エンドレス・トレイン
まだおっさんではなくビッチビチの高校生だった頃のお話。
少々下品な内容です。
食事中の方はご注意を。
いやっほーい!
夏休みだー!
エンジョイしまくってやるぜ!
遊ぶぜー! 超遊んでやるぜー!
とか、思っていたハイスクールでのラストサマー。
その予定が狂い始めたのは。
「あんた顔悪いよ?
熱でもあるんじゃないの?」
という、お袋の言葉が切っ掛けだった。
確かに言われてみれば、調子が悪いような気もしなくもない。
具体的にどう調子が悪いのかと言えば。
頭が痛いような気がするし、お腹の様子も微妙なところだ。
所謂ところの夏風邪ってやつを引いたっぽいな。
それとな。
悪いのは顔色であって顔じゃないっての。
仮に顔が悪かったのだとしても、生みの親である筈のお前がそれを言うんじゃないっての。
泣くぞ?
そんな事を思いながらも、体温を計ってみると。
38度2分。
うん。多分、風邪だな。
幸い今は夏休みだし、医者に行かずとも数日も大人しくしてりゃ治る。
現状ではこれが夏休みを最も楽しむ為のベストな選択だろ。
「病院に行かないの?
じゃぁ、風邪薬でも飲む?」
そう言うなりお袋は、ピンク色の錠剤を俺へと差し出す。
お?
風邪薬なんて気の利いた物がこの家にあったとは驚いた。
飲むよ。
飲んでさっさと休んで治す!
ラストサマーを満喫してやるのだ!
だが。
これが悪夢の始まりでもあったんだ。
薬を飲んでも一向に調子が良くならないんだよ。
特にお腹の調子が酷いわ。
水分を補給したら、補給しただけ体外へと排出されて行きやがる。
もはや完全にトイレの主。
いや、トイレそのものと言っても過言じゃない。
尋常じゃなく喉が渇く癖に水分を摂れば、その途端に排出されていく。
ひょっとして水分と一緒に内臓も飛び出しちゃったんじゃねぇのって位には絶不調だよ。
そんな状況の俺に更なる悪夢が襲い掛かる。
「お風呂入りたいんだから、ちょっとあんた退きなさいよ」
これだ。
我が家のトイレはユニットバス方式のトイレと風呂の一体型。
家賃7万8千円の2DKのアパートであるが故の仕様である。
存在自体がトイレと化している俺からすれば、その仕様は正に悪魔の仕様以外の何物でもない。
だが、流石の俺も風呂に入るなと言う事は出来ないよな。
タイミングを見計らって、グルグルと猛獣のような唸り声を上げる腹を抱えつつも、トイレから戦略的一時撤退。
その間にお袋が急いで入浴って寸法だ。
今なら10分や15分位は耐えられる筈!
と、思っていた時期が俺にもありました。
時期っていうか、ほんの数分前だけどな!
やっぱ無理ぃ!
ヤバイヤバイヤバイ!
産まれる!
産まれるってば!
頼む! 早く風呂から出てきてくれ!
事件は会議室で起きてるんじゃない!
俺の腹で起きてるんだ!
下手したら自宅でも起きちゃうぞ!
だから早く出てきてくれよ!
しかし。
動かざることデブの如し。
いや、別にお袋はデブじゃないけど。
でもまぁ、お袋が出て来る気配は全くない。
実の母親の入浴中の風呂の戸に縋りつく息子とか、変態以外の何物でもないと思うが、そんな事を気にしてる余裕はない。
いや、変態であるという事は否定しないが、少なくとも浴場の母親に欲情する程の奇特な性癖は持ち合わせていない。
どうせ欲情するのなら、若い美人なお姉さんが良いよな。
今の俺はそれすらもどうでも良い。
ただ、トイレに籠りたいだけなんだ。
だから頼む!
早く出てきてくれ!
俺の魂の叫びは、無常にも狭っ苦しいアパートに木霊する。
既に俺のお腹は限界突破中。
戸を叩く速度は、音速を超え、光の領域にだって達してると言っても過言じゃない。
俺よ。諦めるな!
望みを捨てちゃ駄目だ!
捨てた瞬間に、お腹の下り新幹線は発車しちまう。
そうなったら、間違いなく俺の心は絶望に塗り潰されちゃう。
お袋の事だ。
笑い話として死ぬまで言いふらし続けるだろうからな。
そんな事になった日にゃ、俺の今後の人生は……
確実にお疲れ様でしたモードに突入だ。
だから、耐えろ!
頑張れ、俺の括約筋!
