべて引き上げた。そのため、アルフレッド軍の侵攻はアンジェ側で狼煙を上げ、陣営を見張っているこちらの偵察が報告することになっていた。
三日後、俺は軍主力と移動しながら、今か今かと連絡を待っていた。アルフレッド側も、そろそろ援軍引き上げの情報を得ているだろうし、なにか動きを見せてもいい頃だ。
「前に言っておいたルートから、なにか連絡は?」
朝一でそう尋ねると、ミャロのところから来ている参謀の女の子は「ありません」と答えた。
その声色には、なにか冷たいものが混じっていた。おかしい。例えるなら、出されたお茶をいつも通り温かいものと思って口にしたら、氷の入った冷たい水だった。みたいな感じだ。
「今日の分の報告と、お手紙です」
女の子は、こちらと目を合わせようともせず、書類の束の入った黒いケースをテーブルに置いた。
「あー、っと。もしかして何か聞いたか?」
「……私、男性を信じられなくなりました」
こちらと目を合わせず、黒いケースに顔を向けながら、女の子は震え混じりに怒りにわななく声で言った。
「キャロル陛下が亡くなられて以来、閣下は想いを貫き続けていると思っていたのに。まさか敵国の女王に破廉恥な真似をするだなんて。最低です」
うわあ。
またこれか。
「それは誤解で……」
「閣下ご自身がお認めになったと聞きました」
そうだった。
軍の大部分を構成する男たちは、「あぁ大将にもそういうヤンチャなところがおありになるのね」という感じで苦笑いしたり、むしろ逆に親近感を覚えくれるようなケースが多かったので、笑い話のように自分から話して回っていたのだった。
しかし、軍内にわずかにいる女性陣の耳に情報が入りはじめると、今のような事態が頻発するようになった。
まさか、こんな弊害が出てくるとは……。
そもそも、女性陣から「妻を亡くしてからひたすら操を立てている」などという理由で好感情を向けられているとは思っていなかったし、その好感情が一度の不貞で真逆に裏返るなんて思っていなかった。
「まあ……いずれ事情も知れるだろう。あまり余人に口外しないでくれよ」
「ミャロ様には既に報告させていただきました」
「ああ……そう」
まあ、ミャロには既に機密扱いでコトの経緯を報告してあるのだが。
冷たくなった参謀が女の敵を見るような目で俺を一瞥し、出ていったのを見てから、俺は書類ケースを開けた。中には様々な報告書や手紙が入っている。
最重要、速達、機密、と色んな判が押された手紙があり、そこには宰相、と書いてあった。ミャロからの返信だ。開けてみる。
――――――――――――――――――――――
ユーリくん、呆れ果てました。女心が分かってなさすぎます。
絶対に、絶対に、絶対に、国境にたどり着く前に事の経緯とそうした事情を全将兵に発表してください。国境を跨いでからでは、情報の拡散を阻止できません。
こういった醜聞は口から口へと伝わってしまいます。後から訂正しても、話題性が乏しいので元の情報のようには拡散しません。認識の上書きはできないものと考えてください。
国家の半分は女で出来ていることをお忘れなく。
以上、宰相より。
追伸:ほんとに浮気してませんよね? 本当だったら私、平静でいられる自信ないです。
――――――――――――――――――――――
そんなに怒らなくても……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ミャロの進言通り、大急ぎで引き返していた軍をゆっくりにし、アルフレッド軍が無事に動き出したという連絡を聞いてから、明日国境を跨ぐというタイミングで情報を公表した。
報告を聞いてから四日ほど時間が取れたので、引き込むための時間は十分取れただろう。もし、こちらの情報を公表した次の瞬間に入手できるスパイ網を持っていたとしても、アルフレッドの耳に入るまでには更に三日か四日の時間はかかる。
そこからは大きな決断事項がないので、俺は少し時間を取って、かつてのキルヒナ王国の王都、リフォルムに向かった。
片腕を失ったジーノ・トガを見舞うためだ。
何度も来ているリフォルムの王城に降下すると、出迎えの者が既に待っていた。
白暮をトリカゴに預けると、すすっ、と近寄ってきて、
「お待ちしておりました。こちらへ」
と、ショートカットの凛々しい女性が頭を下げる。
「……ええ、では、よろしくお願いします」
ここのところずっと、女性から不当に冷たい目で見られていた反動か、この普通の反応がありがたく思える。
「はい」
女性は返事をして、歩き始める。ただ歩くだけでも、身のこなしというものは分かるものだ。筋肉の付き方、安定した重心に、運動不足の人にはないポテンシャルを感じる。背中をよく観察すれば、肩の筋肉が普通の女性より発達していることも見て取れる。
「もしかして、なのですが、あなたは夜衣の方でしょうか」
そう問いかけると、女性は振り返ってにこりと微笑んだ。それは肯定の仕草のように見えた。
「既に、その組織は存在しません」
そりゃそうだ。夜衣はシヤルタでいう王剣に当たる組織なので、キルヒナ王国が滅亡した際に壊滅したという認識だった。ああいう組織は国家滅亡の際には最後まで便利使いされるので、全員死んでいてもなにも不思議ではない。
「今でも何人かは、残っているのですか」
「具体的な人数は申せませんが、片手の指で足りる程度です。私は当時、遠隔地での破壊工作を命じられていて……任務を終えて戻ったときには、既に国は亡びておりました」
