第二話 ① 強いんだけど
神奈川の西部山奥――
密林というのがいかにも相応しい、背が高く樹齢の長い樹木で覆われた山々の連なる山岳地帯。
森林のギミックが施された山の斜面が、巨大な生物が口を開くが如く大きく持ち上がり、黒い飛行機がその中へと吸い込まれていく。
レーダーによる探知を逃れる為に開発された第八世代ステルスシステム搭載NSL輸送用航空機だ。短い滑走路に車輪を着いてほどなくして止まり、引き千切られた片腕を左手に持つ赤いNSL――『クランプス』がその格納庫から跪いた姿で電動式の台車に乗せられ搬出される。
クランプスの操縦士、鷹宮詩音はひどく気が立っていた。コックピットの光化学モニター越しに引き千切られた片腕を忌々しげに見つめる。まるで虫けらの足を毟り取るようにもがれた右腕。
「ぐぅぅ……あのやろぉ」
思い出しただけで腸が煮えくり返る。あのメガネ。クソッたれ――
眉間に皺を寄せたその表情も、口と感情から履き捨てられたドス黒い怨嗟も、長い黒髪をたなびかせるおよそ清楚な乙女然とした彼女の外見には似つかわしくないものだった。
歳は歩たちと同じく十五歳。だが、詩音はこの組織により秘密裏に十一歳の時にNSLの操縦適性が認められて以来、ここでNSLの訓練を積んできた。始めは2の20だった適能レベルも今や3の80だ。今年NSL学校に入学したばかりの素人同然の特機乗りなど相手ではないと思っていた。あの青いNSLも一対一なら多少の苦戦はしても負ける相手ではなかった。束で掛かられ撤退はしたが、半分はお遊び気分で望んだものだ。目標を拉致するだけなら授業中の教室を襲えばいい。ミッションはいつでも遂行できる。少しくらい遊んでも構わないだろう。そう軽く捉えていた。しかし――
右腕を力一杯に放りたい気分をどうにか抑えて足元の台車の上に置く。続けて自らも己の特機の掌から降りて、コンクリートの地面を踏んだ。
広い。山の中を刳り貫いて造られた広大な空間。
NSLを駆るテロ組織、ファナティックフォース。
ここはその唯一の基地にして本拠地である。
詩音はクランプスをその場に放置してさっさと飛行場の出口に向かう。そこに、ネクタイを着けた軍服姿の一人の女が立っていた。
モリス・ガバナ――年齢は二十台前半。耳下まで伸ばした髪。白い肌にヴァイオレットの瞳。涼やかで整った目鼻顔立ちのアメリカ人だ。
「おかえりなさい、鷹宮さん。機体がひどく損壊しているようですけど、目的のものの入手は――ふむ、斬られた片腕を持ち帰ったということは、どうやら叶わなかったようですね」
モリスは流暢な日本語で言った。
「……チッ」
舌打ちし、詩音はモリスの体を腕でどかして脇を通りすぎようとする。しかし、その腕を掴まれた。
「離せよ。あんたの見立てどおり、作戦は失敗だ。私は敵に敗れ、交戦時に損傷した腕の他には何も持ち帰ることができなかった。これで満足だろ」
「いえ、まだ不十分です。目的のものを入手できなかった失敗を必要以上に咎めるつもりはありませんが、機体にこれほどのダメージを負わせたとなれば話しは別です。あなたほどの人が、何故にこのような失態を犯したのか。報告が上がってきていないもので」
「何故……だと?」
NSL学校のアリーナから撤退したことも含め、報告は一切していなかった。言えるわけがない。いや、学校から撤退したことはまだ報告もできただろう。失敗しました、また頑張ります、また遊びに行きます。などと薄ら笑みを浮かべて言えたものだ。しかし、問題はその後。
男子生徒の一人が学校を抜け出し付近の川に居ると、学校に送り込んだ諜報員から報告を受けた。NSL学校は厳重な警備の下に置かれた軍施設だぞ? 生徒といえど出入りは制限されているはず。そんなに簡単に抜け出せるものなのか? 発信機を取り付けた相手を何かしらの物資配送業者の男とでも間違えたんじゃないかと疑ったものだが、いざ指定の川に行ってみると、確かに、いた。
一見するとメガネをかけた冴えない男子生徒だった。行動を共にしても何の得もないつまらなそうな奴。
しかしそいつの名は、もう生涯忘れることはないだろう。
――坂下歩。
やれやれ、ミッションはもう終わりかと思った。これとは関係なくまた遊びに行けばいいかとお気楽に考えた。
目前の相手に警戒などするはずがなかった。相手はNSLにすら乗っていなかったのだ。たとえNSLに乗っていたとしても、レベル1ジャストの雑魚だ。NSLを動かすのがやっとの才能のない愚鈍な男。聞けばNSL適性のあるもう一人の男子生徒と特機をかけた試合で惨敗したという。笑っちゃうくらいみすぼらしく泣いていたとか。情けない奴。ゴミクズ以下。
しかし、その実力たるや――
詩音は脳裏に先ほど見た悪夢を反芻する。
地面に脱ぎ残されたズボンに気をとられている間に後ろに回り込まれ、頭を蹴られて吹っ飛ばされた挙句――もうこれ以上は思い出したくもない。
こんなこと、どの口が吐き出せるというのだ。あんな無様な醜態を人に知られるくらいなら、今すぐ舌を噛んで死んでやる。
そんな詩音の思いなど知る由もなく、モリスは浮かんだ疑問を無遠慮に口にする。
「お答えできませんか? まぁ、仕方ないですね。報告は後で聞かせてもらうことにしましょう。それにしても、本当に随分と派手にやられましたね。どうしたらこんな壊され方ができるんですか?」
モリスは台車に置かれた腕を見て言葉を紡ぐ。
「あの腕、まるで引き千切られたような――」
その言葉で、意識を腕に向けた瞬間、勝手に脳が思い出したくもない悪夢の続きを見せる。
機体の頭を蹴られて吹っ飛ばされた衝撃で昏倒し、引き千切られたクランプスの腕で何発も機体の胴を叩かれた。
生身の、不恰好なパンツ姿の男に――
「クソッ!」
詩音は力任せにNSLのキーを地面に叩きつけた。奥歯をギリリと噛み締め、そのまま振り返ることもなく飛行場を後にする。
感情に悔しさが滲む。なんなんだあいつは? 生身で、素手で、NSLを倒す人間がいるなど、聞いたことがない。しかし一方で不思議にも思う。坂下歩は学校ではかなり不遇な扱いを受けているという。なぜだ? どうしてあれほどの強者が? NSLの操縦が下手くそだからと言われれば納得もできるものだが、NSLに乗らなくたってNSLを倒せるのであればそれはそれで十分すぎるほどに価値のありそうなものだ。いや、そもそも諜報員の報告に生身で強いというものはなかった。もしかして奴の実力を誰も知らないのか? 教師ですらも。
奴は自分の実力を隠している? 弱いふりをしている? そんなことをしても意味がないだろう。もしかしたら奴の実力は大っぴらにはできない欠点があるのか? だとしたらどんな欠点があるというのだ? 私が逃がされた事と何か関係があるのか? 今の自分にはさっぱり検討がつかない。
疑問は尽きないが、受けた屈辱は忘れない。
坂下歩。
殺してやる。必ず、なんとしてもだ。