10分、それとも20分、ひょっとしたら1時間くらいは経ったかも知れん。
「うるさいねぇ。ゆっくりお風呂にも入れやしない」
ブツブツと文句を言いながらではあるが、漸く風呂場から出て来るお袋。
その瞬間に俺は動いた。
新幹線なんて目じゃないね。
今の俺ならリニアモーターカーだってぶっちぎって見せるわ!
一目散にトイレに飛び込み、そして便座へと座り込む。
…… ふう。
いやぁ、落ち着くわ。
この便座との一体感。
俺は耐えた。
耐えきってやったぞこの野郎!
いやぁ、危なかった。
本当に良かった。
俺の人生ってば、まだまだ捨てたもんじゃないな!
と、思っていた時期が俺にもありました。
またかよって思うかも知れんが、まぁ聞いて欲しい。
実は、あれから既に一週間が経ってるんだ。
なのに、一向に回復の兆しが訪れないんだよ。
相変わらず水分を摂れば、新幹線が発車するし、水分が失われ過ぎで真夏だってのに、汗すら全く出て来ないっていうね。
もう、肌もカッサカサだよ。
一日の大半をトイレで過ごし、次々と発車する下り新幹線に満足に睡眠も取れてない。
期せずしてあっさりと二桁kgの減量にまで成功する有様だ。
まぁ、健康という観点から見れば、むしろ失敗だろうと思わなくもないが、この際その事は置いておくとしてもだ。
どうなってるの?
これ、死ぬんじゃね?
そう思える程度には俺の体力は消耗してるっぽい。
朦朧とした意識の中で俺は考えてみる。
どうしてこうなった。
ケチって医者に行かずに常備薬だけに頼ったのが悪かったんだろうか。
質の悪い病気だったりするんだろうか。
休み前に同級生のパンこっそり食べちゃった祟りだろうか。
それとも悪霊的な何かに取り憑かれたりでもしてるのか。
駄目だな。
体が弱った所為か思考までも弱ってきてる気がする。
まぁ、良い。
とりあえず薬を飲もう。
効果が全く実感出来ない薬ではあるが、飲まないよりはマシだろう。
例えプラシーボ効果であったとしても縋りつきたい。
と、いう訳で、お袋さんよ。
薬をくれ。
「あんた、本当に大丈夫なの?
救急車呼ぶ?」
一応心配そうな素振りを見せながらも、薬の箱を取り出し――――――
そこでお袋の動きが止まる。
うん? どうしたお袋。
ひょっとして薬が尽きたのか?
まぁ、一週間も飲み続ければ薬のストックが尽きても不思議じゃないけどな。
だが。
お袋の口からは俺が予想だにしなかった驚愕の台詞が飛び出す事となる。
その台詞がこれだ。
「あ、これ風邪薬じゃなかったわ」
特に悪びれもせずに、更っと言い放つお袋。
…………
!?
なんですとおおおおおお!?
風邪薬じゃないって、どういうことだよ!?
一体今まで俺は何の薬を飲まされて来たんだよ!?
半狂乱気味にお袋の手から薬の箱を取り上げてみれば。
我が手中に納められたるは、ピンクの小粒でお馴染みのあの便秘薬。
便秘薬って、あれだよな。
オブラートに包んでも仕方ないから言っちゃうけどさ。
要するに下剤だよね。
説明文を読む限り1日2錠でスッキリ快便みたいな事が書いてある。
因みに凄まじき効能であるが故に、ピンクの悪魔とも呼ばれる事もあるらしい。
そんな薬を俺は1回2錠の朝昼晩と通常の3倍も飲まされてたって事なのか?
…………
あほかああああああああああああああ!
そりゃ、何時まで経っても治らねぇよ!
むしろ、この薬こそが原因じゃねぇか!
薬は思いっきり効果を発揮してたわ!
早く治って欲しいなぁとか思いながら、下剤飲み続けてたとか、馬鹿すぎるだろ!
事件は自宅で起こってたし、犯人も自宅に居たよ!
何を飲ませてくれてんだよ!
この野郎!
いい歳こいてテヘペロみたいな顔してんじゃねぇよ!
もうちょっと悪びれろや!
殺意しか沸いて来ねぇよ!
って、言うか俺も何で気が付かなかったんだよ!
ピンクの錠剤が出て来た時点で気が付けよ!
うあああああああああああああああ!!!!
結局、衰弱しきった胃腸が復活するまでに、更に2週間近くの時を要する事となったんだ。
俺の高校時代最後の夏。
その記憶には何とも嫌な思い出が刻み込まれましたよっと。




