言伝て
お久しぶりです。
梅雨に入ってから、珍しく晴れたある日。
十川夕介の家に、一人のお婆さんが訪ねてきた──。
「こんにちは。あなたが十川さん?」
そう問われて、夕介は縁側で洗濯物を畳んでいた手を止めて、その人の方に顔を向けた。
「……そうですけど、どちら様で……?」
「やっぱりここで合ってたわ──突然お伺いしてすいませんでした。私、白水加絵と申します」
と自己紹介をして、頭を下げる。
夕介も「ご丁寧にどうも」と頭を下げる。
加絵は頭を上げると、夕介に言った。
「一つ、十川さんにお願いがあって来ました」
「お願い、ですか……」
「はい。主人に、伝えてほしいことがあるの」
「出来る範囲で手伝いますけど……洗濯物畳んでからでいいですか?」
「雨だったから量が多くて」と夕介はかごの中を見せて、加絵に言う。
加絵は少し驚いてから、小さく笑って頷いた。
「ええ──」
マイペースな人なのね、と洗濯物を畳み始めた夕介を見ながら、加絵は面白い人だわと小さく笑った。
夕介は加絵に縁側に座って待つように言って、洗濯物を全て畳んだ。
加絵はぼんやりと空を眺めて待っていた。
「お待たせしました──じゃ、話聞きますね」
と夕介は加絵の隣に座り直す。
「あ、何か飲みます?」
「持ってきますけど」と夕介が訊くと、加絵は『お構い無く』と手振った。
すると後ろからカチャと音がして、夕介は振り返った。
そこには人の影のようなモノ──影くんが、もうお盆にお茶を二つ乗せて来ているところだった。
「あら──」
「せっかくですし、飲んでください」
「じゃあ……いただきましょうか」
優しく微笑んだ加絵に、影くんはススス……と近づいて、下にお盆を置いた。
「ありがとう影くん」
「ありがとうございます」
と二人にお礼を言われると、影くんはぺこりと頭を下げ、またススス……と奥に戻っていく。
加絵は「いただきます」とお茶を一口啜った。
「……さっきのは……?」
「ここに居る影くんです。悪い奴じゃないので」
と夕介もお茶を啜る。
「で……伝えてほしいということですが、何を伝えたいんですか?」
「あのですね、長年連れ添った旦那に感謝の手紙を書いたのですが、亡くなる前にその手紙の閉まった場所を伝えるのを忘れてしまって……。だから、それを伝えてもらいたくて」
と加絵は少し寂しそうに微笑む。
「初対面の相手にこんなお願いをされては困るだろうとは思ったのですが、あなた以外に私が視える方を探そうと思ってもつてがなかったもので……。だから、噂を耳にしたあなたに、お願いをしに来た次第です」
「噂……」
「はい。幽霊が視えると──それに、色々なモノと話をしたりするのを見たという人もいました」
「なるほど。それは納得です──」
と夕介は手をぽんと打つ。
夕介は霊感があるため、小さい頃からソレらを視てきたし、ある意味では一緒に育ってきた。
今でもそれが普通だと思っているし、ソレらを避ける必要もないと思っている──。
「ご主人は、おれのこと知ってるんですか?」
「ええ──ご自分で思ってるより、十川さんは近所で噂されてますからね」
悪い意味で……と加絵は苦笑いする。
夕介は気にしてないというように笑うと、加絵に言った。
「はは、そうですか──わかりました。じゃあ、早速案内してもらえますか?」
「はい。お願いします──」
と加絵は頭を下げてから、腰を上げた。
*
少し歩いてから、加絵はある平屋の前で立ち止まった。
「ここです」
「おれの家みたいな感じですね──」
表札は木の板に【白水】と彫られ、黒く塗られている。
庭には植木やら自然に生えたであろう花が咲いていた。
「今、旦那さんは居るんですか?」