ああ、そういう。
「テルル様の処遇について、我が国を恨んでいなければいいのですが」
「とんでもございません。直接お会いして、冷遇などではなく彼女の意思であることは確認しましたから」
「なら良かったです」
おそらく、そこでテルルがキルヒナ復興の意思でも示したのなら、この人たちは喜んで彼女のために尽くしたのだろう。しかし、テルルはそういう性格ではない。直属の秘密組織なんて持っていても仕方がないし、改めて奉公したいという申し出も、逆に迷惑がられたのではないだろうか。
「ただ、テルル様がお選びになった殿方が、あの方というのは……私共といたしましても、かなり意外なところでした。てっきり、ジーノ閣下のような、頭脳明晰で机に座って仕事をしているような、落ち着いた殿方をお好みになるものだとばかり思っておりましたので……」
「まったく、同感です。本当に、心の底から」
今でも不思議な感じがする。ミャロに言わせりゃあ、お似合いのカップルらしいが、どういう夫婦生活を送ってるんだかさっぱり想像がつかん。
あればかりは、今でも腑に落ちない不可解な現象だ。
「ふふっ、私共も一瞬、なんらかの策謀ではないかと疑いましたが……テルル様のあの顔を見てしまうと、なんとも……」
結婚式のときの幸せそうな顔を思い出す。べつに、守ってやりたいとかは思わないが。あれはドッラが守ってやればいい笑顔だ。
「あなた方は、今も同じような仕事を?」
「いいえ。他に行くところもないので、懐かしの古巣で雇われているだけです。後継の育成もしておりません」
そりゃそうか。王剣だって、王家がなくなっても単体で存続していくなんて想像できないもんな。忠誠の対象を女王から国家に切り替えるとかも、まあ無理だろう。
うちんところの王剣だって、孤児を集めて人死にが沢山でる訓練をさせて、ほぼ洗脳みたいな教育で鉄の忠誠心を持った構成員を育成する、だなんて将来的に続けられる運営モデルではない。そのうちには、なんらかの変革を迫られるだろう。
王剣は、かつて女権国家の女王にとって切実に必要な抑止力だった。将家という男権勢力を少数精鋭で威圧するには、研ぎ澄まされた性能が必要だったし、そのためにはえげつない訓練も必要だった。しかし今は違う。将家もホウ家のみとなり、それも王家と半ば合体してしまっている。
「私にとっては、今は気楽な余生といったところですね。ジーノ様には、簡単な仕事を割り振ってもらっています」
余生というほど人生を達観した年齢にも見えないが。
「着きました。こちらになります。あとでお茶をお持ちしますので」
気軽い感じでノックをし、返事が聞こえると、元夜衣の女性はドアを開いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「閣下」立って出迎えたジーノは、先に頭を下げた。「まずはご戦勝、おめでとう御座います」
ああ、リャオとの戦いのことか。
「ああ。お陰様で、なんとかなったよ。怪我の具合はどうだ」
「ようやく落ち着いて来ました」
「それで、そちらの女性は?」
ジーノの側には、一人の少女が立っている。
先ほどの女性と同じように、ショートカットでキリっとした格好をしているが、かなり若い。まだ十八歳とか、そんなところじゃないだろうか。
「ああ、ケルタと言って、身の回りの世話をしてもらっています。この腕ではなにかと不便なので」
「そっちも元夜衣か?」
ジーノは一瞬、なぜ、と不可解が顔に出たような表情を浮かべたが、案内してきた女性が誰か思い出したようで、
「さすが閣下、見抜きましたか」
と言った。
「まあな」
「この娘は、養成所のようなところにいた者だそうです」
どうりで若すぎると思った。つまり、うちでいう王剣の下賜みたいな儀礼を受けて、正式に着任していたわけではない、ということだろう。
「ああ、すみません。どうぞお座りください」
促されて、俺は応接用のソファに座った。俺が座らんとジーノが座れない。
「腕を見せてくれないか」
そう言うと、ジーノはケルタと呼ばれた少女に目配せした。
少女は、凛々しい顔に一瞬の戸惑いを浮かべながら、ジーノの上着のボタンを外してゆく。
ああ、シャツの袖がきちんと縫われて袋になってるのか。最後まで脱がないと見えない。
「きちんと癒えているでしょう。優秀な軍医に縫ってもらったおかげです」
たしかに、腫れたり炎症を起こしたりはしていないようだ。既に抜糸も終えている。
「やはり肘はだめだったか」
「……ええ、まあ」
肘があるとないとでは大きな違いがある。今の義手でも、肘が残っていれば机の上のコップを掴むくらいの動作はできるので、便利度に歴然とした違いがある。
ジーノは短くなった腕を袖に通すと、隣に目配せをする。少女は、かいがいしくボタンをつけはじめた。さすがに慣れているのか、すぐに着せ終えて後ろに下がる。
「あとで、残った腕の長さと、肩幅の寸法を送ってくれ。こっちで義肢を作らせてみる」
「ありがとうございます。助かります」
「いいや、俺のために腕を失ったようなもんなんだ。これくらいは――」
ふと、視線に気付いた。
最近、敏感になっているせいか、なんだか冷淡な視線を向けられている気がする。
ん? とジーノの後ろにある顔を見ると、なぜかケルタと呼ばれた少女が俺をじっと見ていた。目が合うと、顔をそむける。
えっ、なに?
