微睡みの約束
アルと初めて出会ったのはこの世に生を受けて半年と経たない赤子の頃。
こんな事を言ったら嗤われるか、或は嘘つきだと詰られるかもしれないが私にはその日の記憶がしっかりと残っている。
まだ視力は朧気にしかなく、温かな日差しの中、夢と現をさまよう微睡みの最中に彼はそっと私の眠る揺りかごを覗き込んできた。
朧気だった人影が徐々に鮮明になっていき、深海を思いおこすブルーサファイアのような美しい双眼が柔らかく細められる。
そっと頬に触れた小さな紅葉のような掌はとても温かくて、とてもこそばゆかった。
「あっ!!あにうえ、いまリリーがわらったよ!!」
「……本当だ。愛らしいな」
アルと、多分第一王子のアレクシオ殿下が揺りかごを囲んで優しく微笑んだ。
二人の王子様はとてもよく似た容姿をしていて、ブルーサファイアのような瞳と金糸のような柔らかい髪が日に透けてキラキラと光輝く。
「本当に美しい子だ。こんなに愛らしい子が将来私達の娘になるなんて、その時が楽しみで待ちきれないよ。」
「気が早いですわ、あなた。」
「そうです!!まだ産まれたばかりなのにもう嫁に行く話だなんて……!!」
娘はまだまだ渡しません!!と、そんな風に少しムキになっている私の父親であるレッド公爵と、姿は見えないけれど聞き覚えのある穏やかなその声の主、アルの父親であり、現ローズ王国国王であるドノバン・ローズ陛下のやり取りが室内に響き渡る。
「うふふ、しょうがない人達ね」と上品に微笑みあっているのは王妃様と、多分、私の母であるシーリア・レッドだ。
大人達が楽しげに話していると、
「リリーは父上のむすめになるの?じゃあリリーはルルみたいにぼくのいもうとになるってこと?」
と、声変わりする前の今よりも幾分高い、舌足らずな喋り方のアルが不思議そうに国王陛下へと問いかけた。
「うーん、ルルとは少し違うな。リリーは大きくなったらアレクシオのお姫様になるんだよ。そしたらリリーもレッド公爵夫妻もみんな家族になるんだ。」
そしたらリリーもルルみたいにお前の妹になるんだよ、そう慈愛の籠った瞳で国王陛下はアルに説明した。
するとしばらくキョトンとしていたアルが不機嫌そうに眉を寄せ、嫌だ!!と大きな声で叫んだ。
突然嫌だ嫌だと駄々をこね始めたアルに、困惑しながら王妃様がどうしたのかと問うとアルは私の眠る揺りかごにギュッ抱きつき
「リリーはあにうえじゃなくて、ぼくのおひめさまになるの!!」
と、叫んだ。
その言葉に一瞬部屋がシンと静まり返り、その後笑い声が部屋中を包み込んだ。
「そうか、お前のお姫様にしたいか」
腹を抑え、笑いが収まらず涙目になっている国王陛下がアルを愛しげに見つめる。
「まだ幼子だと思っていたのにこんなに大きくなっていたのだな……。」
国王陛下は揺りかごの中に眠る私と、そしてアルを交互に見ると「うん」と呟きアルの肩を優しく抱き締めた。
「わかった。リリーはお前のお姫様になって貰おう」
「え!!ほんとうに?!」
国王陛下の言葉にアルが嬉しそうに声を弾ませる。
「ちょっ……陛下!!だからまだ私は娘を嫁に出すなんて一言もいってませんてば!!」
「まあそうつれないことを言うな、フィラルド。お前は私の一番信頼している臣下であり、親友だと私は思っている。そんなお前の娘と私の息子が結婚すれば両家の結びつきはより強固になり、腹の黒い狸どもを王家へ入れなくてすむ。そうすれば私も私の息子達も安心して国を治めていくことができるのだ。」
国王陛下が先程とはうってかわって真剣な表情でリリーの父、フィラルド・レッドにそう言えば、フィラルドも困ったような諦めにも似たような表情で頭をかきため息を一つこぼした。
「まったく、言い出したら聞かないのですから仕方がない」と呟き、フィラルドは国王陛下から今度はアルへと視線を移し膝をついてアルの目を覗き込んだ。
「……アル王子、本当にリリーをアル王子のお姫様にしたいのですか?」
「うん!!ぼくのおひめさまにしたい!!」
「そうですか……。では、一つだけ約束して下さいますか?」
「やくそく?」
「はい。世界一幸せにしろだとか絶対に泣かせるな……なんて無茶を言うつもりはありません。ただ、リリーとたくさんお話ししてください。そして一番リリーのことを知って下さい。リリーが悲しいとき辛いとき、そして楽しいとき一緒にいて側で分かち合ってあげてください。」
大きな瞳をまん丸にしてフィラルドを見つめて固まっているアルをみて、まだ五つの王子には少し難しかったか?とフィラルドが言葉を噛み砕いてもう一度説明しようとしたとき、アルが「わかった!!」としっかりとフィラルドを見つめて返事をした。
「ぼくがリリーのこといちばんしる!!リリーのいちばんになる!!」
そう答えたアルの表情からは固い決意が感じられた。
その姿をみて、フィラルドも国王陛下夫妻も部屋中が温かい空気に包まれる。
「リリーをよろしくお願いします。アル王子」
フィラルドの言葉を聞いて、アルは揺りかごを覗き込み、私の掌をギュッと握りしめた。
「はじめまして。ぼくがリリーのおうじさまだよ」
そう言って笑ったアルは陽の光が反射してキラキラキラキラと輝いていて、私はそれがとても美しいと思った。




