吹く風
お久しぶりです。
部屋の奥から吹く風は……。
太陽がかんかんに照りつけて、すっかり梅雨が明けたのだと実感できるこの頃。
十川夕介の家に、小山がやって来ていた。
小山は、夕介の家の近所に住んでいる初老のおばさんである──。
「はぁ……、暑い──十川くん、いないのかしら……」
「スイカ持ってきたんだけど」と小山が小さめのスイカが入っている袋を見てから、どうしようかしらと呟き、ふと中庭に目を向けると、風が吹いているわけでもないのに、物干し竿に干されていた洋服が揺れていた。
それも、部屋の中から風が吹いてきているように見える。
「……窓開けっ放しってことは、中に居るのよね」
と小山は呟き、ちょっとだけならと中庭に足を向けた。
縁側から中に声を掛ければ、夕介が気付いて出てくるだろうと思ったのだ。
「十川くー……ん──?」
呼びながら窓の方に向かい、部屋の方に顔を向けると、小山は思わず首を傾げた。
部屋の中が真っ暗だったのだ。
いくら真っ暗といっても、外はまだ明るいので、その明かりで少しは部屋の中も見えるはずなのだが、見えなかった。
真っ暗で、先の見えない洞窟のようだった。
「と、十川くーん? いないのー?」
恐る恐る中に声を掛けてみると、少ししてから夕介が姿を現した。
「あ、小山さんこんにちは──すいません気づかなくて」
「それは大丈夫だけど……」
なんでこんなに暗いのかしら……と思いつつも、それを聞こうとは思わなかった。
「――もしかして、何か持ってきてくれたんですか……?」
と夕介が小山の持っている袋に気づいて訊いた。
小山は「そうなの」と忘れそうになっていたスイカを夕介に手渡した。
「ご近所さんから二つもらったんだけど、主人と私だけじゃ食べきれないから……。おすそ分け」
「そうなんですか。ありがとうございます──冷やして食べますね」
「そうしてちょうだい。冷たいほうがおいしいから」
「はい──」
と微笑んで頷いた夕介は、何かに呼ばれたのか後ろを向いて話し始めた。
「あ、影くん、これ冷やしておいて──うん、そう冷蔵庫に入れておいて」
それから夕介の手からスイカが浮いて、ススス……と奥に消えていった。
小山はポカンとしていたが、前に青い傘が浮いていたことを思い出して、夕介に訊く。
「……あの、今の影くんって、前に傘で迎えに来てくれてた……?」
「あ、そうですそうです。小山さんにも見えました?」
「ごめんなさい、姿は見えなかったんだけど……そうなのかなって」
と小山が苦笑いすると、夕介も苦笑いして言った。
「大丈夫ですよ──。というか、今普通に影くんと会話しちゃって、引かれるかと思いました」
そう言った夕介がどことなく寂しそうに見えて、小山は「そんなことないわよ」と手を振って見せた。
「私には見えないだけで、十川くんには見てるんだもの。見えてるのに無視はいけないわ」
「はは……、ありがとうございます」
と少し嬉しそうに笑った夕介に、小山も安心して笑う。
「──そうだ、小山さんお茶でも飲んでってください、暑いですよね」
「え? あぁ……でも、そんなに暑くないわ。何でかわからないけど──」
と小山は首を傾げる。
夕介の家に来てすぐは暑かったのだが、縁側に来てからはあまり暑さを感じていない。
「扇風機でも使ってたりする?」
「いや……、使ってないですね。あ……」
と夕介は後ろを見て笑った。
「あの……、信じてもらえなくてもいいんですけど、影くんが、団扇で扇いでくれてます」
「え──?」
確かになんとなくだが、一定の間隔で風が送られて来ている。
「だから涼しいのね、ありがとう。でも疲れるでしょう? 無理しないでね」
と小山が奥に声を掛けると、より一層風が送られてくる。
「え? ちょ、ちょっと、無理してない? 十川くん、影くんに無理しないでって伝えて! 私は大丈夫だから……!」
「あぁ、大丈夫ですよ。影くん嬉しいみたいで……。見えてないのに信じてくれてることが──」
「そうなの……?」
小山が訊くと、また強く風が送られてきて、小山は「あらまあ」と思わず笑う。
「そんなに頑張らなくても──。大丈夫よ、ありがとう。優しいのね」
そう小山が微笑むと、風が優しいものになった。
「影くん、照れてますよ」
「へえ。照れてるの。可愛いわね──」
「見えないけど」と小山はクスクス笑ってから、そろそろ戻らないと、と夕介に言う。
「夕飯の準備しなきゃ。じゃ、また何かおすそ分けする時があれば、また来るわね」
「はい、いつもありがとうございます」
「いいのよ。じゃ、またね──影くんも、またね」
と小山が奥に声を掛けると、また風が送られてきて、小山はふふふと小さく笑うのだった。
家に着いてから、小山が夕介と影くんのことについて主人に話すと、驚いてから「そうか」と笑って、小山に相槌を打つのだった──
夕介「スイカ、今夜食べようか」
影くん「(頷く)」