「はい。きっとテレビでも観てるわ」
「なるほど──」
と夕介は頷いて、インターホンに手を伸ばす。
一回押すと、呼び出し音が繰り返された。
『……はい』
「あ、こんにちは、十川と申しますが」
『十川……? ちょっと待っててくれ──』
カチャリと切れる音がして、少ししてから玄関が開いた。
「えっと、初めまして。十川夕介といいます。今日は加絵さんに言伝てを頼まれたので、お伺いしました」
「はぁ……。ん──? ということは、アイツは近くに居るのか?!」
とお爺さんは夕介の周りをきょろきょろと見渡す。
「あぁ、はい。居ますよ。ちょうど隣に──」
夕介が隣を見ると、お爺さんも夕介の隣に目を向けて、少し寂しそうに笑った。
「そうか……居るのか……」
「ええ、居ますよ──」
と加絵も微笑む。
お爺さんは何も見えない空間をいとおしく眺めてから、夕介に訊く。
「それで……、言伝てというのは、何だ?」
「加絵さん、亡くなる前にあなたに手紙を書いたそうです。それで、それを閉まった場所を伝えてほしいとのことで」
「茶箪笥の一番下の、一番奥に閉まったの。桜色の手紙よ」
と加絵が夕介に伝える。
夕介はそのまま、お爺さんに伝えた。
「『茶箪笥の一番下の、一番奥に閉まったの。桜色の手紙よ』だそうです」
「…………はは、こりゃ驚いた。ほんとにアイツだ」
声は違うとしても、話し方や雰囲気が同じだったのだろう。
お爺さんは驚いた顔をしてから笑って、わかったよと頷いた。
「探してくる。ありがとな、十川さん」
「いえいえ」
「あ、手紙の内容は聞いたのか?」
「あぁ、安心してください。聞いてないですから」
と夕介が笑うと、お爺さんも安心したように笑った。
「そうか。確認してくるよ、ありがとう──」
お爺さんは微笑むと、部屋の中に入っていった。
「……良かった。元気そうで」
お爺さんを見送った加絵は、そう呟いてほっとしたように笑う。
「家事はずっと私がやってたから、洗濯とか大丈夫かと思ってたけど……もう私がいなくなって一週間、大分落ち着いたみたいだし。思い残すことはないわ」
「……逝かれるのですか?」
「ええ、このままずっと居座ってても、あの人に見えないなら、余計寂しくなるだけだもの……」
と加絵は苦笑いして言った。
そろそろ帰ろうかと夕介が思った時、ガタガタと玄関が開かれた。
「十川さんっ」
「はい?」
「まだ、アイツは……っ、加絵は居るのか?!」
お爺さんは片手に手紙を持ったまま、きょろきょろとせわしなく周りを見る。
「どうかしたのかしら……」
「居ますよ、ここに」
夕介はお爺さんには見えなくとも、きょとんとする加絵を手で示した。
お爺さんは夕介が手で示した場所を見ると、少し気恥ずかしそうに笑った。
「そうか、良かった……。手紙、読んだぞ。こっちこそ、ありがとな。ずっと支えてくれて──長ったらしいのは好きじゃないから、簡潔に言うが、その……今まで、本当にありがとう。俺もそっちに逝ったら、またよろしくしてくれるか……?」
「まぁ……。こちらこそ、ありがとうございました──もちろん、よろしくお願いします……」
と加絵は微笑んで、そっと目元を押さえた。
夕介がそのままをお爺さんに伝えると、お爺さんもふっと笑ってから、目元を押さえた。
お爺さんと別れた後、加絵は夕介にお礼の言葉を言って、そっと姿を消した。
一人帰りながら、家の前に立っていた影くんを見つけ、いつか影くんもいなくなる日がくるのだろうか、また、逆に自分がいなくなったら、影くんは何を思うんだろう……と少しだけ気になった夕介だった──
夕介「手紙、何て書いてあったんだろう(少しだけ気になる)」