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はじめての街

 リリーが生まれて、約五ヶ月の月日が経った。


 リリーはクララのような金髪ストレートに、サファイヤのような深い青色の瞳をしている。髪色や瞳はフェリクス寄りだが、顔立ちやルックスはクララ寄りだ。


 首が座ったということは、つまり。

 ―リリーの、人間の街への「お出かけデビュー」ができるということだ。


「離乳食に使うすり鉢と、リリーの新しいお洋服を買いに、明日は街へ行きましょう!」


 クララが弾んだ声でそう提案した瞬間、私の脳内では緊急警報(アラート)が鳴り響いた。


…待って。人間の街?


 あそこはエルフの国と違って、治安も、行き交う人間の質もピンキリだ。

 この前、お遣い(ただの健全なお砂糖の買い出し)に行った時にこの身で実感した。すれ違う男の三人に一人は目が死んでいたし、路地裏からは常に闇のオーラ(ただの泥酔したおっさん)を感じた。

 あの街には、純真無垢な赤ちゃんを狙う悪い虫や不審者が、文字通り掃いて捨てるほどいるのだ(※リリアーナの超主観的な偏見です)。


「クララ、正気!? リリーをあんな危険地帯に連れて行くなんて、私は断固反対だよ!」


「ちょっとリナ、隣の領主様の城下町よ? 治安はすっごく良いところだから大丈夫だわ」


 呆れるクララを他所に、私はリリーの揺り籠に飛びついた。


 最初はあんなに私を刺すような目で警戒していたフェリクスもクララも、今ではすっかり家族の顔だ。

 フェリクスもクララも、私のことを本当の娘か家族のように愛称の「リナ」と呼んでくれる。


 そんな最高の両親に見守られながら、私を見上げて、あうー、と無邪気に笑うリリー。サファイヤの瞳がキラキラと輝いている。可愛い。天使か。いや天使以上だ。


「ダメ、何があるか分からない。よしリリー、ねぇねが今から、国家防衛級の『認識阻害』と『物理結界』の魔法を二十重くらいにかけてあげるからね。街の人間からはリリーの姿がただの『空気』に見えるようにしてあげる!」


「リリアーナ! それじゃお買い物どころか、不審な空気の塊が移動してる怪奇現象になっちゃうでしょ! 魔法禁止!」


 結局、クララにこっぴどく叱られて国家防衛級の結界は泣く泣く諦めた。

 けれど、大切な妹を丸腰で危険地帯に連れて行くわけにはいかない。



 翌日。私はクララにバレないよう、リリーの産着の裏地に、蚊に刺されないための『微風魔法』、転んでも痛くないための『衝撃吸収魔法』、そして万が一不審者に拉致されそうになった瞬間に相手を消し飛ばす『自動反撃魔法(マイルド版)』をこれでもかと仕込んで街へ向かったのだった。


「わぁ、やっぱり人が多いわね!」


 城下町に着くと、クララは嬉しそうにリリーを抱っこして声を弾ませる。

 一方の私は、紺色のフードを深く被り、周囲の全人間に向けていつでも火の玉を放てるよう指先をピクリと動かしていた。


…すれ違ったあの中年男性、今リリーをチラッと見たよね。誘拐犯のスカウトか? いや、あっちの露店のばあさんもリリーの可愛さに目を付けたな? 闇ギルドのバイヤーか…!?


 私が周囲の全人類を魔王のような目つきで睨み倒していると、突背中に、氷点下の冷たい視線が突き刺さった。

 振り返ると、クララが般若のような笑顔で私を睨みつけている。


「リリー、見てごらんなさい。リナ姉さんがまた悪い病気を発症して、すれ違うだけの人を怯えさせているのよ…。大きくなったら真似しちゃダメだからね。一緒にめっ、しましょう?」


「あぅ…?」


 リリーは首を傾げ、小さな人差し指を口元に当てて私を見つめる。可愛い。でも待って、そのお説教を肯定するような目はやめて!


「わ、私はリリーを守ってるんだよ!? 変な虫がついたら大変じゃん! ほら、あそこの八百屋の男なんて、リリーの産着の隙間から見える国宝級の太ももを狙うような目で見てた!」


「ただのお客さんを呼び込んでる声でしょ! ほら、リナ、睨むのやめなさい!」


 渋々、睨むのだけはやめるが、周囲への警戒はむしろ強める。

 私のプリンセスに傷一つ付けたくないのだから、こればかりは譲れない。


「ほら、着いたわよ」


 クララが足を止めたのは、温かみのある木材と、柔らかなクリーム色の漆喰で建てられたお店だった。

 私たちが住んでいる家より一回り大きなお洋服屋さんで、窓辺には可愛らしい子供服が並んでいる。


「これ可愛い!絶対似合う…」


 ディスプレイの窓辺に飾られていたのは、柔らかそうな白い毛糸で編まれた、ふんわりとしたトップス。肩周りにはお花のレースのような大きなフリルがあしらわれている。胸元にはアクセントとして明るい桃色の小さなリボン、そしてボトムスは上品なくすみピンクのギャザースカートだ。

 …確信した。これを着せたら、リリーのサラサラな金髪と、サファイヤのように深い青色の瞳がより一層際立つに違いない。


「お値段次第ね」


…クララよ、現実を突きつけないでくれ……。


 私達は洋服屋に入り、私が見ていた服の値札をクララが除く。


「うーん、ちょっと今月の予算だと厳しいかしら…」


 その瞬間、私の頭の中で再び悪魔の囁きが始まった。


…待って。お金が足りない? なら、私が今からその辺の適当な石ころを高純度の金塊に変えてこようか? それとも、王城の宝物庫からちょっと使ってない金貨を拝借してくる? リリーの可愛さのためなら国家の法律なんて紙切れ同然だよ!


 本気で不穏な解決策を編み出そうとした私の手を、クララがガシッと掴んだ。


「リナ。今、すっごく物不穏なこと考えてなかった? 顔に出ていたわよ」


「…な、なんのことかなー? 私はただ、あの服を着たリリーが可愛すぎて天を仰いでいただけだよ」


「リナは鉢を見てきて」


 この般若……ごほん、クララに言われた通り、私は大人しく鉢を見に行くことにした。

 並んでいるすり鉢はどれも温かみのある木製で、お花や熊などの可愛らしいイラストが描かれている。

 その中でふと、一つだけ色とりどりなお花が細かく描かれている鉢が目に留まった。


 お値段も手頃だし、リリーの離乳食を作るならこれが一番可愛い。


…よし、これにしようっと。


 私達は無事にお会計を済ませ、お洋服屋さんを後にする。

 結局、あのフリフリの服は買って貰えなかったけれど、リリーの瞳と同じ青色のワンピースや、ミルクティーのような優しい色合いのジャンパースカートなどを買ってもらえたので、私の心は十二分に満たされたのだった。

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