42.残る温もり
音楽の余韻が残る中、伸ばしていた腕をそっと降ろす。イヴァンに一礼すると、静かだった空間が拍手で溢れた。やがてざわめきに変わるその波に乗るように、現実へと引き戻されていく。
「見事だったわ」
振り向くと、すぐ傍に家族の姿があった。いつの間にか近くまで来ていたらしい。
「踊ったのは久々だっただろう? まさか、あそこまでとは思わなかったな。……練習でもしてたのか?」
兄の言葉に苦笑が零れる。どこかからかうような視線を感じて、わずかに視線を逸らした。
「良いことよ。会場中があなた達を見ていたわ」
母の穏やかな声に、胸の奥がじわりと熱を帯びる。先ほどまでの感覚が、遅れて押し寄せてくるようだった。
ふと隣を見上げる。イヴァンはいつもと変わらぬ表情で立っていたが、その背筋はどこか誇らしげにも見えた。
「もしかして、イヴァン・レナード隊長ですか?!」
ふいにあがった声の方を見る。その先には、黒いスーツに身を包んだ若い男性が立っていた。
一瞬ぽかんと口を開けていたが、イヴァンの訝し気な視線に慌てて敬礼を返す。
「失礼しました。デルタイト兵団陸部の者です。以前、作戦でご一緒させていただきました」
ハキハキと喋る彼をイヴァンはようやく思い出したらしい。ああ、と言うと、彼と兵団でのあれこれを話し出した。
「そうか、あの人も来ているのか」
会場の向こう側に、兵団時代の上司もいるらしい。きっと挨拶をしに行きたいのだろう。行くように声をかけると、イヴァンは少し逡巡するように私を見た後、断りを入れて私達から離れていった。
「じゃあ、俺たちも行こうか」
「母上、ダンスでもいかがです?」
そっくりな二人の兄に連れられて母がダンスフロアへ向かっていく。いつの間にか長兄もいなくなっており、私は父と二人きりになった。
お互いに顔を見合わせてしばし沈黙の時間が流れる。咳ばらいを一つして、父は私に手を差し出した。その手を軽く握り、広間の中央から抜け出す。
父と一緒に居ると、先ほどとは違った顔ぶれの人達がこぞって挨拶にやって来た。多くが父と仕事場を同じとする、城の大臣方。あとは、自らのご子息や年頃の男性を伴う貴族の方もいた。その挨拶の中に含みを感じて、今更ながらに自分が公爵令嬢だという立場を実感する。中には、政治的に繋がりを持てたらと以前呟いていた家もあって、僅かに身構えた。
「幸いアーク家の将来も息子たちのおかげで安泰ですからな。娘の結婚については本人に任せようと考えています」
言葉を失ったまま父を見つめる。相手が離れていくと目が合い、少しへたくそなウインクを返された。それが妙に似合っていなくて、肩の力が抜ける。
腕を抱き込むように掴まり、肩に頭をもたれかける。言葉には出さなくても私の思いは伝わったようで、父は私の腕をぽんぽん、と軽く叩いた。
再びイヴァンと合流し、波のはけてきた王族への挨拶に向かう。まずは帝国王夫妻と、王子、王女方から。第三王子にはやたらと見つめられたけれど、イヴァンに引っ付いて視界を遮る。むしろイヴァンの方から盾になってくれていた。
その次は準王族へ。ふと、見慣れた金の髪が視界に入る。
こちらを見て輝くような笑みを浮かべた幼馴染を見つけて、足早に近づく。
「お元気そうで何よりですわ、ソルティア様」
「待っていたのよ、ルナ! 今日のパートナーはレナード隊長なのね」
隣のイヴァンが、いつも総司令にする敬礼をしようとして、途中で手を止める。すぐに社交界用の礼をやり直していた。
あまり見ることのないイヴァンの小さなミスに、ソルティアと目を合わせてくすくす笑う。すると、ソルティアの後ろから男性が近づいてきた。
ソルティアの父。この国の、王弟殿下。
気持ちを切り替えて、礼をする。声をかけられて頭を上げると、ソルティアとそっくりの顔があった。
「ご無沙汰しております」
「ああ。一時は大変だったようだね。こうして戻ってきてくれて、嬉しく思う」
小さなころから顔を合わせている相手だ。挨拶を終えれば、自然と肩の力が抜ける。
しかし、今日は何となくいつもと違う雰囲気があった。薄らと目の下に隈が見える。
「ありがとうございます。来週からは仕事にも復帰いたしますので、ソルティア様を支えられるように精進いたしますわ」
その言葉にじっと私を見ていた王弟殿下がにこりと笑って頷く。すぐに側近に呼ばれて離れていくその後ろ姿は、いつもより覇気がない。
――お疲れなのかしら
その思考は、「それより」と話し出したソルティアによって引き戻された。
「ルナ、エスティアに戻ったらお茶会をしましょうね。前にできなかった分よ」
もちろん、それに否はない。すぐさま肯定を返し、私達はそこで別れた。
軽い振動と共に車が屋敷前に到着する。何を話そうかと色々考えているうちに、屋敷についてしまった。見送りにわざわざ降りたイヴァンと向き合う。自然と繋がれていた手を離すのは、なんだかもったいない気がした。
「……離したくないな」
心の声が漏れてしまったかと、思わず顔を見上げる。紅い目が細められて、繋いでいた手にわずかに力が入った。
「ずっと言えなかったんだが……そのドレス、似合っている」
俺の色だな、と耳元で囁かれて心臓が跳ねる。一気に熱くなった顔を見て、イヴァンが吹き出す。
そのまま流れるように顔が寄せられた。
額に触れる、柔らかな感触。
錯覚かと思うほどあっという間に離れると、イヴァンは笑みを浮かべたまま、そっと扉の内へと私の背を押す。
「おやすみ。良い夢を」
ぱたりと扉が閉まって姿が見えなくなっても、私はその場から一歩も動けなかった。額に残る感触は、何時までも消えそうになかった。




