14☆いよいよなんですけど
るなはスマホの着信音で目が覚めた。
アラームは8時にかけてある。少しだけ早い起床に物足りなさを感じつつ、薄目で画面を確認した。『まりん』と表示されていた。
「もしもし……?」
『おはようございます。……寝てました? ごめんなさい』
「うん。でも、まぁもうすぐ起きなきゃだから……。で、なに?」
もぞもぞ起き上がる。心なしか、真鈴の声に覇気がない。
『実はですねぇ、ちょっと薬が切れちゃってて起き上がれないんです……。申し訳ないんですけど、薬取ってもらえませんか?』
やはり体調が思わしくないようだ。るなはおかっぱを手串で鋤ながら、ルームシューズを足で手繰り寄せる。
薬がないと起き上がれないとは、一体真鈴は何の薬を服用しているというのか……。
「薬? 取ってって……真鈴の部屋にあるの?」
『はい。今から部屋のバーコード、スクショして送りますんで』
「そんなことしていいの? ホテルのキーよ?」
『大丈夫ですよ。バーコードは、客が入れ替わるごとに変えてるんで。んじゃ、お願いします』
通話が切れると同時に、ピロンとメッセージを受信した。バーコードのスクリーンショットが添付されている。ほんとに大丈夫なのだろうか……という疑問が消えないるなだったが、ぶたさんパジャマのまま隣の部屋を開錠した。
「真鈴……? 入るよ?」
そろそろと入室する。隣に越して来てからというもの、毎晩訪れている真鈴の部屋は、カーテンからこぼれる朝日のおかげで少し違う雰囲気に感じた。
『あぁ、るなさん……。すいません、朝の忙しい時に……」
ベッドに横たわったままの真鈴が顔を向けてきた。欧米系の白い肌が、少しだけ赤い。るなはベッドサイドから覗き込んだ。
「大丈夫? 熱でもあるの?」
「いやぁ、熱はないと思うんですけど……あぁ、もしかしたらあるかもしれないです」
「どっちよ。薬はキャビネット? 体温計は?」
「嬉しいなぁ。るなさんが心配してくれるなんて……」
真鈴は噛みしめるように瞼を閉じた。長いまつ毛が余計に際立つ。美形は瞼を閉じると愁いをおびて見えるものなんだな……と少し見とれてしまった。
「るなさん?」
焦げ茶色の瞳が見つめ返してきた。るなはドキリとする。
「え? あ、あぁ、それで薬はどこなの?」
「ここですよ……」
るなの両頬を、真鈴の白い手が包んだ。そのまま引き寄せられる。体制を崩したるなは、ベッドに倒れこんだ。眼前に潤んだ真鈴の顔がある。
「こ、こら! いくら病人でも、調子に乗ったら怒るからね!」
「不治の病かもしれません。昨日は疲れてたはずなのに、るなさんに祝ってもらったことが嬉しすぎて全然眠れなかったんです」
「はぁ?」
「お薬自らベッドに来てくれるなんて、あたしはどんだけ幸せ者なんでしょう。あぁ、るなさんてばほんとにかわいいなぁ」
真鈴の唇が迫って来る。じたばたしていたるなは、間一髪のところで自分の手で真鈴の口を覆った。
「んぐっ、むむー!」
「バカっ! なにすんのよっ。人が心配して来てみれば……。仮病なのっ? 騙したのっ?」
ツンと高く尖った鼻もつまんでやった。真鈴の両手がようやく頬から離れた。るなの手を剥がしにかかる。このままどう懲らしめてやろうと考えたるなだったが、本当に動けないわけではなかったみたいなので安堵も半分。
もごもごとごめんなさいを繰り返しているので、仕方なく手を外してやった。
「ぷはーっ! ひ、酷いですよ、るなさん。死ぬかと思いましたぁ。まあ、るなさんには一度目で殺されてますし、ほんとに死んだとしても、最後に見た人がるなさんなら本望かも」
