第2話 死体を拾うより、今そこら中に転がっているのは食材だ
『スキル発動:メンテナンス。』
デレオは手にしたハンマーを見つめた。
柄の金具で留めてある部分は、
さっきまでよりずっと安定し、
ハンマーの頭についていた錆や傷はすっと消えて、
表面には薄い防錆油のような艶が浮かぶ。
「まだまだ使えるな……出費が少しは浮きそうだ。」
デレオは正直、
自分のスキルや職業をそこまで気に入っているわけではない。
だが──金がものを言うのだ。
そう思ったら、自然と口元が緩んだ。
彼は、
その場に転がる凍死体たちを見回した。
遺跡に通い慣れているはずの
スクラップ漁りの冒険者でさえ、
ときどきあいつらにアイスキャンディーにされる。
ましてや遺跡に足を踏み入れたこともない
軍人や学者なんて、言うまでもない。
疑う余地はない。
浮遊晶霊との初見殺しだ。
デレオは遺体を一体ずつ品定めするように眺めていった。
そして、
最初に目を奪われたのは、小
柄な女の遺体だった。
軽そうだし、
今回の依頼の「第一候補」にはうってつけだ。
寒すぎて、
香水やボディソープの
匂いなどはまったく感じられない。
だが、
上着のポケットからは、
漬け肉のような香ばしい匂いが漂っていた。
その匂いに釣られたのか、
神灯の中から烈焔犬がひょいっと姿を現した。
さっき戦闘はもう終わったはずなのに……。
『あいつはただの食いしん坊ですよ。
餌をやらないと見向きもしません。』
この神灯をデレオに譲った召喚師は、
そう念を押していた。
「邪魔だ、引っ込んでろ。」
デレオはランプの蓋を掴んで、
烈焔犬を強引に押し戻す。
女の服のポケットは、
何かが詰め込まれているのか、
ふくらんでいた。
彼女の首にかかっているID番号は「0527」
教授に助手として連れてこられた学生なのだろう。
整った顔立ちをしていて、
いかにも順風満帆な人生を送ってきたように見える。
家族も、
彼女のためなら喜んで金を出しそうだ。
ふとした拍子に、
デレオは彼女と目が合ってしまった。
その表情はあまりにも自然で、
血の気こそ引いているものの、
とても死者には見えない。
思わず錯覚してしまう──
まるで彼女も、
こちらを見返しているかのように。
『もし生きているときに会えていたら、
俺はどんな台詞でこの沈黙を破っただろうな……』
そんな考えが、勝手に胸の中へ浮かぶ。
彼女の遺体には欠損も損壊もなく、
腐敗の気配すらない。
「いや、本当にありがたい話だよ。
ボロボロの死体はもう見飽きたからな……」
「よし、君に決めた。」
そのとき、
部屋の外の騒ぎが一段と大きくなった。
甲殻がこすれ合うような音が近づいてくる……。
「森林具足虫が来たな。」
デレオの目に飛び込んできたのは、
野良猫ほどの大きさをした節足動物だった。
全身は分厚い外殻に覆われ、
その甲羅には濃い緑色の共生苔がびっしりと生えている。
『注意。
森林具足虫が攻撃意図を示しています。』
デレオが身につけている
情報端末が警告をポップアップする。
「森林具足虫が?
人を襲う?
やめてくれよ。」
あれは掃除屋みたいなスカベンジャーだ。
ふつうなら、
人間にとってはさして脅威でもなんでもない。
とはいえ、
向こうが襲う気なら、
放っておくわけにもいかない。
具足虫は上半身を持ち上げ、
鎌状の顎と鋏をカチカチと動かす。
骨だろうが何だろうが、奴は何でも喰う。
噛まれれば、
指の一本くらい平気でもっていかれそうだ。
……とはいえ、動きはかなり鈍い。
デレオは一歩踏み出し、
その横を回り込む。
背中の甲羅に靴底をぐっと押しあて、
しゃがみ込んでマルチツールナイフを
取り出した。
そして節足動物の頭部にある神経節めがけて、
ぐさりと突き立てる。
『攻撃意図、消失。』
海産物のような生臭い体液がぴゅっと吹き出し、
背中の共生苔からは独特のバジル──
いや、
ホーリーバジルのような香りが立ちのぼる。
その匂いを嗅いでいるうちに、
デレオの腹がぐうっと鳴った。
足はまだぴくぴく動いているが、
もう危険はない。
『メンテナンス』
デレオのナイフは、
再び研ぎ直したばかりのような切れ味を取り戻す。
「うん、悪くない。」
腰のベルトの空いているフックを探して、
さっき仕留めた具足虫をぶら下げる。
スカベンジャーとはいえ、
内臓をきちんと処理すれば、
こういった虫を高値で買い取るレストランはいくらでもある。
『注意。森林具足虫が攻撃意図を──』
『注意。森林具足虫が攻撃意図を──』
『注意。森林具足虫が攻撃意図を──』
『注意。森林具足虫が攻撃意──』
情報端末の警告音が立て続けに鳴り響く。
