21.守るもの
目を開けているはずなのに、瞬きの感覚がない。
私の視界は、暗い部屋ではなく、もっと遠くを映していた。
石畳の隙間を這う根。
建物に絡みつく蔦。
きらきらと魔力の花粉を漂わせ開く花。
帝都中に広がった薔薇を通して、無数の景色が私の中に流れ込んでくる。それはとても美しく、幻想的な光景……のようだった。
しかし、現実は違う。
私の姿を認めた途端、周囲が混乱の渦に巻き込まれる。そして、私の身体はそんな光景を面白がるように蔦を伸ばし、人々から魔力を奪い取っていく。
「……やめて」
動かしているのは、私だ。否定したいのに、根は私の鼓動と同じ速さで脈打っている。
―――止めなきゃ。
そう思うのに、止められない。蔦を取り囲むように現れる光球に、様々な色の魔力が吸い込まれていく。魔力を急激に失った人々は、ばたりばたりと地面に倒れていく。
最後の一滴まで搾り取ろうとする蔦を必死に押さえる。それでも、次々にターゲットを見つけてはあちらこちらへ這いまわっていく。
死ねば、止まるのだろうか。
―――けれど、どうやって?
私の存在はもはや、災厄として人々に周知されつつあった。
「第三区画、変異植物コード001、“始まりの魔女”を確認」
声の方向を見れば、装甲姿の兵団員の姿。反射する太陽光が、何度も視界を横切る。
「魔力濃度、変化なしです」
「総員、出力開始」
近づいてきた彼らの手元に光が走る。それが振り下ろされた途端、灼けつく痛みが脳髄を貫いた。
蔦の断面が白熱し、内部構造が崩壊する。切断面からは魔力の光が血のように零れた。
ひくり、と胸の奥が震える。
次の瞬間、同調するように蔦の動きが荒れた。兵団員が吹き飛び、頑丈なはずの装甲が大きくひしゃげる。
「活動レベル上昇!」
「出力維持! 処理を継続!」
私の意思は、もう関係がない。
―――こんなはずでは、なかったのに。
目の前の彼らは、仲間を庇いながら私の身体を次々と切り落としていく。
「私の、選択は……」
あの時、踏み出してしまった脚を切り落としてしまいたい。
……でも、もう遅い。遅すぎる。
溢れそうになる後悔を、魔力ごと押しつぶす。
ないはずの瞼が重い。私の世界は再び空虚に戻り始めた。
音が遠のく。光が滲む。
目を開けたときには、私は例の部屋に戻ってきていた。
かつて、見上げる程の大きさの薔薇は、今や魔力を豊富に蓄え、部屋いっぱいにその根や枝葉を伸ばしている。
その隙間には、魔力を少しも逃すまいと、無数の光球が浮かんでいる。
『……お目覚めかな? 調子はどうだい?』
ブツリ、と電子音が鳴ったかと思うと、部屋の隅に設置されたスピーカーから声が流れる。カメラのレンズが、薄笑いを浮かべているようだった。
返事をしようとして、口を開く。しかし、頭が上手く回らない。声の発し方が、分からない。
『ああ、もう話せないか。融合率90%。やっとここまで来たんだ。最後まで頑張ってね』
じゃ、と声を最後に、静寂が戻る。
スピーカーから目を落とすと、否応でも視界に入ってくる樹。
―――もし、これが壊せたら
ふと、隊長の姿が脳裏をよぎった。その胸には、いつもデルタの紋章が誇らしげについていて……
紋章の中央には、狼の姿が刻まれていた―――まるで、私の意思を形にしたかのように。
蔦を噛み砕ける強靭な顎。
素早く駆ける脚。
力の入らない腕を持ち上げる。刺が刺さっても、痛みを感じない。ただ、傷口から一筋の血が流れていく。
指先に現れた光球は、膨大な魔力を受けてどんどん大きくなる。
ぐにゃりと形を変え、魔力が編まれていく。私のイメージに沿って形作られたそれは、魔力の供給を切ると一拍おいてゆっくり目を開いた。
―――私と同じ色
意図したわけではない。しかし、まるで鏡のように同じ瞳をもった黒狼がそこに立っていた。
黒狼はふすふすと鼻を鳴らし、私の腕をべろりと舐める。血の付いた口元からは、鋭い牙が覗いていた。
「……守って、くれる?」
自然と、言葉が出た。意味は分からない。
それでも、壁の隙間を抜ける黒い影を見送りながら、私は久しく忘れていた呼吸をようやく思い出した。
黒い影は、迷いなく地を蹴り走る。
石畳を這う蔦が、倒れ伏した兵団員へと伸びる。最後の一滴を奪うため、執拗に絡みつこうとしていた。
その瞬間。
バキリ、と鈍い音が響く。黒狼の顎が蔦を噛み砕き、魔力の光が飛び散る。
そんな黒狼を締め上げようと、蔦が幾数にも襲い掛かる。しかし、黒狼は唸ることもなく、静かに噛み砕いていった。
「……なんだ、あれは」
兵団の一人が、掠れた声を漏らす。
黒狼は人間には目もくれず、襲い掛かる蔦を全て壊すと、颯爽とその場を去っていった。
その日から、狼の目撃情報が相次いだ。
場所は、決まって発生した蔦の傍。
魔力を帯びた、2つ目の変異種。魔晶石を食べる狼。守り神。魔力を食べる悪魔。
人々の間では様々な、根も葉もない噂が飛び交っていた。
「どう思う? 隊長」
「どうもこうも、この目で見ないことには何とも言えんだろう」
その噂は、彼らの耳にも届いていた。先日から、薔薇の樹の繁殖がすさまじく、その応援に向かっている。
「今は目の前のことに集中だ。行くぞ」
そうして脚を踏み入れた現場に、その影は現れた。
蔦を踏みつけ、蹴散らし、黒い毛並みが光を反射する。静かに、迷いなく―――守護者のように立つ姿だった。
「隊長!」
思わず見つめていたイヴァンの横から、蔦が襲い掛かる。アイリーンの声に我に返ると同時にバックステップでかわし、蔦を叩き割った。
それぞれの魔法や武器で、次々と壊していく。数分もしないうちに、場は平穏を取り戻した。
「っ待て!」
くるりと踵を返した黒狼に声をかける。
視線が交わる。その瞳が夕焼けを浴びて瞬いた。
「……フォルテ?」
黒狼は何も言わない。ただじっと見つめ返すだけ。
やがて、何かに呼ばれたように耳をぴくりと動かすと、黒狼はその場を離れていった。