「閣下?」
「ああ、いや、なんでもない。まあ、俺のために文字通り骨を砕いてくれたわけだからな。これくらいはやらせてくれ」
「とんでもありません」
「ところで、そろそろ身を固めたりはしないのか? 今の立場なら、縁談の十や二十はあるだろう」
ジジイになった気がするので普段はこういうことは言わないのだが、ジーノの場合は家庭を持ったほうがいい気がする。私生活がなにかと不便だろう。
「正直、考えてはいるのですがね。ただ、私も面倒な性格をしているもので」
「ホウ家にいた頃だって、サツキさんに散々言われたろう。あの人はそういうのが大好きだから」
「ああ、ありましたね。あの頃は立場も不安定でしたので、家庭を持つことなど考えられませんでしたが」
「まあそうか。真面目な性格だもんな」
再び視線に気付いた。冷淡を通り越して、毛だらけの毒虫を見るような、今まで感じた経験がない種類の視線を受けている。
えっ。
視線を追ってみると、同じ少女に行き当たる。眉根を寄せて、こちらを見ている。殺気すら感じられる視線には、今や強い意志が宿っており、目が合っても今度は視線を逸らさなかった。
えっ、なに。知らない間に親でも殺した?
さすがに異常に気付いたジーノが振り返って、ケルタの顔を見た。
「――どうした?」
「いいえ、なんでもありません。ジーノさん」
「あとは特に介助は必要ない。体調が悪いなら、下がってもいいぞ」
「いいえ、お傍に置いてください。ジーノさん」
えっ、なにこの娘……。
「そうか」
ジーノが再びこっちを向くと、ケルタはジーノのつむじの辺りをじっと見ている。
その視線は、少なくとも、先程俺に向けていたものとは大違いだった。
「まあ、縁談が必要ならいつでも相談してくれ」
俺がそう言いながら反応を伺うと、ケルタは物凄い形相でこちらを見てきた。
大概にしろ。もう黙ってろこの野郎。とでも言いたげな顔だ。
だが、縁談の話はともかく、義手のときはなんで睨まれて……ああ、そういうことか。
「ええ、よい相手がいなかったら相談させていただきます」
ジーノがそう言うと、ケルタは軽くショックを受けたような顔をした。面白いなこれ。
「ところで話は変わるが、幻肢痛はないのか?」
「ああ、ありますよ。話に聞いていたほどではないですが」
幸運なことに症状は軽いらしい。
「あれは、患部のマッサージがいいらしいな」
「そうなんですか」
ジーノは残った右手で左腕の断端を揉んだ。
「自分でやっても意味がない。他人に触ってもらうといいようだ」
「……他人に? それはまた、なぜ」
「なんの脈絡もなく誰かに触られたとき、ビクッと驚くような感覚があるだろう。あれが効くらしい。自分じゃできないだろ?」
「ああ、それはそうですね」
ケルタはふたたび台所に湧いた蛆虫を見るかのような視線を俺に向けたが、俺が抗議の意図を込めて一瞬目を細めて睨み返すと、えっ、と疑問符を浮かべたような表情をした。
お前がするんだよ。
視線を緩めて目で訴えかけると、ええっ、できますかね。というような顔をしだした。よく見れば、意外と表情が豊かだ。
俺も女心が分かってきたかな。
「閣下?」
「いや、なんでもない。そういえば、軍の再編はどうなってる」
「はい。火器の充当が中々進んでおらず……できれば、もう少し割当を増やして頂きたいのですが」
「教皇領が置いていった装備なら、結構あるんだがな。とりあえずの訓練の用には足りるんじゃないか」
「どのようなものになるんでしょうか。いくつか送っていただけませんか?」
「すぐ手配する。まずは百丁くらいでいいか」
その後、数時間話し合ったのち、俺はリフォルムを後にした。
FANBOXでの活動もあり、なろうチアーズプログラムについて様子見していたのですが、試験的に導入してみることにしました。
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