「あっそ。生きててよかったじゃないの。こっちも毎日必死で生きてるんだから、あなたの悪趣味な遊びに付き合ってる暇ないの。じゃーね!」
プンプン怒って部屋を出ていこうとするるなの肩を、慌てて跳ね起きた真鈴が掴んだ。
「まあまあ。そう怒らないで、最後まで話を聞いてくださいよぉ」
「もー! 忙しいって言ってるでしょ?」
「その忙しいるなさんのために、神月真鈴特性のお弁当を用意させていただきました!」
「えっ、お弁当?」
悔しいかな、足が止まってしまうるな。
「はい。るなさん、お昼はいつもスムージーとプロテインバーだけでしょう? あまりにも眠れなかったから、いっそのことお弁当でも作ろうかなと思いまして」
真鈴がキッチンを指差した。それらしき三段重ねのお重がバンダナにくるまれている。
海鮮料理がメインのサロンは、るなの食べれる昼食がほぼ皆無。そのため、るなは、日替わりスムージーと、サロンの隅に並んでいるプロテインバーのみでやり過ごしていた。やはり、どうにもサロンの匂いが苦手で、ロッカールームに持ち帰り、隠れてもそもそ食べていたのだ。
そろそろ栄養士にバレて注意される頃だとは覚悟していたが、先に真鈴に指摘されるとは……。
「ち、ちなみに中身は?」
「ふふん、内緒です。許してくれるならあげます」
「うわっ、ずるー!」
「ずるくないですよぉ。るなさんが好き過ぎて眠れなかった証拠ですもん。愛の罪ゆえです。食べたいなら、さっきの冗談は許してください」
すっかり胃袋を掴まれてしまったるな。怒りはまだ鎮火するわけがないのだが、るなの胃袋が謝罪も弁当も受け入れようとせかしてくる……。
「しょ、しょうがないなぁ……。忙しいから許してあげるけど、今度ふざけたらほんっとに許さないからね!」
「へへっ。そうこなくっちゃ」
満面の笑みを浮かべ、真鈴はお重を差し出してきた。ずっしりと重たい。これは食べ応えありそう……と、るなの期待が膨らむ。
昨夜先発だったので、真鈴は全体練習には参加しないらしい。後から行きますねー、と再びベッドに潜った。羨ましすぎる。
部屋に戻った瞬間、合わせたかのようにアラームが響いた。すっかり目を覚まさせてくれたので、るなは球場までランニングすることにした。
*
「うわっ、眩しー!」
セシアナの太陽は、今朝も元気いっぱいである。目も肌も痛いほどだ。キャップを深く被り、早いうちにサングラスを買わないとなぁ……と走り出す。
南国なので当たり前なのだが、また6月だというのに、東京の8月よりも暑い……。るなはあっという間に汗だくになる。5分ほど走ったところで、小さな影が追い越していった。
小学生だ。大きく見えるリュックを上下に揺らしている。もうすぐ始業で急いでいるのだろうか。
「ワーォ! ユーミ、選手? ですか?」
信号でお互い止まった。並んで待っているるなに、少女が話しかけてきた。
「ユーミ! 応援してます。今日、ナイター見に行くから、試合出てください」
現地の少女だった。子供独特の澄んだ瞳がキラキラと輝いている。日本語を勉強しているのか、るなに合わせて日本語で話しかけてくれたのも嬉しかった。
「ありがとう! 試合、出れるように頑張るね。野球、好き?」
「はい! 日本人プレイヤーは特に好き! 今日、パパにユーミのグッズ買ってって頼むます!」
「あははっ、嬉しいな。ありがとうね」
信号が青になる。少女はキラキラの瞳を向けたまま、「頑張ってください!」と走り出した。手を振り、るなも走り出す。くすぐったいけれど、気持ちのいい朝になった。
「試合、出てくださいって言われてもねぇ……」
出たいのはやまやまだ。希望と努力だけでどうにかなる問題ではないのがが現実。セシアナに来て一週間が経つのだから、いつまでもベンチを温めている場合ではない……。