デレオが顔を上げると、
通路一面が深緑色の節足動物で埋まっていた。
死体があればスカベンジャーが寄ってくる──それ自体は何もおかしくない。
今のデレオの傍らには、
ちょうどたくさんの死体が転がっているのだから。
だが、
ここまで群れを成して押し寄せるのは明らかに異常だ。
「はあ……山の幸専門の店からの
依頼を受けときゃよかったな。」
デレオはさっきメンテナンスしたばかりの
ハンマーを引き抜く。
のんびりと虫の群れに歩み入り、
目についた具足虫の頭めがけて、
ひたすらハンマーを振り下ろしていく。
何匹叩き潰したのか、
自分でも数えていない。
だが虫の数は、
予想をはるかに超えて多かった。
疲れたのか──やがて奴らの動きは、
目に見えて機敏になっていく。
気を抜いた一瞬、具足虫が一匹、
デレオのズボンの裾をよじ登ってきた。
鋏のような口を大きく開き、
そのままがぶり。
「いってぇ!」
肉の塊をひねり取られたような痛みが走る。
靴の中の靴下が、
じわりと血で濡れていくのが分かった。
デレオは慌てて包帯を取り出し、
手早く傷口を締め上げる。
真っ赤に染まったズボンの裾を見下ろすと、アドレナリンが一気に噴き出した。
頭が熱くなり、
気づけば怒り狂った雄牛のように、
無我夢中で蹴り飛ばし、
叩き潰していた。
狙いもろくにつけずに振り回したハンマーから、
虫汁が四方へ飛び散る。
十分、いや十数分ほど暴れ回ったあと、
ようやくデレオは息を整え、
一面に転がる具足虫の死骸を見渡した。
腰のポーチから回復ポーションを
一本取り出し、
包帯をほどいて傷口に数滴垂らす。
「一本千クレジット以上だぞ、
贅沢に使うわけにはいかねえんだよなあ。」
名残惜しそうに呟きながら、
傷がみるみる塞がっていくのを眺める。
これで確実に痕は残るだろう、
と内心で苦笑した。
さて……腹が減ったなら、
補給しないといけない。
彼は半分残しておいた焼き魚──
今朝、食べきれなかった朝飯を取り出す。
起きたばかりのときはあまり食欲がなかったが、
具足虫の匂いに完全に胃袋を刺激されてしまった。
三口、二口で、あっという間に平らげる。
食べ終えると、
見栄えのいい具足虫を二匹選んで腰にぶら下げた。
『拾えるやつは早い者勝ちだぞー!』
床一面の具足虫をぱしゃぱしゃ撮影し、
冒険者ギルドの
共有サイトにアップロードする。
とても全部は持ち帰れないし、
何より彼にはもっと大事な仕事がある──
「遺体回収」だ。
「さて、本題に取りかかるか。」
デレオは他の遺体を一つずつひっくり返し、
身元を特定できそうな所持品がないか調べ始めた。
「お前らにとっては、
不幸中の幸いと言うべきか……。
ここに浮遊晶霊が陣取ってなきゃ、
別の何かに出くわして、
その頃にはもう骨すら残っちゃいなかっただろうからな。」
彼は一人ひとりの顔を見ていく。
「悪いがな、お前たちはデカすぎる。」
軍人らしき屍を見下ろしながら、
デレオは申し訳なさそうに肩をすくめた。
「さすがに一人じゃ運び出せねえよ……。」
学者風の者は三人。
さっきの少女を含め、
体格は小柄で、血筋もよさそうだ。
そのうち二人はどう見ても年寄りだ。
「この二人を外へ運び出して復活させたら、子どもたちに逆恨みされるかもな。
『うちの親父が死んでくれないから、
遺産がもらえないじゃないか!』って。」
「まあ、それでも、
死に方としてはマシなほうか。」
ここにいる全員を連れて行くのはどう考えても無理だ。
だが、
位置情報をきちんと残しておけば、
それだけでも十分な助けになる。
その情報を遺族や別の冒険者に売れば、
多少なりとも稼ぎにはなるだろう。
去る前に、
彼は遺体を部屋の中へ移動させ、
扉をしっかり閉めた。
簡単にではあるが、
静かに両手を合わせ、祈りを捧げる。
「ここにはアンデッドがうろついてる。
……どうか、
肉に飢えたゾンビどもに見つかりませんように。」
それからバックパックからロープを一本取り出し、
「0527」と番号のついた少女を
しっかりと背中に縛りつける。
デレオは彼女を背負い、
宇宙船遺跡の外へ向けて撤退を開始した。
「急がないとな。」
濃厚な死臭が鼻を刺し、
息を吸うだけで吐き気がこみ上げる。
口を開く気にもならないほどの匂いだ。
デレオとしては、
撤退中に余計な敵と鉢合わせしたくはない。
だが、完全な状態の死体というのは、
あらゆる魔物にとって抗いがたい誘惑でもある。
大抵の場合、
それは「食料」としての魅力だ。
しかし、
このあとデレオが遭遇するあいつは、
彼女の血と肉を──
食うためではなく、
身に「纏う」ために欲していたのだ。




