19☆寒いんですけど
「あの……ほんとにごめん……」
るなは店から出てきた真鈴に、開口一番謝罪した。おずおず見上げると、真鈴はとても困った顔をしていた。やはり、目を合わそうとしてくれない。
「わ、私さ、実は……」
「いいんです。先に聞かなかったあたしが悪かったんで。それより寒いでしょう? この辺は寒暖差が激しいから、羽織るものがあったほうがいいって言うのも忘れちゃって……。あたしったら、ほんと自分のことしか考えてないですね」
言いながら真鈴はパーカーを脱ぎ、るなに羽織らせた。言葉では気遣いがみられるものの、口調のトゲは隠しきれていない。この山風のように、とても冷たく感じた。
温もりの残るパーカーに袖を通し、車へと向かう真鈴の後を追う。ヘッドライトが『ここだよ』と光った。
「ねぇ、真鈴」
運転席の扉に手をかけた真鈴が動きを止めた。「なんですか?」と聞き返すが、視線は車内だ。
「私、歩いて帰る」
真鈴がようやくこちらを向いた。眉を寄せ、あからさまに迷惑そうな顔をしている。
「は? ホテルまでどれくらい歩くと思ってるんですか? 車で15分って言っても、こんな山道、るなさんの足なら2時間以上はかかりますよ」
「こう見えてもアスリートだから。2時間歩くくらいどうってことないし。大丈夫、メロナドームが見えてるから、あれを目指せばいいんでしょ?」
るなは光るメロンを指指す。だいぶ高地に来ているので、メロナドームとホテルがよく見える。真鈴も一度そちらに目を向けたが、深いため息をついて首を横に振った。
「いいから乗ってください。誘ったのはあたしなんですから、ちゃんとホテルまで送るのがマナーです」
「マナーとかそういうの、今は関係ないでしょ? ほんとは怒ってるくせに、マナーとかそんなめんどくさいことに縛られて、義務みたいに思わなくていいよ」
人間、本当のことを言われるのが一番カチンとくるものだ。『怒ってるくせに』と言われた真鈴の顔色が急に変わった。
「めんどくさいのはあなたでしょう? いいですよ、じゃあ勝手にしてください。その代わり、迷子になってもスコールに降られても、あたしはもう助けませんから」
バタンっと大きな音を立て、運転席の扉が閉まった。エンジンがかかると同時に急発進し、あっという間に山道を下って行った。
駐車場に独り取り残されたるなは、エンジン音が完全に聞こえなくなるのを待って歩き出した。
段々腹が立ってきた。怒ってるくせに怒ってないふりをして偽善ぶる真鈴にも、方向音痴のくせに意地を張って『歩いて帰る』なんて言い出した自分にも。
風邪が冷たい。海沿いにあるシャニータウンは、ナイターの後でも寒いと感じたことはない。だが、セシアナの山はこんなにも冷えるものなのか。それにも腹が立つ。
「へっ……くしょん!」
口を覆うと、ぶかぶかの袖から真鈴の香水の香りがした。更に腹が立った。でも、寒いから脱ぎたくはない。意識すればするほど、真鈴の香りが鼻につく……。
くねくねと右に左に曲がる山道を、イライラしながら下って行くるな。途中、光るメロンを確認する。山で迷子になってはシャレにならない。
突然、何かメロディが聞こえてきた。バッグの中のスマホだ。きっと真鈴だ。謝ったってゆるしてやるもんか。スマホはなおも鳴り続けている。
……一応、画面を確認してみた。『お兄ちゃん』と表示されていた。るなは拍子抜けすると共に、イラつきも増す。歩みは止めず、応答ボタンをタップする。
「なに? 今忙しいんだけど」
『うわっ、めっちゃ機嫌悪っ! なんだよ、腹でも減ってんのか? お兄様が大量に送ってさしあげたのに』
腹ペコに決まっている。期待のオムライスは食べれず、シャーベットしか口にしていないのだから。思い出して吐き気を催した。ムカムカがイライラを倍増させる。
「遠征先なの! 日本で好き放題食べ放題してるお兄ちゃんとは違うんだから!」
『はぁ? 意味分かんねぇ。マジで、何怒ってんだよ。せっかく、ワイフと一緒にそっち行く日取り決まったから連絡してやったのに』
「来てなんて頼んでない! どうせまた、私のいじれそうなネタ粗探しして、おもしろおかしく拡散するつもりなんでしょ? 私、頑張ってるんだから……独りで頑張ってるんだから……」
怒りを通り越し、るなは情けなくなって涙が出てきた。こんなとこで泣き出す自分にも腹が立つ。そして情けない。だから腹が立つ。
『……るなぁ。あんま、意地張んなよ? 何怒ってんだか知んないけど、お前がベソベソする時って、独りじゃどうにもなんないのに、意地張って無気になって空回りしてる時だかんな。お前、そーゆー時は昔っからいっつも、駄々こねるか意味不明の八つ当たりを俺にするだろ。頑張ってもどうにもなんないなら、諦めるか誰かに頼るかしろよ』
からかうように笑う兄。こうしていつも見抜かれてしまう……。
不器用な兄はいつも、からかい半分にるなを慰めてくれる。意地悪を言っても、なんだかんだ心配しているのが伝わってくる……。
だが、るなは異国の地で生まれ変わると決めた。腹をくくった。泣いたって何も始まらない。前に進むしかない。