トウコ曰く、るなのグッズは徐々に売れてきているという。だが、そろそろ試合で結果を出さないと、単なるベンチのお飾りになってしまう。日本人というだけで人気を得るのではなく、成績でも認めてもらいたい……。
「おはようございます!」
元気にロッカールームを開けると、3人の若い選手が固まって立ち話をしていた。それぞれの国語で挨拶を返してくれた。
リュックをロッカーに詰めようとしたところで、3人が近づいてきた。真鈴が近くにいなければ、選手たちはこうして話しかけてくれる。1人は少しだけ日本語を喋れる選手だ。るなは「どしたの?」と向き直る。
「マルティナ、肘、痛めた。サード、今日、るなかもしれない」
「えっ! マルティナ、ケガしたの? でも私、サードは……」
るなはまだこちらに来て、ショートの練習しかしていない。だが、現在は打撃成績上昇中のサラがショートでスタメン出場している。
サードが本職のマルティナがケガ離脱ということは、るなにもサードの可能性が出てきたわけだが……。
「監督が決めることだから、私は言われたことを頑張るだけよ。それより、マルティナは大丈夫なの?」
「今シーズン、難しい言ってた。るなチャンス、頑張って!」
バシンッと不意打ちで背を叩かれ、るなは前につんのめる。他の選手も片言で「頑張れ」と笑いながら次々叩いてきた。
人の負傷を心配している場合ではない。タイミングも才能のうちだ。自分に巡ってきたチャンスを逃すわけにはいかない。るなは急いで着替えだした。
*
午前中は、主に打撃練習だった。張り切り過ぎて空振りが多めになってしまったが、打撃コーチのアドバイスで、なんとか速球にも対応できるようになってきた。「その調子!」と、またも背中を叩かれる。
「るな、ちょっといい?」
昼休憩に入るためバットを片づけていると、深刻な表情の監督に呼ばれた。腹を決め、るなは駆け寄る。
「午後の守備練習は、ショートでいくよ」
「えっ、ショートはサラじゃ……」
「サラはサード。るなをショートにする。頼むよ?」
監督がニヤリと口角を揚げる。本日5回目の背中バシンが飛んできた。
やっとだ! 早く弁当を食べて守備練習に望みたい! るなは気合充分、意気揚々とロッカールームへ戻った。
「ヘイ、るな」
扉を開けると、ロッカールームにはサラと荷物を抱えたマルティナがいた。他の選手はサロンで昼食タイムなので、シンと静まり返っている。
「マルティナ、えーっと、ここ、大丈夫? 早く治して戻ってきて?」
スペイン語しか話せないマルティナに、るなは身振り手振りで気持ちを伝える。どうにか理解してもらえたようで、「ありぎゃと」と一言だけ返ってきた。隣で見ているサラが鼻で笑った。
「本当は、マルティナがケガして喜んでいるんでしょう? ショートしかできないからって、わたしのポジションまで奪ってくれちゃって。監督もファンも神月真鈴まで、どうして日本人が好きなのかしら? 全く分からないわ」
「やめなよ、サラ。るなはスペイン語が分からないといっても、君の表情で伝わってしまうよ?」
「伝わったっていいんじゃない? 神月真鈴に気に入られてるから、きっとすぐ調子に乗るわ。生意気言わせないために、今のうちに教育してあげないと」
害虫でも見下ろすかのようなサラの表情で、るなはサラが憤慨していることだけは分かった。監督のポジショニングに不満なのだろう。睨まれているのに、気付かないほうがおかしい……。
居心地が悪い。2人はまだこちらを向き、スペイン語で話続けている。ここで弁当を食べるつもりだったが、どこか別の場所を探そう……と三段重ねの弁当を抱きかかえた。
