第一話 ④
校舎より歩いて数分。
春斗たち一向より少し遅れて寮に入った俺は、割り当てられた自分の部屋に向かう途中の廊下で、ふと、足を止めた。
春斗と女の子が何やら言い争いをしている声が聞こえた。
「はーあ、なんで私が男と同じ部屋なのよ」
「あ、窓側のベッド、俺が使いたいんだけど」
「はぁ? あんたあたしに負けたんだから、ベッドくらいあたしに譲るのが当然でしょ」
「それとこれとは話が別だろ」
「私、女の子なんですけど」
「男女差別反対」
「……あんた、NSLの適能レベル2の30でしょ? 私、2の50よ」
「それがなんだってんだよ。言うことを聞く理由にはならないだろ」
扉越しに聞こえる声。春斗が言い争っている相手は、ルームメイトの夏原さんか。可愛い子が多いこの学校にあって、他の生徒よりさらに一際整った美貌の持ち主だった。ボリュームのある長く艶やかな髪が印象的で、あと胸が大きかったな。
そんなことを思いながら、別に扉に近付くでもなく聴こえてくる声に耳を傾ける。
「――もー! 埒が明かないわね」
「それはこっちの台詞だ」
どうやらお互いどっちも引く気はないらしい。
「いいわ、それなら決闘しましょう。一週間後、お互い特機で勝負よ」
「ああいいぜ。望むところだ」
「負けたら絶対服従だからね」
ボフッ、と何か布団に重い物が落とされ、ベッドが軋む音がした。
「あ! ベッド!」
「何よ。文句あるわけ? 今日の勝者はあたしなんだから、次に勝負するまでこのベッドはあたしの物よ」
「ったく。しょうがないなー」
呆れ混じりの春斗の声。
いいなー。ルームメイトの女の子とのこんなやりとり、俺もしたかったなーと思いつつ、これ以上聞いてられなくて、俺は自室へと足を進ませる。
「149号室……」
俺の部屋だ。ドアに設けられている登録者照合機にMUリストバンドをかざして『OPEN』と表示されたパネルを押すと、ドアがスライドして開いた。
部屋には窓際に白い布団の敷かれたベッドがひとつ、隅に生活用品や着替えが詰まったダンボール箱が重ねて二つ置かれており、壁に勉強机がひとつ備え付けられていた。無論、夢にまで見た可愛いルームメイトの姿はどこにもない。そこにあるのは茜色に染まった寂しい光景のみ。
鞄が自然に手から落下する。
俺はガックリと膝を落とし、次には床に両手を着いていた。
――もういい。わかった。
十分だ。痛いほど思い知らされた。
これがバトルラブストーリーであることに間違いはない。だが俺には大きな勘違いがあった。
俺は、主人公ではない。
この物語の主人公は、あいつだ。
士希白春斗――
俺は頭の中で春斗が主人公たる由縁を列挙していく。
まず、すげーいいやつだ。外見も長身でガチカッコイイ。
料理ができる。父親との何らかの確執がある。妹がいる。モテる。ニブイ。加えてあいつの周りで起こる数々の王道展開。
もう一度その名を呼ぼう。
士希白春斗。
そもそもこの名前からして存在の厚みが違う。いや別に俺の名前が薄いというわけではなく。
では俺は?
そんなヤツに対して、一体俺はどんな存在なのか? 今まで感じた違和感の数々がその答えを告げていた。
俺は、主人公のサポート役だ。
数多の二次元創作物でよく見かける主人公のよき友人であり、アドバイザー。そこそこ重要な場面でひょこっと出て来て一つか二つ物語のキーワードになるかならないかくらいの微妙な助言をしてフェードアウトしていくぶっちゃけいなくてもいいんじゃね? な人。
それが俺だ。
「うわぁ、マジかよ……」
自らに付きつけられた新事実に、かなりヘコむ。しかしそう考えれば合点がいった。道理で何一つうまくいかないわけだ。英雄なんかになれるはずがない。抱えている欠点の克服も、そもそもできっこなかったんだ。
俺が主人公になろうとしてもこの先絶対に何一つうまくいかない。潔く認めよう、俺は主人公ではない、主人公のサポート役なのだ。与えられた役から外れたことをすれば世界にどんな災厄が降りかかるかわからない。俺は不穏分子になる気はない。ならば、与えられた役に徹しよう。世界の平和のために、物語のために――
俺はゆっくりと立ち上がる。
必要な物が――ある。
俺は寮の玄関に戻り、靴を履いて外に出た。そして学校を抜け出し、駅前の商店街に向かった。目的の店を見つけ、その店内に入ると、店員にポツリと言った。
「あの、伊達メガネください」