優しい人間
俺は優しい人間である。
これは生まれ持った長所であると自負している。困った人は放っておけない。大変な仕事を手伝ってしまう。そんな生き方で自分をすり減らすこともときにはあるが、その度感謝の言葉に自分を奮い立たせる。これが俺の生き方だった。
蝉がうるさく鳴き始めた頃、汗っかきな俺はだらだらと流れる汗をポロシャツの裾で拭いながら階段を上る。2年の教室は3階に位置している。これがまた大変で、2階から3階への階段を踏み出す辺りで足が悲鳴を挙げる。人より体力がないことは自覚しているが、こんなことではいつか倒れてしまう。情けない自分に溜息を吐いたそのとき、視界が揺らいだのがわかった。だが、そこからの記憶はない。
「大丈夫か?」
その声に俺は目を開ける。目に映ったのは天井と、憎い憎いクラスメートだった。ここが保健室だとわかるのに時間はかからなかった。
「お前、階段で倒れたもんだからさ。心配したんだよ。」
クラスの中でも優しいと評判の樋口 真生という男は、人一倍お人好しだ。新しい保冷剤を俺の額に乗せながらソイツは言う。
「熱中症だな。今日暑いから。先生もいないから、保冷剤で我慢してくれ。」
俺は冷房の風にあたってはいたが、自分の体がかなり熱いことにそのとき気がついた。おもむろに時計を見ると8時55分だった。もうとっくに1限が始まっている時刻のはずだ。
「お前、俺のことはいいから授業出ろよ。」
「嫌だよ、心配だから。」
俺が言うとソイツは眉をひそめて首を振った。
「どうせ誰も見てないんだ。俺に優しくしてたってお前に得はないだろ。むしろ大損だ。」
保健室の丸椅子に座って俺を見つめるソイツは俺の言葉がピンときていないようだった。
「損とか得とか、考えてなかった。」
俺は一瞬、何も言えずに固まった。
その言葉は俺とソイツの格の差を見せつけるような皮肉なものであった。
「優しい人間のフリなんかするなよ。誰にでも優しくなんて無理だろ?」
これは本心ではない。いや、正確に言えば半分本心で半分は建前だ。俺はコイツが根から優しい人間ではないと思っている。どうせ胸の内ではあいつが嫌いだの、あいつは空気が読めないだの考えているに違いない。だが、誰にでも優しくするのが不可能だとは思っていない。現に俺がそれを可能にしているからだ。誰にでも親切に、優しくをモットーに生きてきた俺にとってそれは、息をするのと同じようなことだった。
「別に、誰にでも優しい訳じゃないよ。」
蝉の声が先程よりも大きく聞こえた。
「…ん?」
「俺、みんなに優しくしてる暇はないし。」
ソイツはぽつりと言った。鳥のさえずりのような、小さく温かい声だった。
結局、俺は1限が終わる頃には回復し、教室へ戻っていた。教室へ戻るときにも樋口 真生は俺に何度も大丈夫かなどと尋ね、俺の隣を歩いた。
「ありがとう。もう完全に治ったから」
俺はコイツを嫌ってこそいたが、ここまで心配してもらって礼を言わないのは良くないと思い、そう言った。
「真生、本当に優しいよな」
「流石、優男」
皆が樋口 真生の行動を褒め讃えた。これは毎度恒例のことだ。俺のクラスの中でこれは、決まり文句のようなものなのだ。
「優男って呼ぶなよ」
コイツはそう言ってふっと笑う。毎度、コイツは褒められると照れたような、何か言いたそうな顔で笑う。そんな謙遜するなよ、と俺は心のどこかでコイツの反応が突っかかるのを感じた。
「真生やっさしー」
一際大きい声が教室に響いた。
それは飯田 陵介の声だった。
そして飯田は目を細め、ニヤリと口角を上げながら口を開く。
「だけどさぁ、」