るなは足を速めた。ズズッと鼻をすすり、ムカつく真鈴の香りがする袖口で涙をごしごし拭う。
「泣いてないし……。今、出先でメモれないから、日付と飛行機の時間、メッセで送っといて」
『……おっけ。んじゃ、あんま無理すんなよ? るにゃちゃん』
「な……っ! ちょっと、おにい……」
言い返す前に切られた。早速メッセージが届いた。だが、それは飛行機の発着時刻などではなかった。
スタンプが1つ送られてきただけだった。兄の所属球団の公式スタンプだ。妹には決して見せないキラキラなスマイルの横に『俺がついてる!』と書かれていた。
「なにこのインチキスマイル……。犯罪でしょ」
るなは呆れて、不思議と怒りが引いてきた。くすっと笑いさえ込み上げてくる。今回だけは、妹思いの意地悪兄貴に感謝してやるか……とスマホをしまう。
15分ほど歩いただろうか。何度目かのくねくねを曲がったところで、オレンジのランプが見えた。ハザードランプだ。近付くにつれ、その車体が真鈴の愛車だと分かった。
そっと、中を覗いてみた。真鈴は頭の後ろで腕を組み、リクライニングを倒して寝転がっていた。サンルーフから、空を眺めているように見える。
るなの気配には気付いていないようだ。まずは謝罪しなければだ。何て言おう……と考えているうちに、くしゃみが一つ出た。
真鈴が振り返り、身を起こした。目が合った。ウインドゥが下がっていく。
「やぁ、るなさん。月がとっても奇麗ですよ? こんなところで会うなんて、あたしたち運命ですかねぇ」
何事もなかったかのような、屈託ない笑顔の真鈴。
待っててくれたくせに……。
彼女はどこまでお人好しなのだろう……。
「待っててなんて言ってないのに……」
本当はホッとしているのに、本当はすごく嬉しいのに、心にもない言葉が出てしまったるな。それでも、真鈴は一枚上手に返してきた。
「待ってなんかないですよ? ただ、月が奇麗だから見取れてただけです。そしたら、横からも素敵な月が現れてびっくりしました」
キザな笑みをよこし、真鈴は愛車から降りてきた。うーん、と一伸びをし、るなの目を覗き込む。
「おやおやぁ? るなさんともあろう方が、もしかして泣いてたんですか? あたしに会いたくて恋しくて泣きたくなっちゃったんですか?」
「……違うし。寒いから鼻水出てきただけ」
「そうですかそうですか。そんなにあたしのぬくもりが恋しかったんですね。かわいそうなるなさん」
真鈴の両腕がるなを包む。寒さと安堵で、るなはされるがまま身を委ねた。強がっている顔を見られたくなかったのかもしれない。本物の真鈴の香りがした。
「……誰かに見られたらどうすんの?」
「大丈夫です。天下の神月真鈴が、迷子の子供を捕獲した絵面にしか見えませんから」
「怒るよ?」
「怒った顔もかわいいですよ?」
「ムカつくー」
だんだん、るなの扱いに慣れてきた真鈴の腕が緩む。るなは身を離し、空を見上げた。月がまん丸だった。
「……私は満月の夜に産まれたんだって。暗闇でも、輝いて誰かを導ける人になりますようにって、お母さんが『るな』って付けてくれたんだ」
「ロマンチックですね。月の満ち欠けみたいに、ころころ表情が変わるるなさんにぴったりじゃないですか」
「ころころ変わるのはそっちでしょ。でも、私はどっちかって言うと、月より星を見るのが好きかな」
「あたしは星より月より、るなさんが好きです」
真鈴の手が、るなの顎をクイッと持ち上げる。唇が近付いてきた。るなはるなで、真鈴の扱いに慣れてきたので「やめなさい」と、すかさず顔面を掌で押し返す。
「んもー! こんなロマンチックな告白を台無しにするの、るなさんくらいですよー!」
「いいじゃない、オンリーワンで。そんなことより、お願いがあるんだけど……」
言い出しにくそうに、チラチラ上目使いをするるな。なんのおねだりかと、真鈴はわくわく覗き込む。
「どうぞどうぞ! フレンチでもディープでも、るなさんのお願いならどっちでも」
「なんの話し? ……あのさ、ハンバーガーとかフライドチキンとか、ドライブスルー出来るお店に寄ってほしいの。変装してない真鈴と一緒に入れるお店なんてないだろうし」
ちょっぴりがっかりする真鈴。「なーんだ、そんなことですか」と肩を落とすが、そんなところもるならしい、と手を取る。
「お任せください。今度は、ちゃんとメニュー読んであげますね。そうだ! 明日はスイーツ食べに行きませんか? メロンの他にも、色んなフルーツを使ったスイーツのお店があるんです。きっとるなさんも気に入ってくれますよ」
真鈴が助手席側に回り、「どうぞ」と扉を開けた。冷気で冷えた身体が、車内の温もりでほどけていくようだ。さっさと自分も乗り込み、真鈴はエンジンをかけた。
「なんだかんだ、エサで釣ろうとしてるでしょ? 真鈴」
「なんだかんだ、エサで釣られてくれるじゃないですか。るなさん」
「何か言った?」
「ふふっ。いえ、なーんにも。さっ、行きましょうか」
山道を下り、2人の車は光るメロンの元へと走って行く。
つかの間のオフ。明日は試合がないのをいいことに、るなはこのあとアスリートらしからぬ量のジャンクフードを貪るのであった。