「なぁに? それ。ジャパニーズランチボックスってやつ? そんなに食べたら子ブタちゃんになっちゃうわよ。そんな子ブタちゃんが、ショートでわたしより機敏な動きができると思ってるの? おもしろい子ねー」
サラが爆笑しだした。どうにも不愉快だ。だが、こういう嫌な女はどこにでもいる。何人も見てきたし、嫌な思いだってたくさんしてきた。るなは自分に矛先が向いているのを気付かないふりして退室しようとした。
「待ちなよ、ジャパニーズドール。その中身、見せてみて? あなたが子ブタちゃんにならないように、わたしが捨ててあげるから」
すれ違う直前、サラがヒョイと弁当を取り上げた。るなは「返して!」と手を延ばすも、高身長のサラの頭上まで掲げられた弁当には到底届かない。
「なにしてんの?」
サラの背後から、にゅっと白い手が延びてきた。首元から、真鈴が顔を出す。後ろから抱きしめられた状態になったサラは、ピタリと動きが止まる。声で真鈴だと気付いて振り返れなくなったようだ。
「人の物、勝手に取っちゃダメでしょ。それとも、お腹が空いてるの? それとも、あなたたちのお国じゃあ、こうやって仲良く遊ぶの?」
サラの耳元で囁く真鈴は、とても鋭い目をしていた。マウンド上とも違う、とても冷ややかな目だった。
るなは、真鈴のスペイン語を初めて聞いた。もちろん、何を言っているのかは分からない。
だが、その冷ややかな表情と低めた声からするに、静かに怒っているのだと判断できる。
青い炎のように……。
「ち、違うよ。ジャパニーズランチボックスがどんなものなのか、見せてもらおうと思っただけで……」
サラは耳まで真っ赤だ。スーパースターにバックハグされて緊張しない人はいないだろう。真鈴の切れ長の目が更に鋭く尖る。
「ふーん? でも、彼女の大事な人が作ってあげたものだから、返してあげてくれないかなぁ」
「も、もちろん……」
真鈴が腕を緩めると、サラは名残惜しそうにふらふら揺れていた。羨望の眼差しで見つめていたマルティナが弁当をるなに手渡し、サラを連れてすたこら出て行く。
扉が閉まる。2人きりになった。扉のほうを睨んでいた真鈴が、ふーっとため息をついた。
「まったく……。いくらるなさんがかわいいからって、妬んじゃってさ。るなさん、他には嫌なことされてませんでした?」
「ううん、大丈夫。でも、私がスペイン語分かんないのをいいことに、散々悪口言ってたと思う。分かんなくてよかったのかも。……別に気にしてないけどね」
プロの世界では妬みも、罵倒も四六時中あることだ。傷つきはするが、いちいち気にしてられない。すぐに切り替えて、自分のやるべきことをやるだけだ。
「でも、顔が悲しそうですよ?」
「……お腹空いてるだけ。早く食べて守備練習行かないと。真鈴は? サロンで食べるの?」
「あたしは取材やら密着特番やらが入っちゃったので、これからインタビュールームで打ち合わせなんです。あーぁ、るなさんと一緒にランチしたかったなー」
「そうなんだ。一日遅れたけど今日は私のデビューみたいだから、エラーしないように祈ってて?」
「えっ! マジですか! 祈りに祈って、祈り倒します! そんでもって、るなさんがあたしに抱かれたいと、一日も早く言ってくれるよう祈り尽くします!」
「……やっぱ、祈らなくていいや」
くるりと背を向け、テーブルで弁当を広げ出するな。真鈴は「なんでですかー」と地団駄を踏んだ。
いよいよ、るなのドルフィンズデビューが宣告された。
この一週間、ベンチでセシアナの野球を見るだけだった悔しさを、結果で跳ね除けてみせる……!




